第39話エピローグと影を愛する少女

 空が闇からうっすらと藍色に変わっていく。

 夜が明けようとしている。

 その夜明け前の寒空の下で、一人の少年と三人の少女が集まっていた。

 祐樹と亜利奈、ミスト、ローゼ姫だ。

 イスキー邸のあちらこちらに見受けられる激戦の跡をやや茫然と眺めながら、四人はとにかくそれぞれの無事を喜んだ。




「……ローゼ姫、本当に大丈夫なの?」

 祐樹が尋ねた。

「はい」

 ローゼは笑顔で頷き、

「〝危ない所を、亜利奈さんに助けて頂きましたから〟」

 後の部分が意味深に強調されていた。

 祐樹は不審に思ったのか首を傾げたが、あまり気に留めずに、

「そっか、偉いぞ亜利奈」

 と亜利奈の頭を撫でた。

 亜利奈は「えへへー」っとはにかみながらそれを甘受する。

 祐樹の前では小動物のように大人しい彼女を見て、その正体を知るローゼは複雑そうな顔をした。ローゼは強力な暗示で亜利奈の所業を説明することが禁じられているため、祐樹に彼女の本性を語ることができないのだ。

 殺人鬼の頭を撫でていた祐樹が、今度は、

「それで、グレンの奴はどうしたんだ?」

 と尋ねる。

「グレンは……」

 ちらりとローゼは陥没した穴を見る。

 瓦礫の下にはグレンとニッカが押し潰されたままだ。

 ローゼは少し何かに悩む素振りを見せたが、

「共犯者のニッカと共に逃げました。

 祐樹さんと亜利奈さんのお力に恐れをなしたのでしょう」

 と、説明した。

「そうか……くっそ、あいつタダじゃおかないからな!」

 よもやローゼが罵倒して殺したとは考えもしないのだろう。

「今度見つけたら新必殺技叩き込んでやる!」

 祐樹は憤って自分の拳を叩いた。

「ユウ君この世界に来てまだ一日目だよ?

 どうやって見つけるの?」

「うっ」

 亜利奈のツッコミに勢いだけの祐樹は言葉を失う。

 そんな二人を見ながら、ローゼは神妙な面持ちでいた。

 物憂げな顔で何かを言おうとしているのか、しかし言葉を引っ込め、再度意を決して祐樹に声をかける。

「……祐樹さん……、わ、私、祐樹さんに――、」

「ローゼ姫」

 その言葉を祐樹が遮った。

「――全部グレンがやったことだよ。

 姫は何も悪くない」

 ローゼは地下牢で祐樹にした仕打ちを謝罪しようとしたのだろう。

 操られていたとはいえ、唾を吐きかけ、死ねとまで言った事。

 相手次第では謝っても許されない行為だ。

 だが祐樹はローゼの謝罪を見越して、先に許してしまった。

「で、でも、それでは!」

「姫は悪くないし、何回も泣くところ見たくないし。

 ……気にするなってほうが難しいかもしれないけどさ。

 俺は怒ったりしてないし、逆に姫に謝られると困るよ」

「…………」

 ローゼは言葉を失くして、俯いてしまった。

「な、なにかな。ユウ君、お姫様となんかあったの?」

「お前は関係ない」

 首を突っ込んできた亜利奈を一蹴し、祐樹は、

「ああ、そうだ、こんな事してる場合じゃない!

 イスキー侯爵が捕まってるんだ、早く助けないと」

 と、亜利奈を伴って慌ただしく屋敷に向かっていった。

 ローゼはどうしたらいいのかわからない様子で、その背中を見送る。

 きっと彼女の気持ちは時間が解決してくれるだろう。


「――彼はああいってくれましたけど」


 そこに、この事件に巻き込まれ中心人物の一人となった少女が語り掛ける。

 イスキー邸のメイド、ミストだ。

 歴史の中では名前すら残さず、おそらくはグレンとニッカの野望に潰えた不特定多数の一人に過ぎなかったのだろうが、亜利奈の介入により霧の怪物に変身する能力を得て事件を解決に導く存在となった少女だ。

「祐樹は、姫の暴言で一度は死んだも同然の状態になりました」

 メイドであるミストは、遥か雲の上の身分を持つ姫殿下、ローゼ=ヴォーヌロマネ・グラン・クリュ・イワンを、恐れもせずキッと睨む。

「……なら、私にどうしろと言うのですか?」

「何も。謝罪も、慰謝料も彼は望みませんから。

 ただ覚えておいてほしいだけです。

 あなたの言葉であの人が死のうとすら思ったという事実を」

「――…………」

 ローゼは苦悶に歪む表情をしたが、苦い何かを飲むように喉を鳴らすと、

「わかりました。心に刻みましょう」

 と答えた。

 ミストは頷き、

「ご無礼をお許しください」

 と、本来の身分差らしい関係を示す恭しい会釈をした。

「それと、あともう一つ」

「今度は何ですか?」

 ミストはニコリと笑んだ。




「私は犬みたいに縋り付いて媚びるお姫様なんかに負けませんから」




 失礼します、ともう一度会釈をして、ミストは祐樹を追っていく。

「…………い……犬……、こ、媚び……」

 残されたローゼは最後の一言が最大のショックで、しばらく口を半開きにして茫然自失となる。実際心当たりがあるのだからなおさらだろう。

「……、

 …………、

 ……………………、」

 誰も居ないこの場所で、誰にも聞こえない声で、ローゼは呟いた。


(ゲロ吐きメイドめ、不敬罪で死刑にしてやる)


 そして大きく深呼吸してすっきりした顔になると、

「今のも全部、亜利奈さんの影響ですね、はい」

 と、便利に責任転嫁して祐樹の後を追った。





 屋敷に入っていく一同を、その屋根から見守る一人の少女が居る。

 メイド用のエプロンドレスが昇る朝日に照らされる。

 長く美しい銀髪が、早朝の風に靡いた。

 小柄なその姿は、年齢は十にも満たないようだ。

 彼女はウェルシュ夫人の傍につき、暴行を受けていたメイドだ。

 顔の傷はとっくに癒え、そればかりか気にしていないそぶりを見せている。

「私のドライ・カウンティ―をやっつけた、あの娘は誰?」

 長く艶のある銀髪をしきりに撫でながら、今度は空を見上げる。

 怪物が亜利奈の手で粉みじんにされた上空だ。

「わからないよ。でもすごく強かったね」

 会話をするように話すが、そこには少女一人しかいない。

「ねえ、私。……なあに?」

 彼女は自らに話しかけ、自ら答えているのだ。

「あの子なら私達の夢、叶えてくれるかな。

 わからないよ。

 ニッカさんの研究は役に立たなかったね。

 ニッカさんは嘘つきだったね。

 そういう言い方はよくないよ。

 でもホントの事だもん。

 今度はあの子に賭けてみようか。

 そうだね。でも準備が居るよ。

 新しいドライ・カウンティ―作らないと。

 そうだね。わくわくするね。うん!

 ……ねえ、――私」


 そして少女はうっとりした表情で、自分の身体を抱きしめた。


「愛してるよ私。

 ――うん、私も大好きだよ。

 ふふふっ……」


「ちぇ、チェイサーッ!!」


 そこに、闖入者が現れる。

 ……トリスだ。

「き、貴様、まさか侯爵の紛い物を寄越したのかっ!?

 お前の怪物はメイドに紛れ込ませる手筈ではなかったのか!?」

 チェイサーと呼ばれた少女はちっと舌打ちをした。

「だってそれ、グレンさんのお願いだから」

「嘘を言うなっ!!

 ……ええい、この際どうでもいいっ!

 貴様、グレン様をお助けする手立てを考えんか!」

 するとチェイサーは立ち上がり、

「ねえねえ、私。なに?

 邪魔されちゃったね。うん、ムカつくよね」

「はあ、お前、何を……」


「こいつ要らないよね? うん、要らない」

 チェイサーは二回頷いた。


「わけのわからんことを、いいか貴様、」

 トリスの言葉が詰まる。

 彼は突如現れた目の前の存在に、絶句していた。

 ……トリスだ。

「「なん……だと?」」

 二人のトリスは慄き、そして睨み合った。

「な、何者だ貴様っ!!」

「貴様こそ何者だっ!?」

「え、ええい、チェイサー、こんな偽物で惑わしおって!」

「偽物は貴様の方だッ!!」

「なんだと」「この」「くそ、やるか」「こいつ!」




「「あ――っ」」




 もみ合いになった二人のトリスは、足を踏み外し地上へ落ちていく。

 うち一人のトリスはすぅっと消え、地上には一人の転落死体だけが残った。

「あーあ。

 どうして私みたいに自分を愛せないんだろうね。

 かわいそう。ほんとにそう思ってる?

 ……もちろんうそ。もーっ!

 うふふ。あははっ」

 チェイサーは二人分の笑い声をあげながら、影の翼を纏い、空へ羽ばたいていった。

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