(5)「いや、死ぬつもりはなかったし」

 

 お盆をすぎたとはいえ、屋外はうだるような炎天下。それでも、帽子を目深にかぶって私は歩く。

 生まれてこのかた日傘をさしたことは一度もない。女子高生で日傘をさすのが許されるのは色白美人限定だからだ。例えば、イツキのような。

「キョン子ちゃん、もっとゆっくり歩こうよ~」

 日傘をさして悠長に歩くイツキの声を無視して、私は前方を見すえながら、すたすた歩いていく。なぜなら、その先には調子に乗った少年とそれにおだてられる男子の姿があるからだ。

「それで団長、どうしたの?」

「バシッときめてやったよ。SOS団存続の危機だったからな」

 小学生の弟に向かってハルヒコは武勇伝を語っている。たぶん、SOS団結成間もないときに朝倉リョウが起こした『体育館旧用具室騒動』のことを話しているのだろう。そのとき私は一時退部していたのだが、ハルヒコがその事実を口にすることはあるまい。武勇伝とは、話し手のご都合主義を塗りたくったものだからだ。

 問題は、夏の路上でそんな話をしていることである。

 あのあと、性懲りもなく茶菓子とともに現れた弟に対し、私は追い払おうとしたものの、ハルヒコはそれを妨害。そして、SOS団の活動がどういうものかとうとうと語り始めたハルヒコに、弟は「おれも団長と一緒に街探索したい」と騒ぎだしたのだ。

 そのまま、ハルヒコと弟だけで街探索させることもできただろう。しかし、それは姉としての責務を放棄したことになる。弟は小学五年生という非常に多感な時期なのだ。そんなときに、変人きわまりないハルヒコの言い分を真に受けてしまえば将来真っ暗なのだ。だから、私の目の届くところにいないといけない。

 となると必然的に、残りのメンバーも街探索に付き合うことになった。イツキもみつる先輩も外に出るのを嫌がったが、私がいないのに私の部屋に残らせるわけにはいかない。

 だいたい、トラブルメーカーの涼宮ハルヒコを連れてノコノコと我が家に来たのが悪いのだ。イツキにしろ、みつる先輩にしろ。

 それにしても、ハルヒコはずいぶんと機嫌のいい顔をしている。なんだか、涼宮ハルヒコの退屈しのぎに付き合わされているようで腹が立つが、当初の問題だった弟の誤解は解消されたみたいだ。

 母さんも同じだったようで、家を出る前にのんきなことを耳打ちされた。

「で、京子、誰が本命なの?」

「へ?」

 母さんはニヤニヤしながらたずねてくる。

「将来の旦那さん候補よ」

「な、なに言ってんの? あいつらとは部活仲間。それだけの関係なんだから」

「私は長門家の坊ちゃんがいいなと思ったけど、あの団長って子もかわいいところがあるし。うん、京子の好きなようにやりなさいよ」

「はぁ」

 浮かれた母の様子に私はため息しかでなかった。

「私、京子が結婚できるか心配だったけど、すっかり安心したわ。あんた、立派にやってるわよ」

「はいはい」

 それから、地獄の炎天下街探索が始まるとは、能天気な母さんには想像もできなかっただろう。

 私たちの歩く順番は、いつものSOS団の活動時とたいして変わらない。

 先頭を歩くのは、もちろん涼宮ハルヒコ団長だが、その歩調はいつもよりゆっくりだ。わざわざ、弟に合わせているようである。私と一緒に歩くときは、勝手に歩き回るくせに。

 その後ろには長門くん。読書少年に見えて体力があり、ハルヒコペースについていける唯一のSOS団員だ。しかし、今回はペースが遅いせいか、小説を取り出して読みながら歩くという余裕さだ。ハルヒコと弟を盾にしているせいで、危なっかしさはない。

 もちろん、二宮金次郎と同列に語るわけにはいかない。金次郎は家の手伝いをしながら勉学のために読書歩きをした立派な偉人だが、長門くんが読んでいるのは将来の役に立たないであろうSF小説なのだ。

 いつもならこのあとにみつる先輩が続くが、今日は私である。最後尾がイツキとみつる先輩という変則フォーメーションだ。今日の私はイツキの相手をするよりも弟の監視を優先すべきなので、後ろの二人は気にしないことにした。

 それにしても、この街探索の終着点はどこになるのだろう。普段はイツキが音を上げて、適当なところで切り上げるはずなのに、今日の団長は副団長の弱音に耳を貸す気配がなかった。ということは、弟が飽きるまで、私たちは街をさまよい続けなければならないということか。

 エンドレス・サマー・ウォーキング。私はそんな言葉を頭に浮かべながら、軽く絶望をする。まあ、いつも涼宮ハルヒコの相手をしていると、これぐらいの絶望は慣れるのだが、夏の路上はあまりにも暑すぎた。

 

    ◇

 

「ところでさ、団長」

「ん?」

 街の境となる橋にさしかかったとき、ハツラツとした声で弟は団長にたずねた。どうやら、弟の体力はありあまっているらしい。

 このまま橋を渡る羽目になってしまえばどうしようか、という不安におびえながら、後方の私は聞き耳を立てる。

「ここの川って遊泳禁止だよね?」

「当たり前だ。けっこう流れが急だし、水深もあるからな」

「さすが団長、なんでも知ってるね!」

「でも、ここで泳いでいるヤツなんて見たことないぜ。こんなクソ暑いときでもな」

「だけど、犬を泳がせてるヒトがいるんだよ、最近」

「犬を?」

 ハルヒコの眉毛がピクリと動く。

 前に話したことがあると思うが、ハルヒコは愛犬家である。子供の頃に飼っていた犬とは家族同然の仲だったらしい。

「人間が遊泳禁止だったら、犬だってダメだよね?」

「当然だ。なんせ、犬は犬かきしかできないからな」

「だよね。犬が人間より泳ぎがうまいってことないよね?」

「ああ」

「でも、ほら!」

 弟が指さした先に何があるか、後ろにいる私にはわからなかった。しかし、ハルヒコがとった行動は、はっきりと見えた。

 後日談になるが、この事件は後に新聞記事になる。それによると「溺れた仔犬を勇敢な高校生男子が救った」という美談になっているが、たぶんその犬は溺れていなかったと思う。

 とにかく、ハルヒコは矢のような速さで駆けだし、そして、そのまま川に飛びこんだのだ。服を着たまま、私たちに何も言わずにである。

 私は叫ぼうとしたが、あっけにとられて、まともなセリフが出てこなかった。

 しばらくして、我に返った私は、急いで橋から川を見下ろす。そこには、仔犬をかかえて、元気に泳いでいるハルヒコの姿があった。

 それを見て安心するとともに、怒りがこみ上げてきた。さっきまで「流れがきつい」とか「水深がある」と言っていたくせに、他人の犬のためなら衝動的に飛びこんでしまう彼の浅はかさが許せなかった。

「ハルヒコ!」

 私は川岸に駆け降りながら叫んでいた。その先には、誇らしげに首輪のついた犬を掲げたハルヒコがいる。

「あんた、なにやってんの!」

「見てわからないのか?」

「わからない」

「ここ、遊泳禁止だろ?」

「だから、あんただって飛びこんだらダメでしょうが!」

「でも、この犬が……」

「それで、あんたが死んじゃったら、どうすんのよ!」

「いや、俺は……」

「あ、あの」

「ちょっと待ってください。話が終わっていません!」

 誰かの声がしたが、私はそれをさえぎって続ける。

「あんたはいつもそう! 後先のことを考えずに、勝手な行動をして、みんなに迷惑をかけてばかり。そんなことばっかりやってると、いつか死んじゃうよ。それでいいの?」

「いや、死ぬつもりはなかったし。俺、レオを飼ってたから、犬と泳ぐのは得意だからな」

「言い訳なんか聞きたくない! とにかく、今後、こういうことをやったら絶交だからね!」

「あの、わたし、その犬の飼い主なのですが……」

 思わず、ハルヒコと二人でその声の主を見る。

 サングラスをかけたリッチそうな女性だった。

「ここで犬を泳がせるの、まずかったですか?」

「あたりまえです! ……クシュン!」

 ハルヒコはそう豪語したあと、盛大にくしゃみをした。

「どうするのよ、あんた」

「どうするっていわれても……」

 全身ずぶぬれになったハルヒコは、あまりにもカッコ悪かった。でも、それを突き放すほど、私はひどい女子ではない。

 いちおう、彼は良かれと思ってやったことなのだ。

 ただ、きちんと目撃していないので確信は持てないが、その仔犬は溺れてはいなかったと思う。ハルヒコは「遊泳禁止の川で犬を泳がせている」ことに怒って、衝動的な行動をとったのだと。

 だから、これは美談でも何でもないのだ。

「なにやらかしたの団長。ずぶぬれになって」

 やっと現場に着いた悠長なイツキに、説明する気力は私にはなかった。

「それで団長、携帯電話は?」

「あ!」

 イツキの問いにあわててポケットをまさぐるハルヒコ。そこから取りだされたものは、電源のつかなくなったポンコツ機械だった。

「だから言ったのに。あとさき考えず行動するなって」

「う……」

 私の説教に肩をうなだれるハルヒコ。

「あ、あの……!」

 そんな私たちに、犬の飼い主である女性が名乗りをあげる。

「わ、わたしが弁償しますから」

「いいんですか?」

「もちろんです! あ、連絡先はこちらです」

 彼女はハルヒコに名刺を渡す。どうやら、社会的身分の高い女性らしい。

「それよりも、とりあえず……」

 私は少し言いよどんだものの、こう声をかけた。

「うちに帰ってシャワーぐらいは浴びないと」

「貸してくれるか、キョン子」

「そのまま帰すわけにもいかないからね」

「さすがキョン子ちゃん。くどくど小言をいっても見捨てないところ、母ちゃんにそっくりだぜ!」

 弟は無責任にはやしたてる。いや、これは人間として当然のことで、母さんと私はそんなに似てないと思うのだけれど。

 

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