第18話二つの狂気と偏愛

 ニッカは呼吸を荒くし、闇に満たされた地下通路を逃走していた。


 何だ、何が起こった、何なんだっ!


 最初はオート・マタが何かの気配に察知し、矛を構えた。

「あの子だ――いやぁっ!

 亜利奈だぁぁっ!」

 メイドが絶叫した途端に、オート・マタは粉々に砕け散ったのだ。

 残骸の上に少女が降り立つ。

 姿見こそエプロンドレスを纏ったおさげの少女だが、彼女の放つ殺意、狂気、残虐性、そういったえもいわれぬ負の波動が、それを醜悪な怪物と錯覚さた。




 そしてそれはこちらを見ると、ニヤッと笑った。

「シスター様お導きを乞いたいのですぅ。

 ――なーんて」



 狙いは私か!



 すぐに対処しなくてはやられる。

 直感でそう悟ったニッカは、側にあった別のオート・マタに応戦させた。


 一体目がそうだったように、二体目も目くらまし程度の効果しかないだろう。

 彼女は地下通路の迷路に身を隠した。



 仮にあの亜利奈という怪物が地図を所持していたとして、この通路を把握しきっている自分よりも素早く行動はできないだろう。

 あわよくばこの迷路で朽ちさせてやる。

 ニッカは逃走しながら、通路に仕掛けられたボタンをいくつか押す。

 ぎぎぎ、と、石の擦る音があちこちでこだました。もとより追っ手をまくために造られたこの通路は、壁の配置を変化させ、敵を混乱させる設計になっているのだ。



 どうだ、これで追って来れまい。

 そうほくそ笑んだその時。




 ばきーん。

「……?」

 遠くで何かの音がする。

 ばきん、ばこん。

 ニッカは立ち止まり、耳を澄ませる。

 ばん、ばん、ばんっ!

 通路が変化する音ではない。

 しかもそれは――がしゃんがしゃん――確実にこちらに近づいている――、



「っ! まさか!!」



 がしゃああああんっ!!


 ニッカの側の石垣が崩壊した。



「シスター様ぁ、迷える子羊を置き去りなんて酷すぎなんじゃないですかぁ?」



 土煙の向こうで奴の声がする。

 彼女に地図や壁の配置などまったくの無価値で意味を持たないのだ。

「無茶苦茶よ!」

 声に向かって抗議し、とにかく逃走を続ける。


「シスター様が逃げるからですよぉ。

 亜利奈の悩み聞いてくださいよー」

 ドォンッ!

 正面の壁が破壊される。

 ニッカは踵を返し次のルートへ。

「亜利奈は好きな人がいるんです。

 好きで好きで、考えるだけで悶えてしまうくらいに愛している人なんです。

 でもその人ったら、亜利奈の気持ちに気付いているのに全然応えてくれなくてっ!」

 ドォンッ!!

 脇の壁が破壊され、ニッカはいっそう速度を上げる。

「えーんっ!

 私、どうしたらいいんですかぁ!?」

「天上はこう仰ってます!

 『すべての人を愛せよ。

  さすれば汝も愛されん』と!」

「でもでもでもっ!

 私の好きな人はあの人だけなのっ!!」

 ドォンッ!

 後方でまた壁が破壊される。

「こうも御示しになられてます!

 『欲するなら分け与えよ。

  分け与える喜びを欲せよ』と!」

「神様って謎かけが好きなの!?

 亜利奈、わかんないよぉっ!」

 ドォンッ!!

 また目の前で壁が破壊される。

「もうやめて! 屋敷が沈下しちゃう!」

「えーんっ! だってだってっ!」





「なーんて、どうでもいいんだけど」

 急に亜利奈は冷たい声で言う。



 と、




 …………――。


「……?」



 破壊音がしなくなった。

 唐突に静寂が訪れ、不安が募る。

 奴の気配がしない。

 どこだ……どこに行った?


 ……――。


 どこに……?


「〝ランプ〟!」

 ニッカが唱えると、通路の照明が燈る。

 あちらこちらに瓦礫が散乱して、奴が暴れまわった後だけははっきりしている。

 だが……気配が無い。


 ニッカはゆっくり歩みを進めた。

 油断するのはマズイ。

 だが、本当に……、どこにもいない。

 消えた?




 帰った……のか?



 一瞬安心したその時だった。

 がしり。

「はぅッ!?」

 ニッカの髪が壁に引き寄せられる。

 何か強い力が彼女の髪を掴み、強引に引き寄せているのだ。


 腕だ。

 壁に腕が生えている!



「い、いや、――いやあああっ!!」

 得体のしれない状況に、気丈なニッカは悲鳴を上げた。

 壁からはもう一本の腕が生え、ニッカの腕を容赦なく掴む。

 手繰り寄せてどうする気だ。

 地獄にでも引きずり込まれるのか。

 恐怖の渦が彼女の心を掻き毟った。

「やめて、離してっ!!

 たす、たすけ、助けてぇぇぇっ!!」



「別にどうでもいいのよ。ユウ君が亜利奈を見てくれるかどうかなんて」



 通路の向こうから亜利奈がやってくる。

 怪異の腕は増え続け、ニッカの脚や胴に纏わりついていくが、亜利奈はまったく関連のない話題を続けていた。

「正直、ほんのちょっぴり寂しいけど、でもそれって本当に些細なことなの」

「いや、なんなのこれっ!

 離して、離してよっ!!」

 腕は絶妙な力加減で、ニッカを拘束し、彼女が抵抗すればするりと抜け、しかし脱出叶う間際に素早く拿捕を繰り返していく。

 逃れられる。捕まる。

 逃げれた。逃げれない。

 ただただ取り押さえられるより、何倍もの心労だった。

「いやああっ! 離してぇっ!!」

「だって、亜利奈はユウ君に尽くすために生まれてきたの。ユウ君が望む物は何でも与えてあげたいし、ユウ君が望む以上の物をあげたいの。

 亜利奈は神様に相談なんかしない。

 だって亜利奈の神様はユウ君なのよ。

 ふふふっ。

 ユウ君、だーいすきっ!」


 この状況でいう事か!

「あ……あなた狂ってるわっ!」

 ニッカはもがきながら吠えた。



「そのユウ君って男も罪人よ!

 神を語る悪魔だわ!」



「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………、は?」



 亜利奈は瞳が恋に焦がれる少女の眼から、ゾッとする殺人鬼の眼に変わる。



「――――」

 その眼で見られただけでニッカの心臓はすくみ上り、体は腕からの抵抗を止めてしまった。


 言ってはならない事を言った。

 ニッカの生存本能が、そう悟る。



 亜利奈は静かに燃える怒りに、ゆらゆらと揺れながら、

「今、ユウ君の事なんて言った?」

 問いかけ、ゆっくりやって来る。

「――……」

 声が出ない。

「ねえ」

「――……、あ、あ」

「は?」

「――、ざ、ざ……、罪、」



「なんつったって聞いてんのよこの腐れアマあああああああああああああああああああああああああああああっ!!」





 ぐわしゃあああああんっ!!




 ニッカを拘束していた壁が亜利奈の拳で破壊される。

 直撃は免れたものの、ニッカの身体は翻り、壁の向こうの床に突き落とされた。



 殺されるっ。

 殺されちゃうっ!

 逃げようにも体が竦み、動けない。



「よくもユウ君を侮辱したわね。

 よくもよくも、お前みたいなクソ※※※が、ユウ君を侮蔑したわね……」

 亜利奈が、恐怖がやってくる。

 異教徒が自分の神を罵られた、そんな怒りに似ていた。

「さぁ、どうやって死にたい?

 焼き土下座? 鉄の処女?

 ……あ。そうだった」

 亜利奈は震えるニッカの襟を掴み、怪力で頭上まで持ち上げる。

 ニッカはうっ、とえずくが、亜利奈はお構いなしだ。

「シスター様にはユウ君のビンタをお返ししてやろうと思ってたのよ。

 ほらー。あんたのせいでドゥミにぶたれたあれよ」

 ニッカはそこで気付いた。

〝ユウ君〟とは、あの下男の事を言っていたのか。

 何故この女はあの凡人を崇拝しているのだろう……もう考えても遅い。

「ねえーほら、歯ぁ食いしばりなさいよ。

 それって全然意味ないってこと教えてあげるからさぁ」

 壁をぶち破る怪物のビンタだ。

 どんなに身構えてもなんら意味が無いだろう。

 死ぬ。頭を砕いて殺される。

 ニッカは涙を零し、嗚咽した。



「ひっぐ……っく。

 ぐ……グレン様ぁ……」

 死を目の前に思わず想い人が声に漏れ、ハッとなる。




「……、グレン?」

 それに亜利奈が反応した。




「ちが、ちがうっ!」

「違わないでしょ。

 へー、グレンか」

 亜利奈の手が、ニッカを解放した。

 ストンっとニッカは地面に尻餅をつく。

「あんたがここで何してたのかやっとわかったわ。こんな地下に押し込められて、あいつのために姫を操る薬でも発明してたの?」




 ――こいつはどこまで知っているんだ!?




「あのいけ好かない男を英雄に奉り建てるために、あんたは手を汚しまくって。

 人生どれだけを犠牲にする気なの?

 馬鹿みたいね」

「グレン様は私の命の恩人よっ!

 あんたの〝ユウ君〟なんかより、よほど英雄に相応しい方だわ!!」

 ニッカは声高に叫んだ。

 亜利奈の見下げた視線が刺さる。

 だがニッカは怯まなかった。

「殺すなら殺しなさい! あの方の邪魔だけは絶対にさせないわ!!」


 こいつは最後の情報まで行き着いていない。殺されれば、〝蟲〟の秘密は守られる。


 お前の忠誠心に負けると思うなよ!


 亜利奈は冷たい目でニッカを見つめると、ぽつりとこう言った。


「哀れね」

「……」

 何とでも言え。

「でも気に入った。

 いいわ、殺す前にチャンスをあげる。

 その〝英雄〟様に助けてもらう事ね」


「なにを……きゃあっ!!」

 怪異の腕が彼女を掴む。

 ニッカは抗う余裕もなく、深淵の底へと引きずり込まれていった……。

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