エンドレス・サマー

(1)「キョン子ちゃんに社会勉強させなくちゃ」

 

「うひょーー!」

 八月半ば、郊外のアウトレットモールにて、私は奇声をあげていた。

 夏の暑さで頭をやられたせいではない。目の前にパラダイスが広がっていたからだ。

 ここは某ブランドのクマのぬいぐるみ専門ショップ。雑誌で見たことはあったが、実際に目にしたときの衝撃は想像をはるかに上回っていた。いたるところに、大小様々なぬいぐるみが私を待ちかまえているのだ。歓喜のおたけびをあげないほうがおかしい。

「ちょっとキョン子ちゃん、ハシャぎすぎだって」

「これがはしゃがずにいられようか!」

 私はあきれているイツキに言い返す。

「できれば、私は全力ダッシュして、そのままダイブしたいぐらいなのよ!」

「……キョン子ちゃん、そこまでなの?」

「そりゃそうでしょうよ。プリン好きな人が、プリンいっぱいのプールに飛びこみたいように、私だってぬいぐるみパラダイスの中に飛びこみたいのよ!」

「じゃあキョン子ちゃんさ、UFOキャッチャーになっちゃえば? いつでもぬいぐるみをつかみ放題だよ」

「そんなのダメよ! 私は自分の意志で、自分の手と足で、ぬいぐるみの海にダイブしたいんだから!」

「そ、そう」

 さすがのイツキも、私のぬいぐるみ愛の前にはタジタジみたいだった。

 実は私、これまで隠していたが、かなりのぬいぐるみ大好きっ子なのである。マンガに出てくるような、ぬいぐるみに囲まれたヒロインの部屋がうらやましくて、それを見るたびに、ため息をついたものだった。

 そんな私の部屋に、なぜ、ぬいぐるみが一つもないのか。

 それは弟のせいである。

 かつて、私はクマのぬいぐるみをいつも抱えて歩く女の子だったという。そんな私に母さんはこう言ったらしいのだ。

「お姉ちゃんになるんだから、クーちゃんとは卒業しないとね」

 ちなみに、クーちゃんというのが、当時のぬいぐるみの名前だ。私がつけたのか、母がつけたのかは覚えていない。

 ともあれ、弟が生まれてから私は姉らしくふるまうことが求められた。例えば、家族ショッピングのとき、弟がオモチャをねだるのをたしなめるのが姉の役目である。姉の私がものを欲しがることは、我が家では許されないことなのだ。

 それに、私自身、かわいい姉よりもカッコいい姉だと思われたい野心があった。「お姉ちゃんってスゴい!」と弟に感嘆されることが私の夢なのだ。だからこそ、私はみずからのぬいぐるみ愛を泣く泣く封印したのである。

 今、その封印が解かれたのは、しかし、弟がいないだけではない。イツキが相手だからだ。もし、クラスメイトのクニやグッチと一緒だったら、私が奇声を発することはなかっただろう。

 というのは、グッチは相当に「女子高生らしさ」というものにこだわっているからだ。グッチが言うには「女子高生は人生でもっともモテる時期」であり、このときに「将来の旦那さん候補を見つけていないと負け組決定」となるらしい。だから、異性を意識した魅力的なふるまいをしなければならないという。

 そんなグッチの前で、ぬいぐるみ相手にハシャいだところで「女子高生らしくやれ」とか「彼氏の前でやれ」と説教されるのが山なのだ。「うひょー」ではなく「カワイイ!」とあざとい猫なで声をあげなければならないと。

 私の意見を言わせてもらうならば、そんなふうに必死で彼氏を探しているとナメられると思う。あせって告白したところで「チョロい女」と軽く受け止められるだけではないか。

 その点、イツキはちがう。古泉イツキちゃんという女の子は、女子高生とかそういうのを超越したところがあって、私が笑えば一緒に笑ってくれるし、私のグチにも付き合ってくれる。いわゆる本当の自分が出しやすいパートナーなのだ。ただし、ワガママで気まぐれだから、イツキと一緒にいると周りをすべて敵に回しかねないところがある。多数派に属したい人にはオススメできないタイプの子だけど。

 さて、今回、夏休みだからとイツキが提案したアウトレットモールに二人で行く計画に、最初私は乗り気ではなかった。イツキと一緒に買い物をしても、彼女のルックスやセンスの良さに圧倒されて、劣等感を抱いてしまうのではないかと心配したからだ。美人の友達を持つことは、メリットと同じぐらいのデメリットがある。

 それに、私はお小遣いがそれほど多くない。ショッピングに行ったところで、ほとんど買い物ができない。

 そう説明したら、イツキはこう答えたのだ。

「じゃあ、なにも買わないことにしようよ。見て回るだけのエア買い。それなら、お金つかわないからいいよね?」

「それって楽しいの?」

「うん、エア買いって超楽しいよ。キョン子ちゃんは聞いたことない? 『エア買いで広がるわたしのおしゃれ地図』ってキャッチコピー」

「お、おしゃれ地図?」

 かつて、伝説のイケメンがまとったといわれるオシャレ七神器。しかし、意中の女子を奪われたモテない男子たちが結託し、イケメンからオシャレ七神器を奪い去り、それぞれを封印した。その地が記されているのが、かのオシャレ地図なのだ!

 と、こういう妄想をしてしまうから、私は女子らしくないと言われるのである。

「まあ、お金使わないんだったら、いいかも?」

 その約束から数日後、私とイツキは電車とバスを乗りついで、地方随一のアウトレットモールにでかけたのだ。

 そして、イツキのエア買いが始まった。イツキはアパレル店員の人と気さくに話し、試着までしたのに、それを買わないのである。美人でスタイルの良いイツキは、店員さんの注目をひいていた。私はいつも「ついで」に声をかけられただけだったが、そんなあつかいの悪さにくじける私ではない。イツキが様々な服を試着する姿は見ているだけでも楽しいものだったからだ。

 こうして、店員さんとペチャクチャしゃべったくせに何も買わないイツキに、私はたまりかねてたずねてみた。

「ねえ、さっきのかなり似合ってたと思うけど、ホントに買わないの?」

「だってキョン子ちゃん、こんなところで買ったら高いじゃん。帰ってから、ネットで調べてみるつもり」

「そう言って、帰ったら忘れてるくせに」

「ははは、そうだよね。でも、確実にあたしのおしゃれ地図は広がっているのよ!」

「そういうものなの?」

「もちろん、キョン子ちゃんのおしゃれ地図もね」

 たしかに、こういうことをくりかえしてファッションセンスは上昇するのだろう。雑誌を見てきれいなモデルにため息をついているだけでは、オシャレ地図は広がらないのだ。

「でもイツキちゃん、何も買わないっていうのは、かわいそうだと思うんだけど」

「何がかわいそうなの?」

「だって店員さん、必死でイツキちゃんにセールスしてたし。何も買わなかったら、あの店員さんの時間がムダになってしまうんじゃ」

「そんなこと気にしたってどうしようもないって。あたしたちが買わなくても、ほかの誰かが買うわよ。忙しいけどお金は持ってる社会人とか。あたしたちは貧乏な女子高生にすぎないんだからね」

「そうだけど……」

 私は試食というのも素直に楽しめない性格だから、試着だけして何も買わないことに後ろめたさを感じてしまう。

 それはきっと、いやしいと思われるのが怖いからだろう。「お金もないくせに」という店員さんの視線が恐ろしいからだ。イツキと一緒とはいえ、私に「お金がなくて何が悪い」と開き直るほどの余裕はなかった。

 それでも、私がイツキについていったのは、最後の最後にとっておきの店に行く約束をしていたからである。それが冒頭で私が奇声をあげた、某ブランドのぬいぐるみショップであることはいうまでもない。

 しかし、そこにたどり着くためには、さらなる壁が立ちはだかっていた。

 ナンパである。

 イツキのような子と一緒にいるのだから、そういう事態は想定していた。でもまさか、私が標的になるとは思わなかったのだ。

 イツキのトイレを待っている間、一人でベンチに腰掛けながら、ぼんやりと行き交う人を眺めていた私に、背後から聞きなれない声がした。

「ねえきみ、これから予定ある?」

「はい?」

 思わず振り向いてしまった私が目にしたのは、見知らぬ男三人組だった。おそらく大学生だろう。これまで会ったこともないし、知り合いという可能性もない。

「ちょっと、オレたちと遊ばない?」

「はい?」

 答えた数秒後に気づいた。もしかして、私、ナンパされてる? いや、まさか。

「あの、わ、私、友達を待ってますので」

 あわてて返事をした私に、男性三人組はさらなる声を浴びせる。

「だから、その友達も一緒にさ」

「オレたち車で来てるから、これからどこへでも行けるよ」

「きみの家、どこらへんなの? 帰りは送ってやるからさ」

「い、いえ……」

 想定外の事態に私はパニックに陥っていた。

「ちょっとちょっと、あんたたちなにしてんの!」

 そんな私に頼りになる声が聞こえてくる。あわててかけよってくるイツキに、しかし、男性三人組は動じることはない。

「俺たち、きみたちと一緒に遊びたくてね」

「遊ぶってなにするの?」とイツキ。

「俺たちの車、女の子二人は乗っけられるからさ」

「カラオケに行ってもいいし、海にだって行けるぜ」

「そうそう、君たちの好きなところに連れて行ってやるよ」

 そんな見知らぬ年上男性を相手にしても、イツキの口調はひるまなかった。

「あたしは今、この子と買い物してるんだけど」

 それでも、三人組は口を止めない。

「だから、俺たちと遊べばもっと楽しくなれるって」

「そうそう、この子だって一緒に誘ってやってるんだから」

「うん、俺たち紳士だからさ。女の子を一人にはしないって」

 ここまで言われてやっと私は気づいた。やっぱり、こいつらイツキが目当てだったのか。あくまで私はオプションにすぎなかったのだ。

 つまり、落としやすそうな地味なほう(私のことだ)をまずターゲットにして、本命のイツキを巻きこもうとしたわけだ。なんとも腹立たしい作戦であったが、私はうまく断れずに話に引きこまれたのだから、作戦は成功していたといえる。

 しかし、イツキは彼らが思うほど甘い女子ではない。

「せっかく、キョン子ちゃんと二人きりで買い物してるんだから、そのジャマをしないでよ!」

「あ、ああ」

「わ、わかったよ」

「ちっ、せっかく誘ってやったのに」

 そんなカッコ悪い捨てセリフをはきながら、三人組は私たちから去っていく。

 それを見て、ふん、と鼻息をもらすイツキに私は声をかけた。

「あ、ありがとう、イツキちゃん」

「ったく、キョン子ちゃんがしっかりしてたら、もっと簡単に追い払えたのに」

「ご、ごめん」

「あやまることなんてないよ。だいたい、アイツらの楽しいことなんて、自分たちの好きなことを押しつけるだけなんだから、クッソつまんないよ」

「そうだよね」

 まったく、あの男たちの自信はどこからくるのやら。

 でもナンパなんて、下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる、みたいなもので、断られてもくじけないタフさがなければ、できないものだろう。

「キョン子ちゃんのこういう世間知らずなとこ、かわいいと思うけど、いつまでもそのままだと今の世の中アブないよ」

「そうだよね」

 私は想像する。もし、グッチがナンパされたらどうだろう? きっと有頂天になって、クラスで自慢話をするだろう。でも、その先に、幸福が待っているかといえば疑問だ。もしかしたら、グッチにとっての、将来の旦那さん候補が見つかるかもしれないけど、少なくとも私はそうじゃない。

 だから、話を聞くだけムダだったのだ。ナンパされる私って結構かわいいかも、と調子に乗ると、とんでもない代償を背負うことになる。

 電話詐欺とか、宗教の勧誘とか、世の中はいろんなワナが仕掛けられている。見知らぬ他人におだてられて舞いあがるのは、とても危険なことなのだ。キッパリと断らなければ、つけこむスキを与えるだけなのだ。

「ふうむ、これはキョン子ちゃんに社会勉強させなくちゃいけないかもね」

 イツキは物騒なひとりごとをつぶやく。

 思えば、これが後の厄介な出来事の発端となったのだが、私は聞こえないふりをした。

 

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