(2)「ロリコンには二種類しかないのよ」

 

「ったく、キョン子ちゃん、まわりを見てみてよ」

 さて、ぬいぐるみショップにて、ハジけとんでいた私の魂は、イツキの声に鎮められる。

「子供にもあきれられてるじゃん。あそこにヘンなお姉さんがいるって」

「そ、そう……」

 さすがに私は口をつぐむ。 

 ここには知り合いが一人もいないから羽目を外してもいいかな、と思っていたが、子供たちの視線の冷たさは、私を冷静にさせた。そう、子供だって我慢しているのだ。

 それでも、私は浮かれたかった。先ほどの人生初ナンパで取り乱した失態を忘れるために。

「じゃあイツキちゃん、私の夢を語っていい?」

「どうぞ」

「私ね、お金持ちになったら、ぬいぐるみ専用の部屋を作りたいのよ」

「それって倉庫みたいなの?」

「ちがうよ、ちゃんとした部屋だよ。そしてね、寝る前にその部屋に入って、夜に一緒に過ごすぬいぐるみを選ぶわけ。だって、想像してみてよ。ひとつのぬいぐるみを抱いて寝る私を、ほかのぬいぐるみたちが悲しそうな瞳で見つめている光景を! 選ばれなかったという悔しさと、愛されていないという不安に、夜の間、ぬいぐるみたちは押しつぶされそうになるかもしれない。だから、部屋を分けておくの。そして、私の部屋にぬいぐるみを持ちこむのはひとつだけにする。こうすれば、きっと、すべてのぬいぐるみが嫉妬せず、私を愛してくれると思うんだよ。ねえ、そんな生活、イツキちゃんはあこがれたりしない?」

 私は瞳をかがやかせて、そんな妄想語りをする。

 しかし、イツキの反応は冷淡だった。

「うわー、キョン子ちゃん。その妄想はちょっと気持ち悪いんだけど」

「い、いや、べつにぬいぐるみに魂があるとか信じてるわけじゃなくて」

「だってさ、それ、みつる君と一緒じゃん」

「え?」

 突如、出てきたみつる先輩の名前に私はとまどう。

「みつる君のやってるエロゲって、そういうハーレム願望を満たすものだから」

「いやいやイツキちゃん、ぜんぜんちがうって! 乙女の夢と18禁ゲームと一緒にしないでよ!」

「そう? 性犯罪者なんて、女の子をぬいぐるみ扱いしているから、あんな事件を起こしてると思うけど」

「う…………」

 いわれてみればそうかもしれない。

 自分の欲望のままに女性に暴力をふるう性犯罪者は、相手を人間と考えないから残酷なことができるのだ。

 ハーレム願望も同じようなものだろう。かのジンギスカンは、征服した民族から美女を召し上げてハーレムを作っていたが、彼にとって美女は人間ではなく戦利品だったのだ。ジンギスカンのハーレムは、スケールはちがえど、オタクのフィギュアコレクションに似たものではなかったか。

「それに、みつる君はゲームはゲームとわりきっているけど、キョン子ちゃんはお金があったらそうしたいって願望だから、よりアブないと思うんだけど」

「そ、そんなことない。まだ18歳じゃないのに18禁ゲームをやってるみつる先輩のほうが、ずっと変態だって!」

「でも、みつる君は自分のファンクラブの子に手を出したりしてないじゃん」

「そ、それは……」

 私は口を止める。

 あの七夕の星空観賞会のとき、私はみつる先輩の本命が誰であるかを知った。そのことをイツキに話すわけにはいかない。

 ただ、イツキのいうとおり、みつる先輩が現実とゲームの区別をしていることは認めないわけにはいかなかった。

「……たしかに、私は想像力が足りなかったかも。ぬいぐるみ専用の部屋なんて、女の子の監禁部屋みたいなものかもしれなくて」

 私は反省する。いつもみつる先輩を変態呼ばわりしていたが、私だって変質者になる可能性があるのだ。

「って、あんまり本気にしないでよ、キョン子ちゃん」

「いや、ぬいぐるみだって、ひとりだけを愛さなくちゃいけないよね。いくらお金があったって」

「で、キョン子ちゃん、どうする?」

「どうするって」

「買うんじゃないの? あんなに叫んでたぐらいだし」

「だって、エア買いルールが……」

「そんなルールなんてないって。どうせキョン子ちゃん、それなりにお金持ってきてるんだよね?」

「そ、そうだけど……」

 あくまでも万が一にそなえてだが、私の財布はいつもよりも重い。

 ただ、エア買いルールだから気軽に楽しんでいたのであって、本当に買うとなると話は別だ。このぬいぐるみパラダイスからひとつだけ選ばなければならないのだ。

「イツキちゃんさ、私の部屋って、ぬいぐるみ禁制なんだよね」

「へ? キョン子ちゃんの家って、そんな謎ルールがあるの?」

「ちがうよ、親じゃなくて私がそうしてるんだよ。だって、弟がいるから」

「それって関係あるの?」

「もし、私の部屋にぬいぐるみがあったら、弟にナメられるかもしれないんだよね」

「へえ、そんなものなんだ」

「私は姉の威厳を保ちたいから」

「じゃあキョン子ちゃん、部室に置いておくのはどう?」

「うーん、それはそれで」

 私が言葉につまるのを見て、イツキはうれしそうな顔をする。

「ははーん、団長にバカにされるのが怖いんだ」

「そ、そうじゃない……いや、そうかも」

 私は素直に打ち明ける。

 もし、私がぬいぐるみを持ちこんだら、我らが団長ハルヒコはどんなことを言うだろう。「これだから女子は」と冷たい目をされるかもしれないし、「キョン子もそんな趣味あるんだな」と感心されるかもしれない。いずれにせよ、デリカシーの無さには定評のある涼宮ハルヒコ君のことだ、きっと私の神経を逆なでするようなことを言うだろう。

「じゃあ、あたしが買ってあげようか?」

「え?」

 考えあぐねていた私に向かって、イツキはそんな提案をした。

「あたし、あの部室、ちょっと殺風景だと思ったんだよね。だから、マスコットがわりにいいかな、って」

「じゃ、じゃあ、私もお金出すよ」

「気にしなくていいって。あ、あれ買おうっと」

 私に意見を求めることなく、イツキはすたすたとそのぬいぐるみを持ち上げて、レジに行く。あまりの素早さに、私は一緒についていくこともできなかった。

「へへへ、買っちゃった」

 やがて、会計をすませたイツキがぬいぐるみをかかえて戻ってくる。胸にまかれているリボンはお買い上げのしるしなのだろう。

「はい、キョン子ちゃん」

 そして、イツキはそれを私に渡す。さからえずに私は受け取る。

「帰りはキョン子ちゃんが持っててもいいからね」

「そ、それって……」

「もちろん、あたしが買ったから、あたしの部屋に持って帰るけどね。すぐに、部室に持っていってあげるから」

「い、イツキちゃん……」

 私は感激した。まるで、私へのプレゼントのように思えたからだ。

「もしかして、キョン子ちゃん、泣いてる?」

「そ、そんなことない」

 私はあわてて涙をぬぐう。ぬいぐるみをかかえて、うれし泣きする女の子。うん、女子高生らしくない。でも、ちょっとぐらいはいいじゃないか。姉でもない、SOS団員でもない、ただの女の子になりたいときだって私にはあるんだ。

「そんなキョン子ちゃんに、ひとつ悲しいお知らせがあるんだけど」

「なに?」

「帰りの電車代、使っちゃった」

「へ?」

「ここのぬいぐるみって予想よりも高いんだね。おかげで、あたしの財布はスッカラカンなんだけど」

「そ、それって……」

 私は血の気がひいていく。私の財布には、二人分の交通費は残っている。とはいえ、かなりの金額である。ぬいぐるみを買ってやったんだからそれぐらいは払え、と言われても困る。必ず返すから貸してくれ、あんたとあたしの友情はそんなものなのか、とつめよられたら、どうしようもない。自分でお金を稼いだことのない私に、お金の貸し借りは許されないことなのだから。

「そ、そんな話だったら、これ、買わなくても……」

「でもだいじょうぶ! こんなこともあろうかと、車持っているヒトに連絡済だから」

「どういうこと?」

「そのヒトに送ってもらったらタダで帰れるんだよ。もちろん、キョン子ちゃんも一緒にね」

「え? 私も?」

「そうだよ。一緒に帰りたいからね」

「でも、その人って、どんな人?」

「まあ、親戚のおじさんみたいなヒトだよ」

「う…………」

 イツキにそんな親戚がいたなんて初耳だった。でも、私にとっては他人当然であるわけで、そんな人に送ってもらうぐらいならば、自分のお金で帰りたい。

「ちなみに、そいつ、ロリコンだから」

「は?」

「悪いヒトじゃないんだけどね」

 イツキはなんでもない表情で、そんなとんでもないことを言った。

 

     ◇

 

 ロリコンだけど良い人というものは、この世に存在するのだろうか。

 例えば、不良ならわかる。不良はたいてい悪いヤツだが、良いヤツだっているだろう。弱い者イジメを許さなかったり、自分の正義をつらぬくためだけに暴力をふるうヤツとか。

 しかし、ロリコンはちがう。無力な少女に欲情する時点で悪である。絶対悪である。それ以外の要素がいかに優れようともマイナスではないか。

「ねえイツキちゃん。良いロリコンって存在するの?」

「キョン子ちゃん、そんなのいるわけないじゃん。ロリコンには二種類しかないのよ」

「二種類?」

「そう、悪いロリコンとバカなロリコン。で、今から来るヤツはバカなロリコンのほう」

「バカなロリコン?」

 頭に疑問符を浮かべている私にイツキが笑う。

「そのヒトさ、あたしが小六のときに告白してきたんだよ」

「そのとき、その人って何歳だったの?」

「30歳」

「ろ、ロリコンだぁ!」

 私は叫ばずにいられなかった。

「しかも、その人、小六のあたしにポエムで告白してきたんだよ」

「ぽ、ポエム?」

「うん、メールの制限文字オーバーしてたから、何書いているのかよくわからなかったけど」

「うわぁ」

 たまらずに私はうめき声をあげてしまう。

 私がこれまで聞いたなかで、ダントツで気持ち悪い体験談だった。30歳のくせに小学生の女の子にポエムで告白するなんて、気が狂っているとしか思えない。

「で、イツキちゃん、そのメールどうしたの? 母さんに見せたりした?」

「ううん、なんかママに話すのがもったいない気がしてね。そうすれば、そのヒト、二度とあたしに話しかけられなくなるじゃん」

「いやいや、通報すべきだよ。30歳で小学生に告白するなんて、どうしようもないって。変態だよ。ロリコンすぎるよ!」

「それより利用したほうがいいかな、ってあたしは思ったのよ。そのポエムの気持ち悪さに、ビビっときたんだよね。これを利用すれば、このヒトは生涯あたしに頭が上がらないぞ、と」

「そ、それは……」

 私は小学時代に、そんな計算高いことなんて考えられなかった。

 自分の親戚を想像してみる。私が知っている親戚のおじさんに独身の人はいなかったはずだ。いや、私の知らない独身おじさんだっているかもしれない。もし、その人から告白されたとする。しかも、制限文字を超えたポエムめいた告白文を。

 これはもう、トラウマものの恐怖ではないか。

「まあ、あのときのあたし、かわいかったから仕方ないと思うけどね」

「今もかわいいしね」と私はあいづちを打つ。

 イツキはそれに軽く微笑んだあとで、

「でも、そのヒトはロリコンだから、小学生のあたしが一番かわいかったとか言いそうなんだよ」

「そのかわいいっていうのは、美人とかそういうんじゃなくて、子供らしさって意味じゃない?」

「ちがうちがう。もし、あたしを子供あつかいしてたら、せめてあたしのママに媚びを売るとか、もっとやり方があるはずじゃん」

「そうだよね。小学生だったら親に報告するのが当たり前だし」

「そんな裏工作もせずに告白してきたんだよ。まさか、緊急用にメルアドを教えた日の夜にそんなポエムが届くとは、小学生のあたしには想像もできなかったよ」

 普通の女子相手でもダメなパターンじゃないか、それ。

 告白というものは、もっと手順を踏まなければならないはずだ。断られたら一巻の終わりの大勝負なのだ。まわりを味方につけたり、相手が自分をどれほど大事に思っているか試したりと、準備期間が必要なのだ。もちろん、本番でも女の子にOKと言わせる雰囲気づくりをしなければならない。男子の勢いだけの告白に女子が平手打ちを浴びせてしまう例があるように。

「だから、バカなロリコンなんだよ。そのヒト」

「じゃあ、もう一つの悪いロリコンって……」

「そう、子供のまわりの大人を味方につけたあとで手を出すロリコン。こいつらのほうがずっとタチが悪い」

「そんな人っているの?」

「いっぱいいるよ。だから、ママに相談すれば何とかなると考えるのも問題なんだよね。オトナって意外と頼りにならないものよ」

「そ、そうなんだ……」

 私は美人に生まれなかったことを幸せだと感じた。イツキちゃんは、小学時代からそんな修羅場をくぐってきたというのか。

「で、あたしたちはそのヒトに車で送ってもらうんだけど」

「ダメよ!」

 私はすかさず口にする。

「そんな変質者の車に乗るなんて、何が起こるかわかったもんじゃない。危険すぎるよ!」

「いいじゃん。そのヒト、真性ロリコンだから、いくら胸がなくても女子高生のキョン子ちゃんは対象外だよ」

「いや、胸の大きさは関係ないと思うけど」

「それに、これはキョン子ちゃんの『社会勉強』だから」

「あのとき言ってたのって、このこと?」

 さっき、人生初ナンパで動揺した私に、イツキは社会勉強が必要だと言った。

 しかし、ロリコンの運転する車で送ってもらうことの何が社会勉強になるというのか。

「だいじょうぶだいじょうぶ。このイツキちゃんに任せなさい!」

 えっへんと胸を張るイツキを見ても、まったく安心できない。

「ねえイツキちゃん、その人って30歳なんだよね?」

「いや、今は35歳」

「そ、そうだよね……」

 私は35歳といわれても、漠然としたイメージしか浮かばない。私の父は四十代だし、ロリコン野郎と同列に語るのはさすがに失礼だ。

 私はテレビのニュースで一瞬だけ映る、護送される性犯罪者を連想する。彼らのなかにも三十代男性がいたはずだ。そういう危険人物とこれから私は顔を合わせるわけだ。しかも、手錠もしていない、自由に動ける状態で。

「まあ、いざというときは、その子が守ってくれるし」

 私がかかえるぬいぐるみを指さして、イツキは言う。でも、ロリコン相手に、ぬいぐるみが頼りになるだろうか。

「それより、キョン子ちゃんは、しっかり勉強してよね」

「だから何を?」

「世の中にはどうしようもないクズがいるってことよ」

 これから車で送ってもらう人に対して、イツキは失礼きわまりないことを言う。

「ちなみに、そのヒトのことは、フジさんって呼んであげて」

「富士山?」

「ちがうってキョン子ちゃん。フジワラって名前だから、略してフジさん」

「立派な名前じゃん」

「中身はロリコンだけどね」

「……しかも、35歳なんだよね」

 私は常識人だから、みつる先輩などの一部の例外をのぞき、年上には敬意を払わなければいけないと考えている。しかし、35歳ロリコン野郎に敬意を抱く必要なんてあるんだろうか。小学生の女の子に告白するような変質者に。

 私には帰りの交通費がある。わざわざ35歳ロリコン野郎に送ってもらう必要はないのだ。

 ただ、イツキの話に好奇心を持ってしまったことも事実だ。イツキが一緒なんだし、身の危険に陥ることはないだろうと、私は楽観視してしまった。イツキのことだから、私を驚かせるためにウソをついているのかもしれないし。

 

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