(5)「それが七夕の奇跡なの?」
「あ、流れ星」
ハルヒコ談義がもたらした知恵熱を冷ますべく、ぼけーっと星を見ていた私は、その一瞬の輝きに心を奪われた。
そうだ、今は流れ星に願いごとをする絶好の機会なのだ。
流れ星が見えている間に、三度願いを言うことができれば、その願いはかなう。
かつて私はそれを信じていて、できるだけ願いごとをシンプルにしようと考えたものだ。
今こそ、それを実践するときだ。次に流れ星を見たときに、私は叫ぼう。「カネカネカネ!」と。
「そういやキョン子って、流れ星を英語でなんていうか知ってるか?」
「また、あの話の続きなの?」
私はうんざりした目つきでハルヒコを見る。
「ちがうって。ただ質問してるだけだ」
「シューティング・スターでしょ? 私でもそれぐらい知ってるから」
「そうだ、シューティングだ。フォーリング・スターじゃない。つまり、落ちる星じゃなくて、射つ星ってことだ。バンッ!」
そう言いながら、ハルヒコは人差し指をつきたてて夜空を射撃する。
私はひそかに、ハルヒコのガキっぽい仕草は悪くない、と思っていたのだが、今回のそれはあまりにもバカらしかった。
「……それがどうしたの?」
「だから、昔の人は、流れ星のことを、天幕を破って神の国に達しようとする魂だと思ってたんだ。つまり、流れ星を死者の魂ととらえていたんだよ」
「はぁ? だって、流れ星は落ちるものでしょ?」
「でも、昔の人は肉眼でそう見ていたんだ。だよな、長門?」
ハルヒコは後ろにいる長門くんに話題をふった。
「そうだ。キリスト教圏では、そのようにとらえる文化があったという」
「あー、あのガリレオを否定したキリスト教ね」と私。
「どれが惑星かわからないおまえに、そんなことを言う権利はねえよ」とハルヒコ。
「じゃあさ、流星群とか見たら、昔のキリスト教徒は、たくさんの人が死んだと思ったわけ?」
「ああ、遠くのどこかで戦争や災害が起こったと信じて、その魂が安らかになるように祈ったんじゃないかな」
「その祈りはまったく見当ちがいだけどね」
「そうか?」
「はぁ? あんた、キリスト教徒なの?」
「そういうことじゃねえよ。ただ、昔の人が死者の魂を思って星空を見たという文化について俺はよく想像したもんだ」
「だけど、ここは日本。クリスチャンの国じゃないからね。そんなこと考えても意味ないじゃん」
「なに言ってるんだ。七夕なんて、その最たるものじゃないか?」
「へ? 七夕が?」
カタカナにまみれたハルヒコの言葉から、不意にあらわれた漢字に私は驚く。
「七夕が死者の魂と何の関係があるの?」
「旧暦では、七夕はお盆と同じ時期だったんだ。旧暦七月十五日がお盆で、七月七日の七夕はそれに連なる行事の一つだったんだよ」
「長門くん、そうなの?」
私は後ろのメガネ男子にたずねる。
「ああ。お盆というのは、そもそも盂蘭盆会(うらぼんえ)と呼ばれていたもので、旧暦七月に行われていた仏教行事だ。十五日の中元がもっとも有名だが、伝統的には旧暦七月一日からお盆に入り、故人を迎える準備を始めたものだ。七夕もその盂蘭盆会の行事の一つであり、だからこそ、俺は短冊に故人のメイスンのことを願ったのだ」
それはまったく知らない事実だった。私にとってお盆とは八月十五日のことであり、七夕とはぜんぜん関係のない行事だった。
「じゃあ、どうして、彦星と織姫の伝説が生まれたの?」
「その伝説については様々な説があるんだが……」
ハルヒコはアゴに手をあてながら、
「天の川を三途の川ととらえていたとも考えられてるんだよ」
「へ? ということは、彦星と織姫って、どっちかが死んでるの?」
「ああ、だから、年に一回しか会うことができないという設定になったらしい」
「つまり、生者と死者が年に一度だけ会える日。それが七夕の奇跡なの?」
「そういう説もあるってことだよ」
ハルヒコの答えはにわかに信じがたいことだった。
もし、そうであれば、商店街に飾ってある無邪気な子供の願いごとは、すべて台無しになるではないか。
死別したものの、互いを忘れられず、年に一度の奇跡を待ち望んでいる織姫と彦星。そんなカップルに「成績が良くなるように」とか「お金持ちになりたい」とか願いをたくすなんて。
「まあ、旧暦の七月七日なんて、月の形が半月だから、星空を見るのには向いてないんだけどな」とハルヒコ。
「そうね。旧暦って、月の満ち欠けをもとにしているから」と私。
「なぜ、七日になったのかといえば、桃の節句や端午の節句に合わせたという事情もあるらしい」
「なるほど。三月三日、五月五日ときて、七月七日と」
「だから、七夕には子供向け行事という背景もあるんだ。そんな色々な物語が今の七夕を形作っている。盆の行事としての七夕。節句としての七夕。どれが正解でどれがまちがいってわけじゃなくて」
「へえ」
たしかに、私たちは多くのことを知らないままでいるのかもしれない。電子レンジの仕組みすらわからないまま、コンビニで「あたためてください」と言うように。
「ともあれ、キリスト教圏でもこの日本でも、星空にまつわる行事は、死者の魂に関するものが多いんだ」とハルヒコ。
「どうしてなの?」と私。
「おまえ、どんなときに星空を見るか考えたことないか?」
「考えたこともない」
「そりゃ今のおまえが幸せだからだよ」
ハルヒコはやけに優しい口調で言った。
「世の中にはどうしようもならないときがある。そういうとき、人は夜空を見たものだ。誰にも言えないことを、夜空に向かって話しかけたんだよ。星空を見ることは、孤独と向き合うものだからな」
そういえば、こいつは家族同然の愛犬を亡くした過去があるんだっけ。
私は幸せなことに、知人を亡くしたことはない。親戚のお爺さんが死んで葬式に出たことはあるけど、ほとんど会ったことがない人だから、あまり実感がなかった。
だけど、ハルヒコの言葉は私の心に珍しく響いた。
大事な存在を失ったから、ハルヒコは必死に探していたのだ。星空の形にも、何かの意味があると信じて。
「……そうだったんだ」
「中河さん?」
すっかり忘れていた知人の声に、私は驚いて振り向く。
いつの間にか、イツキとのガールズトークは終わっていたようだ。
「アタシ、それが知りたかったんだ。どうして人が星を見ているのか? あの人が星を見ていたのもきっと……」
「あの人って、誰?」
ふとたずねた私の言葉に、中河さんは笑って答えた。
「それは秘密、かな?」
その声は先ほどまで大げさにしゃべっていた口調とは全然ちがうもので。
「今日は良い話が聞けたよ。ありがとう、涼宮くん。そして清水さん」
「へ? 私がなんで?」
お礼を言われて驚く私に、イツキが声をかけてきた。
「だって、キョン子ちゃんがいなかったら、こういう話、聞けなかったからね」
「そ、そう?」
私にはよくわからなかった。
イツキに彼氏のグチばかり言っていた中河さんの、七夕の星空を見たかった理由。
そして、私がここにいることの意味。
それでも、満天の星空はとてもキレイで、まるで私が生きていることを祝福しているように感じた。
たしかに、昔の人の考えていることは悪くないと思った。
あの光の一粒一粒が死者の魂と考えれば、なんと心強いことか。いろんな人が生まれて死んで、今の私がいる。
そんな生の実感を、星空を見ながら、私は確かめていた。
……たぶん、それは錯覚にすぎないだろうけど。
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