(3)「戦争ってどこのですか?」
「やあ」
待ち合わせ場所にやってきた男性は、イツキちゃん情報に相反する好青年だった。
髪型や服装は変質者らしくなかったし、その顔立ちだって30代のオッサンには見えなかった。20代の頼れるお兄さんという印象である。
少なくとも、さっきのナンパ三人組よりは、ずっとまともだ。
「イツキちゃん、この人が、あのフジさんなの?」
「そうだけど」
「ちょっとカッコいいじゃん」
「うわー、キョン子ちゃん、オトコ見る目なさすぎ。アレのどこがカッコいいの?」
「だって……」
「キョン子ちゃんはさ、年上のオトコを見慣れてないからそう思うだけだよ」
「そ、そうかも」
しかし、私はイツキちゃん情報をウソだと思った。どう考えても、この人は35歳ロリコン野郎ではあるまい。
もし、さっきナンパされてたときに、この人が助けにきたらどうだろう? そして、お礼に食事をおごってもらったら? 私だって恋心をいだいてしまうかもしれない。
うん、私もグッチのことをバカにできないな。
「で、その子がサ……いつきちゃんの友達ってわけ?」
「そう。で、あんたのやることは、あたしたちを家に送り届けることだけだから」
なぜか、イツキの名前を言いよどむフジさんと、そんな相手に容赦ないイツキ。どうやら、フジさんがイツキに弱みをにぎられているのは事実であるようだ。
「まあ、よろしくね」
「はい、フジさん」
私はお辞儀をしてフジさんに応じる。
「この子の名前は?」
「あんたには関係ないよ」
どうやら、イツキは私に自己紹介させる気もないらしい。
それでも、イツキはフジさんについていく。私もそれにしたがう。フジさんの車は、トヨタの4ドアの白いまともな車だった。目立った汚れはなく、車内もきれいに整っていて、入るのに抵抗を感じるものはない。
「今日は『わ』ナンバーじゃないんだね」
「やめてくれよ、その話は」
イツキの声に、うんざりした顔で答えるフジさん。
「ねえイツキちゃん、『わ』ナンバーってなに?」と私。
「レンタカーのことよ。『わ』ナンバーは自分の車ではなく、業者から借りてきた車ってわけ。常識だけどね」
「へえ、そうなんだ」
「女の子は知らないふりしてたらいいんだよ。『わ』ナンバーのくせに、自分の車だとウソつくヤツもいるからね」
「だから、昔の傷をえぐるなって」とフジさん。
わざわざツッコまなければいいのに、と私はおせっかいに思う。
「じゃあ、これ、親の車なんだ。へー」とイツキ。
「そりゃそうだよ。あんな急に呼び出されたら、友達に頼めないよ」
「これ、フジさんの車じゃないんですか?」と私。
「なに言ってんのよキョン子ちゃん。フリーターが車持てるわけないじゃん」
「この人、フリーターなの?」
「悪いか」
またもや、会話に割りこむフジさん。別にあなたを非難するつもりでたずねたわけじゃないんだけど。
そんなフジさんをフォローしないまま、イツキは勝手に車に乗りこむ。
「ほらほら、キョン子ちゃんも横に乗って」
「あれ? 二人とも後部座席に乗るのかい?」とフジさん。
「当たり前じゃん。あんたはタクシーの運転手で、あたしはお客様なんだから」
「じゃあ運賃払ってくれないと」
「ふうん、そんなこと言うんだ。じゃあ別のヒト、呼ぼうかな?」
「ご、ごめん。ただの冗談だよ」
見た目は好青年なのに、イツキに翻弄されているフジさん。なんていうか、チョロすぎる。これも、イツキにホレてしまった男性の哀れな末路というべきか。
「まあ、こんな平日の昼間に車よこしてくれる人なんて、フリーターのあんたぐらいしかいないけどね」
車が発進してからもイツキの毒舌は止まらない。
「はいはい、どうせオレは底辺のフリーターだよ」
自虐的に答えるフジさん。
「ねえ、フリーターって、フジさんはどんな仕事をしているの?」
私は小声でイツキにたずねてみる。
「コンビニの夜勤。そうだったよね?」
「ああ、週5で入ってるよ」
「じゃあ、今日は休みじゃないんですか?」
「そうだよ。昨日も仕事で今日も仕事」
「だ、だいじょうぶなんですか?」
「運転は昔に仕事でやってたから慣れてるし」
いやいやいや。睡眠不足を公言する見知らぬ人の運転する車に乗って、だいじょうぶなはずがないだろう。
私はだんだん後悔してくる。イツキの誘いを意地でも断って、一人で帰ったほうが良かったんじゃないかと。
私は家族ショッピングの車中で眠れない性格だ。寝ている途中で交通事故で死んでしまったらどうするというのか。やりきれない人生ではないか。
それに、父が運転するときは私が話し相手をするという家族ルールがある。うちの母は免許を持っていないせいか、神経が図太いせいか、帰りの車はたいてい寝ている。しかし、それにつられて私が眠るのは、父のお気に召さないのだ。母は仕方ないが、娘は許さないという厳しい父親なのだ。
私は長女として、たとえ母が寝てしまっても、弟がいくら眠そうでも、父のドライブでは積極的に話しかけなければならない。運転に支障がない些細なことばかり話すけど、それが父には気晴らしになり、居眠り運転の防止になるという。
だから、私はフジさんと会話を続けなければならないのだ。とりあえず、あたりさわりのないことからたずねてみる。
「フジさんって、このあたりに住んでいるんですか?」
「ちがうよ。車で一時間ぐらい。君たちが住んでるところと方向はちがうけど」
「そんなに遠いのに、よく来てくれましたね」
「ま、まあ、それは……」
「このヒト、女子高生二人を送迎できると聞いて調子に乗ったんだよ。だから、キョン子ちゃん、甘い顔したらダメだからね」
イツキの言葉に私はうなずく。ロリコンだと聞いたが、このフジさん、あのナンパ野郎以上にやましい心を持ってそうだ。そうでないと、わざわざ私たちを送ろうとはするまい。
「オレはフリーターだからね。こういうときでも融通がきくっていうのは、社畜の連中に比べたらいいものだよ」
いきがってそう言うフジさん。その結果、イツキに都合良く利用されていることに不満は感じないのだろうか。
「だからね、オレがフリーターであるのは、仕事が見つからないわけじゃない。本気で職を探さないのは、いざというときに備えているからなんだよ」
「いざというときって、なんですか?」
「戦争さ」
「へ?」
ハンドルをにぎりながら、とんでもなく物騒なことをフジさんは口にした。
「せ、戦争ってどこのですか?」
「この国だよ、何言ってるんだい?」
「いや、戦争ってそんな簡単に起こるものじゃないですよね?」
「君は知らないかもしれないけどね、今、我が国を取り巻く状況は危険に満ちあふれているんだ。一瞬触発といっていい。東アジアは現代の火薬庫と呼ばれているぐらいなんだから」
たしかに、テレビや新聞、ネットなどで戦争のことが語られていることがある。
それに現実感がない私は平和ボケしているだけなのか。いや、いざ戦争になったところで、私には何もできないからだ。それよりも私たちには恐れるものがある。地震などの災害のほうが、戦争よりも可能性があるし、恐れるべきことではないのか。
戦争を警告する人よりも、地震を警告する人のほうがずっと多いし、その予言のほとんどが外れていることを私たちは知っている。
だいたい、戦争に備えるべし、と言われても、私たちのやることは災害時と同じだ。どうせ、最新型の兵器に人間が束になって戦ったところで勝てるわけないんだから。
「ねえ、フジさんは、この国が戦争になったら、どうするつもりなんですか?」
「もちろん、志願兵となって国を守るために身を捧げるつもりだよ。だから、オレはフリーターを続けているのであって……」
「じゃあ、自衛隊に入ったらいいんじゃないですか?」
「それは無理だよ」
「なんで無理なんですか?」
「だ、だって、自衛隊には制限年齢があるし……」
フジさんはそう言ってうなだれる。
「そうよ、35歳のくせに」
イツキがさらに追い打ちをかける。
残念ながら、フジさんは本当に35歳だったのだ。どうやら、私は年上の男性の年齢を判別することができないようだ。30歳と35歳を見分ける経験も才覚も私にはない。
「で、でも、自衛隊じゃなくても消防団に入ればいいと思いますよ?」
とりあえず、私はフジさんをフォローする。ハンドルをにぎっているのはフジさんであり、ドライバーの気分を害することは事故のもとであり、私たちの身の破滅を意味する。
「国を守ることも立派だと思いますけど、街を守ることも大切ですから」
「そうだ、キョン子ちゃん、いいことを言う! 国を守ると叫ぶより、まず自分の街を守れ!」
イツキが無責任にはやしたてる。
「あの、私の父が消防団に入っているんですけど、なかなか若い人が入ってくれないとぼやいてて」
「うん、スーパーでも団員募集のポスター貼ってるよね」とイツキ。
「きっとフジさんの住んでいる街でも募集していると思いますよ。自衛隊に比べると消防団は地味かもしれませんが、前の震災のときには同じくらい役立ったんですよ。たしかに、避難所もないころは、キャンプ一式装備を整えている自衛隊のほうが目立ってましたけど、各地の消防団の人たちだってがんばってたんです。何しろ、自衛隊はなんでも軍隊式でやるから効率が悪いって言ってました。消防団に感謝してる被災者の声は決して小さいものではありません。だから、フジさんだって、消防団に入ってがんばれば、立派なオトナになれるんです!」
「で、でも……」
私は正義感にかられて父からの受け売り話をしていたが、フジさんの顔は優れないままだ。
「ちょっとちょっと、キョン子ちゃんが良いこと言ってるのに、どうしてあんたは『うん、消防団に入って、街の平和を守るぞ!』ぐらい言えないのよ」
「だ、だってさ、消防団とか入れるわけないだろ!」
イツキに向かって、いきなり声を荒げるフジさん。
「なんで?」
「高校生の君たちにはわからないだろうけど、大人の付き合いっていうのは大変なんだ!」
35歳のフジさんは、私たちに向かってそう叫んだ。
その言い訳じみたセリフに、私は口をつぐむ。そう言われたら大人でない私たちはだまることしかできない。ただ、軽蔑するだけである。
それにしても、私の倍以上生きて、この人、何を学んできたのだろう。
35歳男性のフジさんには、その年にふさわしい人生の重みが一切感じられなかった。
◇
「ねえ、小学生のイツキってどうでした?」
しばらく沈黙が続いた車内にて、私は話題をかえることにする。
これはフジさんに同情したわけではなく、車に乗っている私たちの身の保全のためだ。気持ち良く運転してもらうための、私なりのささやかな努力である。
「そりゃ……かわいかったよ。ほかの子よりもズバ抜けてたし。だから、ずっと続けていれば――」
「ちょっとあんた、その話はキョン子ちゃんに話してないから」
あわてた口調でイツキが口をはさむ。
「そうなの?」
「うん」
「……そうか、わかった」
やたらと素直にフジさんは応じる。
それは私への牽制でもあったのだろう。私とて、イツキの過去には興味はあったけど、できればイツキ本人の口から聞きたかった。イツキが話したがらないことには、きっと理由があるのだろう。
「ところで、君は女性のもっとも美しい年齢は11歳ぐらいだと思わないか?」
と思っていたら、とんでもない発言をフジさんはかましてきた。
「いわば、自分の性に目覚め始めた年齢っていうのかな? 英語ではそれまでの子供を『kids』って呼んでいる。男女の区別なくね。個人差はあるけど、自分の性に気づいて、kidsからgirlに変わる瞬間。それが11歳なんだよ」
「へ、へえ」
さきほどの落ちこみぶりがウソのようにフジさんは活発にしゃべり始める。
女子高生二人に向かって、11歳少女の魅力について。
「そもそも『ロリコン』って言葉があるけど、その出典のナボコフの小説にでてくるロリータは13歳なんだ。作中でナボコフは彼女たちを『ニンフェット』と名づけ、その魅力を語っているけど、オレはその前の少女たちのほうが魅力あると思うんだよ。性が芽生える11歳にこそ、少女の真の輝きがある。そう思わないか?」
私はあいづちを打つのもやめる。自分の小学時代を思い返す。11歳のときは、友達と好きな男子のタイプのことをしゃべってキャーキャー騒いでいた気がする。大人びた子がいて、それをうらやましいと思うこともあった。自分の身体の成長に戸惑い、それに違和感のみならず嫌悪感をいだいたこともあった。いずれにせよ、自分とそのまわりの限定された世界の中がすべてだった。
まさか、その外側でフジさんのような30代男性が観察しているなんて想像したくなかった。そういう存在がいることは知っていたけど、それは殺人犯と同じく、特殊な人たちと思っていた。
だが、実在していたのだ。そして、私はそんな人が運転する車に乗っているのだ。これは、かなり危険な状況ではないか。
「最近はアニメやマンガの影響で、年齢が低けりゃいいと考える連中も多いんだけど、オレはそうじゃない。10歳には10歳の、12歳には12歳の美しさというものがあるんだ。それも知らずに少女好きを自称する愚か者がどれだけいることか。オレはそんなファッションロリコン野郎の目を覚ましてやりたい。奴らに少女の美しさを語る資格なんてない。偽りの『性の目覚め』を描く物語を焼き払い、オレは高らかに叫びたい。11歳の本当のすばらしさを。たとえ、ロリコンだと罵られても迫害されても、オレは11歳を愛することをやめないだろう。その美しさこそがこの世界でたったひとつの真実なんだ!」
35歳ロリコンは高らかに叫んだ。
私はあきれて反論することもできない。
まったく、こんな変態野郎を野放しにしていいものか。女性の美しさというのは年とともに変化するはずだ。35歳男性は35歳なりに、その美しさに気づかなければならないはずだ。
11歳女子が理想といっているようなヤツなんて、社会からすれば害悪でしかない。家族と同居しているみたいだが、兄弟がいたらその姪っ子に手を出しかねないではないか。政府はこんな連中を隔離する施設を作るべきだ。今すぐに。
「なあ、オレ、まちがったことを言ってる?」
「あんたの存在そのものがまちがいよ」
イツキはそっけなく答える。
女子高生二人を送迎するために、コンビニ夜勤の合間に親の車を借りて一時間かけて来たと思ったら、その車内で11歳少女の美しさについて語り始める。いったい、どんな人生を送ったら、こんな35歳男性になるのだろう?
ただ、ひとつだけほめるべきところは、こんな狂った発言をしている間でも、信号を守り、スピードを出していないことだった。それでも私は祈る。どうか無事に家に帰れますように、と。
◇
夕方近く、私の住む街に車はたどり着く。
「じゃあ、キョン子ちゃんは駅前でいい?」
「家の近くまで行ってもいいよ」
「だいじょうぶですよ。駅前で」
私は冷たく35歳に答える。こんな変質者に家を覚えられたくない。
よくもまあ、イツキはこんなロリコン野郎と連絡をとりつづけているものだと思う。
「でも、駅前は道が混んでるからなあ」
「じゃあ、あそこの公園でいいです」
そこから私の家までは歩いて15分ほどだが、仕方あるまい。
公園横に車は停まり、私は運転手の顔も見ずに声をかける。
「ありがとうございました」
ついでに、イツキも一緒に降りてくる。
「どうだった?」
「……最悪」
「社会勉強になった?」
「……まあね」
「ああいうヒトもいることを、キョン子ちゃんは忘れちゃダメだからね」
「一目見てわかることができたらいいと思うんだけど」
「そうじゃないから怖いんだよ。言っておくけど、見た目はあのヒトよりもずっと良くても、中身がくさってる連中なんていくらでもいるんだから」
「……わかった」
最初、私はあの35歳ロリコン男性を見て「なかなかカッコいい」とイツキに言ったものだ。あのころの私はなんと世間知らずだったことか。
「じゃあね、キョン子ちゃん。ぬいぐるみ、大切にあずかっておくから」
「あ、ありがとうね」
そうだ。すっかり変質者の話に夢中になったせいで、私はぬいぐるみを抱く貴重な時間を失ってしまったのだ。まったく憎むべきはロリコンである。
「この子、キョン子ちゃんと思って大事にするから」
「どういうこと?」
「そりゃ布団で一緒に寝たりとか、抱き合ったりとか」
「そ、それって……」
「じゃあ、部室での再会をお楽しみに~」
そんな不穏な発言をして、車に乗りこもうとするイツキに私はとりあえず声をかける。
「あ、あの、気をつけてね」
「だいじょうぶだって。あのヒトはバカなロリコンだから」
そして、後部座席に乗るイツキ。私ならそんな勇気なんてない。変質者と二人きりで車に乗るなんて。
でも、イツキの言動からして、なんらかの危険が起こる可能性はなさそうだ。私はそう信じることにした。
こうして、私は危機を脱したはずだった。だが、私は気づくべきだったのだ。変質者の車から降りる私を目撃していた少年のまなざしに。
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