(4)「ぎゃははは、なんだこれ!」
「大変なことになった」
私はイツキに電話する。
ショッピングを終えた夜のことだ。
『どうしたの、キョン子ちゃん?』
「帰ったところを弟に目撃されたんだよ」
『え? どこで?』
「あの公園。弟がよく行く場所だったの忘れてた」
『あちゃー。あのロリコンに車で送ってもらったの、見られたわけ?』
「うん。それで話が変な方向に広がっちゃって」
『そうそう、キョン子ちゃんは、今日、親に何するって言って出かけたの?』
「部活動の一環だって」
『部活動? SOS団の?』
「ううん、文芸部の。SOS団とか言えるわけないし」
『ははは、そりゃそうだよね』
「笑い事じゃないって。で、弟が母さんにチクちゃってね」
『家族会議にでもなったの?』
「ううん。でも、潔白を証明できないと父さんに話すって言われた」
『キョン子ちゃんのパパって、消防団に入ってるとか言ってたよね? 結構マジメそう』
「うん、怖い。うちは母さんは話がわかるけど、父さんは話がわからないんだよね。鉄拳制裁は飛ばないけど、かなり怒る。外出禁止とかになるかも」
『でも、潔白を証明するってどうするの?』
「だから、イツキちゃんに我が家に来てほしいというか」
そうなのだ。弟に密告されて危機におちいった私にできることは、イツキを家に呼んで、母の信用を勝ち得るしかないのだ。
そして、そのことには自信があった。見た目は誤解されても、イツキはしっかりした子だし、きっと母さんも気に入ってくれるだろうと。
『やったー! それじゃ、キョン子ちゃんちでお泊まり会だね!』
「ちょっとちょっと。そういうのじゃないから。まずはイツキちゃんが母さんに認められないと」
『わかってるって。このイツキちゃんに任せなさい!』
私はひとまず安堵して、予定を合わせる。今週の土曜だと、母も弟も家にいる。そのときに勉強会という名目で、イツキを家に招く。そして、弟が公園で見た不良娘であることを確認し、母さんが娘に害がある友達ではないかと見きわめるという計画である。
いくら気まぐれなイツキちゃんとて、私の母さんに悪い態度はとらないはずだ。私の家でのお泊まり会をしたがっているみたいだし。
しかし、私は楽観的すぎた。イツキはさらなる厄介な存在を我が家に持ちこもんできたのである。
◇
ピンポーン。
約束の土曜日。呼び鈴の音に、私は来訪者を確認することなく玄関に向かう。
キッチンではすでに母さんと弟がスタンバイしている。まるで私の結婚相手を見定めようという真剣さだ。平和な我が家にとっては、これは年間ニュースTOP10候補になるぐらいの大事件なのだ。
私は深く考えずにドアを開ける。
「よっ」
そこには気さくに挨拶をする男子がいた。
涼宮ハルヒコである。
私は反射的にドアを閉める。それを背にして、体を傾ける。
な、なんで、こいつが目の前にいるんだ。
ドンドンドン! ドアの振動が身体に響く。
「おいキョン子。早く開けろよ!」
「ちょ、ちょっと、うるさいったら」
動揺しながら、私はドアをちょっとだけ開けてチラ見する。
「どうして、あんたがここに……」
「だって俺が来ないと始まらないだろ?」
「っていうか、みつる先輩まで――」
「やあキョン子さん」
みつる先輩の後ろには、長門くんまでいる。言うまでもなく、ハルヒコの隣にはイツキがいる。つまり、SOS団が我が家に集結したということだ。
「ねえ、イツキちゃん、これなに?」
「だって、うちの部が変な部活って誤解されたんだよね? だったら団長を連れてきたほうが話が早いかな、と」
しらばっくれたことを言うイツキ。
「そうだ! 我がSOS団が侮辱されたのだ。これは、団長みずから説明するほかあるまい」
偉そうなハルヒコを無視して、私はイツキに耳打ちする。
「なら、最初に言っておいてよ。お茶とか二人分しか用意してないから」
「だいじょうぶだって。ちゃんと茶菓子は持ってきてるから。ね、メガネ君」
「…………」
無言で長門くんは紙袋を掲げて見せる。
どうやら準備万端のようだった。私に事前相談することだけをのぞいて。
「どうしたの京子」
そんなパニック状態の私にかけてくる声がする。
本名の京子で私を呼ぶ女性、つまり私の母である。
「あ、あの、ちょっとね」
「キョン子のお母さん、はじめまして! SOS団団長の涼宮ハルヒコです!」
ハルヒコは勝手に自己紹介を始める。よけいな肩書きをそえて。
「え、えすおーえす?」
カタカナに弱い我が母はその響きにおおいにとまどっている。
「これ、つまらないものですが」
それから、長門くんの手にあったはずの茶菓子を差し出すハルヒコ。この行動の早さはさすがである。
「あの、京子。これ、どういうことなの?」
「なぜか部のみんなが来てくれたみたい」
「そうです。あたしたち、キョン子ちゃんの誤解をただすために、集まったんですよ」
イツキも続けて口を出す。
「ちなみに、あたしがSOS団の副団長で、キョン子ちゃんの親友の古泉イツキでーす!」
「ああ、あなたが……」
「それではあがってもよろしいでしょうか?」とハルヒコ。
「あ、どうぞどうぞ」
私に似て理解力が鈍い母さんは、ついハルヒコの言葉に応じてしまった。
「では、おじゃましまーす」とみつる先輩。
「あたしも、おじゃまでーす」とイツキ。
「失礼いたします」と長門くん。
「そうだ母さん」
礼儀正しい長門くんを見て、私は母さんに言う。
「前に私、長門くんの家にお世話になったんだよ。覚えてない?」
「あ、あなたが! どうぞどうぞ」
さる五月、街探索をしたときのトラブルで、私は長門家の厄介になったのだった。
そのあと、母さんからいろいろたずねられたが、私は適当に答えておいた。ただ、おかげで「部活動をする」ということに、母さんは寛大になってくれた気がする。長門家の名前は、この地域では絶大な知名度をほこっているのだ。
「で、あなたがオチビちゃん?」
「あ、あのときの不良娘!」
いっぽう、イツキは我が弟に声をかけているようだった。
「失礼な。あたしには、古泉イツキって名前があるんだから、これからはそう呼んでね」
「ホントにキョン子ちゃんの友達なの?」
「友達じゃないよ、親友だよ」
そして、イツキはウィンクする。その魅力に、弟は早くもやられているみたいだった。
「で、キョン子の部屋はどこなんだ?」
取り残された感のある我が団長が声をはさむ。
「え? 私の部屋に行くつもりなの?」
「当然だろ。家の人に迷惑をかけたくないからな」
私の迷惑のことは考えないのか、この男。
イツキが来るからと部屋は整理しているが、五人が入ることは想定していない。しかも、そのうち男子が三人だ。言うまでもなく、生まれてから一度も私は自分の部屋に男子を招いたことはない。
「じゃあ、おれが案内するよ」
「うむ、ご苦労」
でしゃばる弟に偉そうに答えるハルヒコ。
「で、あなたが部長さんなの? うちのキョン子ちゃんの部活の」
「ちがう、団長だ」
「団長と部長ってちがうの?」
「ああ、それを説明するために、俺はここに来たと言っていい」
「とにかく、部屋に案内するから、おとなしくしてよね」
勝手に弟と仲良くなるハルヒコをさえぎって私は言う。
これは弟の教育上かなり危険なことではないか。SOS団の連中は我が北高きっての変人ぞろいであり、そういう連中に感化されて「高校生かくあるべし」と思ってしまったら、どうするというのか。
当初の危機は脱したようだが、さらなる危機が到来したようだった。
私にできることは、SOS団の連中が満足するまで自分の部屋に押しこめておくしかないだろう。
「ははは、キョン子さんも家では大変だね」
そんな私も苦労も知らず、のんきに笑うみつる先輩に、私は耳打ちする。
「みつる先輩、ハルヒコが余計なことをしないように見張っておいてよね」
「僕が? そんなの無理だって」
「今や、みつる先輩だけが頼りだから」
私はそんなことを言いながら、階段をのぼる。ついていきたそうな弟を足で追い払いながら。
◇
「ちょっと京子、下に来て」
部屋に入り、余計なことをしないようにハルヒコたちにくどくど言い聞かせていた私に、母さんの声がしてきた。
「ごめん、今、離れられないから」
「いいから降りてきて!」
「はいはい」
そう答えて、私はふりかえる。SOS団の連中はおとなしく座っていた。ただ、私がいなくなればどうなるかはわかったものではない。
「だいじょうぶだってキョン子ちゃん。余計なものをさわったりはしないから」
「たのむからねイツキちゃん。あと、みつる先輩」
「俺も信用しろって」
「あんたは信用しない」
私はハルヒコに言い放つ。こいつの困ったところは、観察眼がムダに鋭いことだ。日々、学校探索にはげんでいるだけあり、整理したつもりの私の部屋でも、私が無自覚だったものに気づくおそれがある。できれば、目隠しをさせたいぐらいだ。
「じゃあ、ちょっとだけ離れるから」
そう言いながら、私は長門くんを見る。すでにカバンからSF小説を取り出しているようだ。まさか、ここでも読書をするつもりなのか。いったい何しにきたんだ、長門くん。
とりあえず、台所に向かう。そこには途方にくれた我が母親がいた。
「京子、このお茶っ葉なんだけど」
長門くん持参でハルヒコが渡した茶菓子は、すでに封が破られていた。お菓子だけではなく、親切にもお茶の葉までついている。
「なかなか高級そうだよね、それ」
「だから、ごまかせないのよねえ」
「ごまかすって、なんで?」
「だって、うち、急須がないじゃない?」
「…………ないの?」
「うん」
そういえば、我が家では常にお茶はティーバッグに入っているものだった。だから、私はお茶をいれるということを知らずに育ってきたのだ。
母さんの料理は決して下手ではないと思うが、自慢できるほど上手ではない。そして、娘に教えるのはもっと下手だった。私が料理ができないのは母さんのせいだといっていい。皿を出したり、皿を洗ったりというお手伝いはともかく、肝心のおいしい料理を作ることについて、私は知らないままなのだ。
「ティーバッグの安物お茶だとバレちゃうよねえ」
「どうするの?」
「だから京子にきいてるのよ!」
「私にきかれても」
私たち母娘は途方にくれる。わざわざ迷惑にならないように提供されたものが、こんな面倒な事態を招くとは。
「そういえば母さん、コーヒーのフィルターがあるんじゃない?」
「ああ、父さんが前に買ったやつね。あの人、男なら本物のコーヒーを飲まなくちゃならんと豆挽き器と一緒に買ったんだっけ」
「あれから父さん、コーヒー飲んだりしてるの?」
「ううん。だって、うちのみんな、コーヒー嫌いだから」
そう言いながら、母さんはガサコソと台所の棚をあさりだす。
「あった! よかったわあ」
「じゃあ、私、部屋に戻るから」
「ちょっと待ってよ京子。ちゃんとしたお茶のいれ方とか、私知らないし」
「私も知らない」
そう吐き捨てて、私は階段をのぼる。いちはやく戻りたかったのは、しかるべき人物が台所に姿を見せなかったからである。この家にいるはずの、もう一人の私の家族が。
弟がろくなことをしでかしてないかと私はあせりながら、私は自分の部屋にたどり着き、ノックもせずに開ける。
「ぎゃははは、なんだこれ!」
ハルヒコは爆笑していた。私の中学時代の卒業文集を手にして。
そう、これこそが、私がもっとも見せたくなかったものである。ハルヒコはこの短時間でめざとくそれを見つけたのだ。そして、イツキもみつる先輩もそれを開くのを止めなかったのだ。
さて、私は中学時代の卒業文集に何を書いたのか?
卒業文集で書かれているものは、大きく次の六つにわかれると思う。
[1]中学時代の思い出
[2]将来の夢
[3]自分の趣味に関すること
[4]好きなミュージシャンの歌詞
[5]好きなキャラのイラスト
[6]自作のポエム
私はいずれの六つにも該当しない。
私が書いたのは、いや私が描いたのは一つのスケッチである。
自分の左手に謎のポーズをさせたイラストを私は描き、こう題したのだ。
『飛翔』と。
ちなみに、私はとりわけ絵が上手ではない。美術の成績は5段階で4ぐらいである。銀賞をとったことはあっても、金賞はとったことはない程度の腕前だ。
そんな私がこんなスケッチを描いたのは、同級生の書いている内容が不真面目に感じたからだ。マンガのキャラを描いたり、流行歌をそのまま引用する同級生が、私には子供っぽく見えた。
これは将来の記念碑になるものだ。ならば、それ相応のものを書かねばならない。
そう思案した私が思いついたのが、なぜか自分の左手を描くことだったのだ。
鉛筆で書いた分にはサマになっていたと思う。ところが、印刷されたそれは自分のデッサン力の無さを思い知らされるものだった。
結局、何を描いたのか、他人にはさっぱりわからないものに仕上がった。クラスメイトのクニはノーコメントだった。私はそれぞれの指の形の意味をたずねてもらいたかったのだが、それ以前のレベルであったらしい。
冷静になるにつれて、私は自分がとんでもない恥ずかしいものを描いたことに気づいた。
もし、私が犯罪者になったとしよう。すると、この卒業文集が公開されるわけである。謎の形をした左手と、それに添えた『飛翔』の文字が。
これはジョークではない。清水京子15歳、渾身のデッサンなのである。
それが全国の公共電波に乗ってばらまかれるのだ。流行を求める一発芸人は『飛翔!』と言って、この指の形をまねるだろう。すると、観客は大笑い。中学生の生真面目さが、そんなギャグを生み出したのだ。
春休みの間に私は早くもこれを後悔していた。だから、高校入学のときは、当たりさわりのない自己紹介をして普通の女子高生になろうと決意したのだ。私の後ろに座った男子が「ただの人間には興味がない」とか、ロクでもないことを言うまでは。
そのロクでもない男子が、私の卒業文集を見て笑っている。
「キョン子、これで飛翔ってなんだよ?」
そして、その指の形をするハルヒコ。
なお、『飛翔』ポーズは、文字で説明すると次のようになる。
[1]左手をパーのように広げる
[2]人差し指の上に中指を重ねる
[3]薬指を伸ばしたままできるだけ曲げる
[4]手のひらをこちらに向ける
これが何の意味をなすのか、今の私は説明したくない。中学卒業という熱気が招いた、滑稽な悲劇としかいいようがない。
それでも、私はハルヒコに叫ぶ。
「あんた、勝手に人のものをさわるなって言ったのに!」
「じゃあ、押入の奥にでもしまっとけよ」
「だって、他の子と連絡とったりするかもしれないから」
「いやーキョン子、おまえは本当にやるときはやる子だな」
「あんただって、卒業文集にはろくなこと書いてないくせに」
「俺は宇宙の可能性について書いただけだからな。SOS団の団員募集とかしたわけじゃないし」
「う……」
だいたい、元から頭のネジが外れたハルヒコなんて、いくら内容がぶっとんでいてもダメージが少ない。常識人の私が言い争っても勝ち目ゼロなのだ。
「ははは、キョン子さんらしくていいよ」
場をなごめるつもりか、みつる先輩はそんなことを言う。
「みつる先輩も! どうして、ハルヒコの暴挙を止めなかったのよ」
「見てみてキョン子ちゃん」
みつる先輩に説教しようとする私にイツキが肩をたたく。そして、自分の左手を見せる。
「ひしょー!」
「や、やめて……お願いだから」
私は胸をナイフでえぐられたような痛みにおそわれる。ああ、過去のあやまちをなかったことにする消しゴムはないのだろうか。
そんな騒ぎの中でも、長門くんは隅でSF小説を静かに読んでいる。さすが、SOS団の観葉植物である。わざわざ私の部屋に来る意味がまったくないのだけれど。
「ねえねえ、キョン子ちゃん。この人たち、良い人じゃないか」
そんな私に我が弟は能天気な声をかけてくる。
「すっかりおれ、誤解してたよ。イツキ姉ちゃんのことも、団長のことも」
「団長?」
「団長は団長だろ?」
ハルヒコのことを団長と呼ぶ人間は、これまで世界中でイツキ一人しかいなかった。まさか、さらなる一人が生まれてしまったというのか。
「とにかく、あんたは下に行って、母さんの手伝いをしてきなさい」
「えー。おれ、もっと団長の話を聞きたいんだけど」
「あんたには百年早い」
そう言って、私は無理やり弟を部屋から追いだす。
「うむ、キョン子。おまえの弟は見こみがありそうだぞ」
「見こみってなんの?」
「SOS団の団員としてだ」
「ちょっとやめてよ」
「俺たちにもたじろがず質問を浴びせるあの心意気はたいしたもんだ。おまえらも、そう思うだろ?」
「うん、オチビちゃん、いい子っぽいね」とイツキ。
「そうだね、ほほえましいね」とみつる先輩。
身内がほめられているのに私は全然うれしくない。
「あんた、まさか弟を勧誘する気じゃないよね」
「残念ながら、まだ小学生だからな。ただ、我がSOS団の理念を教え、そう生きるように導くことはできる!」
「絶対やめてよね、そういうこと」
私はため息をつく。まさか、こんな事態になるとは想像もしていなかった。
将来、弟がハルヒコみたいになったらどうするのだ。高校の自己紹介で「ただの人間には興味ない」とか言い出したらどうなるのだ。私は頭をかかえた。
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