約束/女子会2

 ふぅ、と息を吐きながら風音は湯船から上がる。


「長湯になっちゃったわね。先に出るわ。ゆっくりしていってね」


 そう言って、風音は一人浴室から出ていった。


「……どう思う、遥香ちゃん?」


 逡巡した遥香は一度頷いて。


「イリーナは……風音先輩に笑ってほしいんじゃないかな」

「どういう……?」


 遥香が何を言いたいのか理解できず、透子は聞き返す。


「うん。何とかしましょう」

「あの、遥香ちゃん?」

「だいじょーぶだいじょーぶ!」


 何かを決心した遥香は勢いよく湯船から上がり、風音を追いかけるように浴室を出た。それを見た透子もまた、彼女に続いた。


 

 髪もほどほどに乾かし終えた二人が風音の自室に戻ると、風音はマリアンヌに髪を梳かしてもらっていた。


「マリー。私はもういいわ。平和島さんの髪を梳かしてあげて。那須さんは私がやるわ」

「承知しました、お嬢様。お二人とも、どうぞこちらに」


 さすがに照れ臭くて断ろうとしたが、風音とマリアンヌの笑みに二人はどうしても言い出せなかった。


「ふふ……妹が二人もできたみたいで嬉しいわ」


 優しく、愛おしく、丁寧に。風音とマリアンヌは二人の髪を梳かす。

 少しの間遥香は流れに身を任せていたが、決心したように口を開いた。


「あの、風音先輩」

「なぁに、遥香ちゃん」

「イリーナに、あの時から話しかけましたか?」


 鏡に映る風音の表情は、悲しげだった。


「すぐにではないけれど、話しかけたわ。出てきてって……」

「バディタクティクスに参加した時は、一緒に話し合ったんですか?」

「いいえ……翼がね、申請しておいた、近々練習するぞって言って……フルダイブをしたときに説明したら頷いてくれたわ」


 風音は櫛を動かす手を止め、目を伏せた。


「それから……ちゃんと話しましたか?」

「……話して……ないわね」

「那須様、それくらいで。お嬢様にとっては辛い話ですから」


 刃物のように鋭い一言をマリアンヌは発したが、遥香は首を振った。


「ねぇリリィ。私が学校の話しないと、寂しい?」


 鏡台に座っていたリリィは、少し悩んで頷き、悲しくもあります、とメッセージを表示した。


「ねぇセレナ。透子があなたを見て辛そうにしていたら、どう思う?」


 セレナは遥香と透子を交互に見た。透子が優しく頷いたのを見て、辛くなります、とメッセージを表示した。


「テラスは……わかるよね、その気持ち」


 テラスもまた、頷いた。

 いつの間にかマリアンヌも透子の髪に櫛を通すのを止め、遥香をじっと見つめていた。


「風音先輩」


 遥香は立ち上がり、風音と向き合った。

 少し二人は見つめ合うと、遥香がにっこりと笑みを浮かべた。それがあまりにも唐突だったため、風音も思わず微笑んでしまう。


「イリーナに笑いかけてみませんか?」


 それを聞き、透子は「あ」と短く言葉を漏らしすぐに口に手を当てた。そして、そのまま遥香をじっと見つめた。


「でも……理由がないわ」

「理由が必要ですか?」

「私には……必要よ」

「じゃあ……」


 遥香はリリィ、セレナ、テラスを見ると、左腕を胸の高さに上げた。


「おいで、三人とも」


 嬉しそうに三人は遥香の腕に乗る。そして相棒の三人は、ちゃんと一人分のスペースを残していた。


「ほら、イリーナ。あなたの場所が空いてるよ?」


 遥香は優しく風音のSHTITに声を掛けた。

 しかし、風音のSHTITは……イリーナは反応を見せない。


「風音先輩、イリーナを私の腕に乗せてくれませんか? きっと可愛いと思います」

「でも……」

「可愛い姿、見たいでしょ?」


 風音はゆっくりと自分のSHTITを見て、口を開いた。しかしすぐに言葉は出ず、吐息だけが漏れる。


「大丈夫ですよ、〝桜先輩〟」


 桜先輩という言葉を聞いて、絞り出すように。


「イリーナ……あなたの可愛い姿が……見たいの。出てきて、くれる?」


 しかし、SHTITは反応しない。やはり駄目かと風音が目を伏せようとしたときに。


「桜先輩。きっと、笑顔なんですよ」

「え……」


 瞳に涙を浮かべた風音は、遥香にその瞳を向けた。


「イリーナは、桜先輩の笑顔を見たいんです。イリーナはきっと、自分がいると泣かせてしまうからと姿を消したんです。笑って、お願いしてみてください」

「……」


 風音は大きく息を吸い込んで。


「イリーナ……出てきて、くれる?」


 涙を溢しながら、風音はSHTITに笑顔を向けた。

 ぴこん。

 いつもの気の抜けるような音と共に。

 少しだけ気恥ずかしそうに。

 少しだけバツが悪そうに。

 でもとても温かい笑顔を浮かべながら。

 イリーナは遥香の腕にちょこんと座った。


「……っ!」


 風音は目を大きく見開き、その姿を見た。

 遥香の腕に乗る四人の相棒は、互いが互いの顔を見ながら微笑み合う。その姿はとても愛らしい。


「イリーナ?」


 涙をぽろぽろと溢しつつも、風音は笑みを向けていた。そんな風音にイリーナは、可愛らしく首を傾げる。


「イリーナ。あの時はごめんなさい。貴女は何も知らなかったのに、ひどいことを言ったし、ひどいことをしたわ」


 イリーナはじっと風音を見つめる。


「でもバディタクティクスで貴女が懸命に戦う姿、誇らしかったわ。姿は見せなくても、一緒に調べものをしてくれたとき、嬉しかった。ねぇ……やり直させて、くれないかしら? 私のこと、もっと貴女に知ってほしいの。みんなの相棒みたく、私も貴女と仲良くなりたいの」


 ぴこん。

 私のこと、許してくれるの?


「許すだなんて……私が貴女を傷付けたのに」


 ぴこん。

 マスター。また私を、相棒と呼んでくれるの? 貴女を傷付けた私を、あなたはまた相棒と呼んでくれるの?


「当たり前……じゃない」


 涙でくしゃくしゃな笑顔を向けながら、風音は力強く頷いた。

 それを見たイリーナは、ふわりと風音の肩に乗り頬を擦り寄せた。

 互いに、嫌われていると思っていた。

 互いに、自分のせいだと思っていた。

 互いに、だから距離を置いた。

 互いに、好いていたのに。

 互いに、求めていたのに。

 それは自分だけなのだと、思っていたのだから。だがそれは仕方のないことなのだろう。

 最も優れた相性を選ばれ、最も似て産まれる、彼女らは相棒なのだから。

 少しだけ彼女らはその気持ちを理解し合うように瞼を瞑っていたが。


「これで女子会のメンバーが揃ったね」


 満面の笑みを浮かべた、遥香の言葉にその瞼を開く。


「那須様……先程のご無礼をお許しください」


 そんな遥香に、マリアンヌは深々と頭を下げた。


「また、イリーナのこと……誠にありがとうございます」


 マリアンヌと一緒に、彼女の相棒であるフェリーツェもまた、頭を下げていた。


「そうですねぇ……じゃあ最高に美味しいお菓子を出してくれたら許してあげます!」


 おどけた遥香の言葉にマリアンヌは顔を上げ、してやられたと微笑みを溢す。


「私がご用意できる最高のものをお持ち致します」


 そう言って、マリアンヌは再び頭を下げて部屋から出ていった。


「お喋りが楽しくなるね、透子、桜先輩!」


 嬉しそうな遥香を見て、二人は彼女と同じような笑みを浮かべて頷いた。

 それから、遥香とリリィ、透子とセレナ、風音とイリーナ、そして太陽のテラスは、マリアンヌが用意した最高のお菓子と共に親睦を深め合った。

 この一時が、今後彼女らにとって永遠の思い出になるのは、きっと別の話だ。

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