第19話浴場の誘惑

 トリスは憤りながら屋敷を歩いていた。

「まったく、一体何をお考えなのか!」

 ドゥミ嬢の付き人風情に高級な食事を与え、そして入浴までさせろと言うのだ。

 こんな馬鹿げた待遇、聞いたが無い。

 ……しかもあの男が平らげる食事はトリスのそれよりも値が張るのだから、なおさら頭にくる。

 腹に据えかねたトリスは食事前のグレンにそのことを告げ口してやった。

 するとどうしたことか。

 侯爵の子息グレンはニヤリと笑み、こう指示をした。



『それはいい。

 入浴の際にもメイドを付けてやれ』



『はああああああああっ!?』

 トリスは絶叫した。

 いつからこの屋敷は売春宿と成り果てたというのか。

 移り気で癇癪を起すウェルシュ夫人はさておき、功名心の野望に暮れる狡猾なグレンまで、これはどういう事なのか。

 もういい、理由は問わない。

 どのみち無茶な話だ。

『いくらメイドとはいえ、そのような指示においそれと従うふしだらな娘は雇っておりませんぞ』

『なあに、そこが重要なのさ。

 ……いいかい?』

 耳打ちで詳しく手筈を聞き、トリスはさらに驚いた。

〝蟲〟の話は知っている。

 だがまさかそんな事のために使うとは。




「えぇい、あの男のためにそこまでせねばならん理由がわからんっ!」

 むしゃくしゃするが、自分はイスキーに仕える執事。

 感情と仕事は切り離さなくては。

「おい、お前達っ!」

 ユウキが食事していた部屋に入り、片づけの真っ最中だった三人のメイド達を呼ぶ。

 こちらの苛立ちが伝わったのか、彼女たちは酷くおびえた様子で返事をした。

「ユウキ殿はどうした?」

「もう浴場に行かれましたけど……」

「なら丁度いい。片づけは他の者にやらせるから、お前たちは浴場に行ってあの情夫の接待をしてこい」

 そう言うと、メイド達は顔を見合わせて、少しばかり内容に悩んだ後、




「えーと?」

「それって、その、つまり……」

「一緒にお風呂に入れって事ですか?」




 予想通り、当惑した反応が返ってくる。

「そうだ。これ以上詳しく説明させるな。

 イライラしてくる!」

「いやでも!」

「さ、さすがにそれはちょっと……」

「ねぇ」

 これも予想通りだ。

 年頃の娘たちがこんな要求にはい、わかりました、行ってまいりますなどと二つ返事するはずがない。

 トリスは深いため息を吐き、ポケットから小瓶を取り出した。

「ワシはもう知らんからな。

 文句は全部夫人とグレン様に言え」









 メイドさんに案内され、俺は風呂場にやってきた。

 この屋敷には浴室がいくつも用意されていて、来客用は五つもあるらしい。

 一人一つの浴槽が割り当てられている計算のようだ。

 そういえば中世ヨーロッパ風のファンタジーなのに、風呂はあるんだな。

 まあ俺達の世界でも古代ギリシャやローマ時代には風呂が発展してたと言うし、こっちではそれが廃れることなく残っていたって事なのかもしれない。

 部屋に入ると、脱衣所と呼べる場所はちょっとした間仕切りぐらいで、ほとんどもう浴室と言っていい。

 湯気の向こうで、礼拝堂で見たような石像が幾つか並んでいる。

 広さは体育館の半分ほどで、浴槽それ自体はあんがいこじんまりしているな。

 石垣で四方を囲まれているが、天井は開きっぱなしの露天風呂だ。

 星空が良く映える。……でも雨の日はどうすんだろ、これ。

 浴槽を小さくしている代わりに、大理石でできたベットが置かれていた。常にお湯が流れる仕掛けが施されていて、体が冷めないようになっている。

 あれは体を洗って〝もらう〟ための台なんだろうな。

 案内してくれたメイドさんがこう言っていた。

『お風呂に入るのに、付き人の方は居ないんですか?』

『え、だって俺が付き人だし』

『そう……ですよねぇ。

 じゃあ、お体は誰が清めるんですか?』


 俺達の感覚だと体なんて自分でごしごしやるもんだが、こっちじゃ主人の身体をオイルで洗うのは付き人の仕事らしい。

 あかすりみたいなもんか。なるほど、散々男娼扱いされてきた理由が何となくわかって来た。みんなドゥミ嬢と俺が一緒に風呂に入ってるって思ってたわけか……。


 ――いやいやちょっとまて。


 ドゥミ嬢マジでどういうつもりでこの立ち位置設定したんだよ。

 つか今日の風呂とかどうするつもりなんだよ。期せずしてお姫様の身体を撫で回せるチャンス到来ってか。


 うひょーっ!

 オラなんだがワクワクしてきたぞ!



 ……まあ多分、屋敷のメイドさんを借りて済ませちゃうってオチなんだろうけど。



 馬鹿な妄想を着衣と共に脱いだ俺は、それをE:IDフォンに仕舞って、逆にタオルを取り出した。

 バスタオル用に麻布を貰ったが、こんなので身体を拭いたら棘が痛そうだし。

 スマホは外した方がいいのかな?

 ……見たところ防水性ぽいし、マジックアイテムに改造されたこれが水を浴びたくらいで壊れるとは思えないけど……。

 念のために側に置いとくようにして、外しておこう。



 木製の桶の一つにスマホを置き、もう一つでで身体を流して浴槽へ。



「ふー……っ」


 丁度いい湯加減に息が漏れる。

 やっぱり風呂はいい。

 日本人のDNAに刻印された風呂好き因子が小躍りしてやがるぜ。



 あー。

 思えば今日は長い一日だったな。



 学校の終業式を迎えたと思えば、亜利奈がどうやら勇者らしいことが発覚して、なし崩し的にこの世界に飛ばされた。

 こっちに来るなりオオカミモンスターやらゾンビやらと戦って、ローゼ姫と出会い、いつの間にかイスキー侯爵の陰謀を暴く手伝いをさせられてる次第だ。


 いやまったく、人生何が起こるかわからんね。

 結局メイド三人娘からはなんの情報も得られなかったし、怪しいと言えばあの地下通路ぐらいか……。

 風呂から出たら、亜利奈と情報交換しよう。イジメられてなきゃいいけど……。


「……そうだ。今日は亜利奈の誕生日だったんだよな……」

 なんか、ちゃんとしたプレゼントを渡しそびれっぱなしだな……髪の毛とかはあげたけど。

 こっちに来ちゃったらもうその辺で適当なのを見繕って済ませようとかできない。

 いつでもいいやって用意しとかないからこういうことになるんだよなぁ。

 どうしたもんやら……――、ん?



 ギィ……、と、扉が開く。

 間仕切りの向こうで、

「お湯加減はいかがですかー?」

 この声はミスト……さっきの三人娘の一人か。お風呂まで世話してくれなくてもいいのに。

 俺は身体の前面を隠すため、出入り口に背を向けて、

「ちょうどいいよ。ありがとう」

 と返事をした。

「そうですか、よかったです」



 バタン。

 扉のしまる音。出て行ったみたいだ。

 湯加減を聞いて回ってるのかな。



 このお湯ってどうやって沸かすんだろ。

 またあの魔法ケトル的な感じで給湯器が設置されてるとか?

 うーん。ま、どうでもいいけど。



 ちゃぷ……っ。



「――ほんとだ、いい湯♪」

「ん?」

 俺のすぐ側に、細い足が見える。

 それを辿ると、くびれたおへそ、それから、二つの膨らみ、華奢な肩、……そんでもって、

「ご一緒してもいいですか?」

 ミストの笑顔だ。

「ちょ、え、――うわあああああっ!!」

 なに、え、なにっ!?

 なんでこの子全裸でお風呂入ってるの!?

 いやお風呂入るんだから全裸なのは当然なんだけど!!

 ともかく俺は浴槽の対の淵に避難する。

 何が起こってる、どうしたらいい!?

 パニックになっていると、

「二人ともーっ! 早くおいでよー!」

 状況は悪化した。

「「はーい♪」」

 ハイボとトワイスだ。

 なんでこの子達お風呂入るのに全裸になってるの!?

 いやお風呂入るんだから全裸なのは当然なんだけどさぁ!!

 一気にのぼせると頭にあの独特な鈍痛が走り、俺の思考と判断力をぼやかす。

 とにかく、浴槽から逃げるぞ!

「あ、お背中洗いましょうか?」

 三人のうち誰かがそう進言してきたが、

「いい、いいっ!

 流さなくていいからっ!!

 ぷりーずごーばっくっ!!

 ってなんで英語やねん!!

 なんで一人ツッコミやねん!!

 うわああああああああっ!!」


 こ れ も う わ か ら ん !


「あはは、祐樹、びっくりしすぎぃ」

「お嬢様ともっと経験あると思ってた」

「ねぇー」

 三人は食事の際の雑談と同じ調子で笑っている。水着とか、湯浴みとか、タオルさえ一切無しの産まれたままの姿で……だ。

 俺の方がタオルで股間を隠さざるを得ない有様だよ!!

「なななな、なんでみんなお風呂!?

 俺なんかした!?」

「なんかしたって言われてもね」

 ミストは髪を撫でながら言う。

 湿り気を帯びた体から水滴が流れ、艶やかな光がそのラインを強調していた。

 切りそろえられた前髪に、ロングヘア。

 そんな、〝ふつーの女の子〟が裸でそこに座っていた。

「私達、祐樹の事が好きだから。

 祐樹の喜ぶことしてあげたいし」

 ハイボは小ぶりのバストだ。

 三人の中で一番幼児体型だが、それが彼女の活発さと合わせて、そのヌード姿は禁断的な魅力があった。

「むしろこれから〝なんかして〟くれるんでしょ?」

 トワイスが好奇心いっぱいの笑みを向けてくる。脱いだら凄いってこういう体型を言うのか。彼女の着やせっぷりとその中身のギャップは凄かった。なにせ湯船に浸かると、浮力が作用してふくらみが揺れるのだ。




 ――って!

 なんで冷静に観察してるんだ俺!

「お、おかしいだろ!

 いきなりハーレム展開とか!

 これはなんだ、罠か!?

 つつもたせ的な策略だな!」

「がーん。ショックぅ」

「私達本当に祐樹の事が好きになっただけなのにな」

「いろいろ教えてもらおうと思ったのに」

「あ。

 でも祐樹案外なんにも知らないかもよ」

「あの慌て方はそうだよねー」

「え。じゃあ純潔って事?」

「あははー」

 ……なんだ?

 なんなんだ?

 また俺の方が空気読めてないの?


「こっちおいでよ。

 湯冷めしちゃうよ?」

 ミストに手招きされて、俺は言われるままに浴槽に戻る。

 するとハイボとトワイスが両脇にくっついてきた。

 ――視界に逃げ場がねぇよ……。


 胸の鼓動がやばい。

 ドゥミ嬢のときは二人とも演技だしそれ以上に目的があってあえて〝いかがわしい〟感じを出していたから、ペースが保てた。

 だが今のこのいやらしさがまったく感じられない状況が、〝許されている〟気分にさせられてかえってどうしたらいいかわからなくなる。


「あ、祐樹赤くなってるー」

「あはは、可愛いーっ」

「ち、ちげぇ、のぼせただけだ!」

「そっかぁ。のぼせたかぁ」

「ふふっ。それじゃあ、赤くなっちゃうのもしょうがないねー」

 くそぅ、誤魔化したってばれてる。

「…………」

 負けを認めて、もう黙る事にした。

 これ以上口を開けば余計に恥をさらすような気がするからだ。

「あれれ。今度は黙っちゃった」

「やっぱり刺激強すぎたかな?」

「だって祐樹、礼拝堂で遊んでる風な事言ってたじゃん」

「あれもきっと頑張ってたんだよ」

「…………」

「…………」

「…………」


 ――……。


 三人娘も少しづつ会話が減って来る。

 ハイボがぱしゃ、ぱしゃっと水面をかく音だけが浴槽に響いた。

「ねぇ、なんか喋ってよ、祐樹」

 たまりかねたのか、ミストが言う。

「……ごめん。ちょっと無理」

「うーん、じゃあ」





「触ってみる?」





「い――っ!?」

 三人娘は並んで、お互いの身体を寄せ合った。

「祐樹なら、いいよ」

「私も」

「ねぇ、誰からにする?」

 手を伸ばせばそこに、異性の柔らかい肢体がある。

 思春期の男子なら、誰もが夢見る宝石が、湯気の向こうで待っている。

 これ……本当にいいのか?


「――大丈夫。ドゥミ嬢には内緒だから」

 ミストが言った。

 そうだよな。

 ダメな理由が無い。

 この瞬間は、三人は俺の物なんだ――、



















「――ゴメン。

 ちょっと……無理」





 俺は伸ばしかけたその手を引っ込めた。

 三人娘は驚いた表情を見せた。

「私達……そんなに魅力ない?」

 トワイスが言った。

「違う。みんな、本当に綺麗だよ。

 見てるとドキドキする」

「じゃあなんで?」

「祐樹の好きにしていいんだよ?」

「…………」

「そっか」

 ミストが言った。

「他に好きな娘がいるのね」

「……好きとかじゃない。でも、」

 ここで彼女たちと戯れて、それがもし秘密として守られたとしても……。



「――裏切れない奴なら、いるんだ」



 亜利奈にどんな顔で会えばいいんだ?

 あいつは俺のことを心から慕っているのに、俺はそれにすら応えてやれてないのに、それでどんな顔をするんだ?

 ここで流されてしまった俺は、自分を許せるのか……?

「損な性格してるね」

 ハイボがけらけら笑った。

 自分でもそう思うよ。

「あーあ。残念」

「もー、純情過ぎでしょー」

「俺だって自分が残念過ぎるよ」

「ホント、いくじなしー」

 みんな口々に文句を言いながら、でも気まずい雰囲気にはならずに済んだ。

「わかった、あれよ。

 祐樹に主導権握らせようとするからダメなのよ。

 今度は私達の方から、――へくちっ!!」

 ミストがくしゃみをした。

「大丈夫か?

 お前こそ湯冷めしたんじゃないの?」

「ううん、だいじょう――へくちっ!

 へ、へ……へくちっ!!」

 くしゃみすると止まらないタイプかな?

 くしゃみのしかたって個性あるから。

「へくちっ……へ、へくちっ!

 うう、へく、へくちっ!!」

 ――いや、これは普通じゃないぞ!

「お、おい!」

 ミストのくしゃみは止まる気配が無いばかりか、

「へくちっ! ……うっ、うぇぇっ!!

 げほっ!! げほっげほっ!!」

 四つん這いになって苦しそうに咳き込みはじめた。

「大丈夫か! しっかりしろ!!」

 背中を摩ろうと……ああだめだ、今は裸だ触れねぇ!

「ハイボ背中をさすって!」

「……え? なんで?」

 ハイボはきょとん、としている。

「苦しそうにしてるだろ!」

「でも祐樹が咽てるわけじゃないし」

「はぁ!?」

「ねぇー、ドゥミ嬢との話聞かせてよ。

 思いっきり過激なやつ」

 トワイスもそんなのんきな事を言っている。その間、ミストはげほげほと喘息じみた咳をしっぱなしだ。

「お前ら友達じゃねえのかよ!

 くそっ!」

 もうなりふり構ってられない。

 俺は少しでも苦しさが和らぐよう、ミストの背中を摩った。

「げほっ、げほげほっ、ウ……っ!」

「吐きたければ吐け!

 その方が楽になる!!」

「うげ……ぇぇっ!」

 ミストは口を押え、そして天を仰ぐと、


「おえええええっ!!」


 と床一面に嘔吐した。

 その瞬間ずるりと何かが飛び出す。



 ウミウシの様な軟体動物だ。




 人間の喉に収まる大きさじゃない。

「なんだこれ……」

 俺が驚いていると、なんとそれは凄まじい速さで跳躍して逃げてしまった。

「きゃあああああっ!!」

 突然ミストが悲鳴を上げた。

 そして自らの全身を抱きしめ、

「なんで裸なのっ!? ここ、お風呂っ!?」

「なんでってお前……、」

「いやあああ、見ないで、来ないでっ!!」

 ど、……どうなってるんだよっ。

 さっきまでとはまるで別人だぞ!

「私に何したの!?

 なんで一緒に……、

 ――なによ、あれ」



 ズルズルズル……。




 風呂の水位が下がり、何かの影が月明かりを遮る。

 振り返るとそこには巨獣と化したウミウシが触手を唸らせていた。

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