約束/女子会1

 帰りのリムジンの中、風音は楽しそうに笑みを浮かべていた。


「私、女子会なんて初めて!!」


 向かい合わせの席ではしゃぐ風音を見て、後輩の遥香と透子は少しだけ驚いていた。バディタクティクスの時とは違う、十八歳の少女らしい……いや、それよりも幼くも見える先輩の顔に。


「風音先輩こういうのよくやってると思ったのですが……」


 頬を掻きながら言う遥香の両手をがっしりと掴み、風音は瞳を爛々と輝かせ「初めてなのよ!」と言った。


「セバスチャン、まずはお二人の家に寄るのよ! あと、お父様とお母様にもしっかりご挨拶して菓子折りをお渡しして……!」

「菓子折りとかは大丈夫ですから!」


 そんな大げさにされては堪らないと透子は必死に首を振る。


「まぁ……平和島さんは遠慮しいなのね……」

「わ、私も、その、大丈夫です!」


 この機会を逃しては断れないと悟った遥香も続けて断る。


「でも……」


 それを諫めたのはメイドのマリアンヌ。風音の隣に座りながら、彼女は主人の肩にそっと手を乗せた。


「お嬢様。彼女らの家庭には彼女らの世界があります。押し付けてはいけませんよ」


 少しだけ残念そうに嘆息し「仕方ないわね……挨拶だけなさい」と執事とメイドに言ったのだった。


「勿論です、お嬢様」

「当然ですわ、お嬢様」


 二人がそう言ったタイミングで急遽遥香のSHTITが数度のビープ音のあと、テラスがぽんという愉快な音を出しながら現れた。


「……なんで?」


 当たり前の疑問に答えるように、テラスがメッセージを表示させた。

 ぴこん。

 マスターより許可を頂いて女子会に参加します!

 わくてか! という表情が見て取れるテラスの姿に、遥香だけでなく透子、風音も満足そうに微笑んだ。

 そしてそれから風音家のリムジンは旅行と同じように遥香、透子の家にリムジンで乗り付け、両親に何とも言えない表情を浮かべさせていた。

 少しぐったりしつつ遥香と透子、そしてテラスは風音家にお邪魔した。


 「まずはお風呂よね!」という風音の猛烈なおすすめから、三人は別荘よりも広い湯船にゆったりと浸かっていた。

 すっかりと気を緩めた遥香は縁に手を付けながら、気持ち良さそうに体を伸ばした。


「うちは両親がお風呂好きだから、いつもお金をかけるのよ」


 お風呂にいつもかけるお金とは何なんだろう、と遥香と透子は疑問に思ったもののそれは口にしなかった。


「それよりも、その……平和島さんの相棒と那須さんの相棒は何してるの?」


 愛しそうにセレナとリリィ、テラスを見ながら、風音は透子に問いかける。


「今日は気を抜いているんだと思います」


 ふふふ、と笑いながら透子は答えた。

 セレナはぷかぷかと浮かびながら、ラッコのように泳いでいた。そしてそんなセレナのお腹に浮き輪にでも捕まっているようなリリィとテラス。


「男の子がいるとのんびりできないもんねぇ、リリィもセレナもテラスも女の子だし」


 遥香の言葉に、うんうんと頷く三人の相棒の姿はとても可愛らしい。


「羨ましいわ、相棒がそんなに可愛らしくて」

「そういえば……」と、遥香は思い出したように口にした。

「どうしてイリーナは外に出てこないんですか?」


 風音の左腕にはSHTITがある。それがあるということは、イリーナを自室に置いてきているというわけではなさそうだ。


「昔……イリーナを傷付けてしまったことがあったからかもね」


 顔には笑みを浮かべているが、風音の表情は辛そうであった。


「……聞いても、いいですか?」


 興味本位では決してない。遥香は心から彼女を心配し、そう言った。


「面白くない話よ? 昔の私の話もすることになっちゃうし」

「構いません」

「平和島さんもいいの?」

「はい」


 二人の真剣な面持ちに、風音は短く息を吐いて話し始めた。


「私ね、昔お嬢様が通うような中学校にいたのよ」


 風音は語る。

 自分が以前いた、大きすぎた、狭い世界のことを。


――……


 そこには、世界に名の知れた富豪の子供達が数多く在籍していたの。


 その学校は一般教養意外にも、経済学、帝王学、政治学など、これから世を動かすための多くの事を学べた。


 でも、〝人間〟はいなかった。誰も彼もが〝魔物〟だった。如何に〝人間〟を支配し、頂点に君臨するか。それだけを考えているだけの場所だった。


 それは私も例外ではなかった。風音家は所謂〝成り上がり〟というもので、曾祖父の代で運良く所有していた株が急上昇し、急下降する前に手放したことで莫大な資産を手にしたの。それからは土地やお金を買ったり、貸したり、売ったり、本当に何でもして富豪の仲間入りをした。


 父の代では世界でも有数の富豪になっていた。そんな中で私は生まれたわ。風音家の長女として、ね。


 本当は父も男の子が欲しかったそうだけど、母は体が弱くてね。よくある話よ。母は次の子供を産む前に亡くなったの。


 父の憔悴はひどかったわ。父は母と恋愛結婚していてね、だからでしょうね。再婚するつもりはなかったみたい。


 でも周りは再婚を薦めたわ。風音家を存続させるためだけに、子を作れと命じ続けた。


 それは……私もだったの。ひどい話でしょ?

 ある日、私は父に言ったわ。


――お父様、我が風音家を絶やしてはいけません。どうか再婚して子を作ってください。


 その時の父の顔、覚えているわ。絶望と失望が入り交じった、複雑な顔。そして父は私を抱き締めて言ったのよ。


――私は、君の母と、君が幸せならそれでいいんだ。どうかそんなことを言わないでくれ。彼女の面影を残す君に言われてしまっては、私は本当に壊れてしまう。

 

 わからなかった。その時の私にはわからなかったのよ。馬鹿な娘よ。愛というものを、恋というものを、私は知らなかったから。


 決められた者を愛して、決められた者に恋するのだと、そのときは思っていたのだから。


 母の死から数ヶ月経って、私は闇を見たわ。私がいた世界、本当に醜い闇をね。


 有名な資産家の息子達が私によく声をかけてきたわ。それはどれも求愛……いいえ、求愛なんて美しいものではないわ。〝回収行為〟よ。風音家は再婚し子を作るつもりはない。なら娘を手に入れれば資産全てが手に入る。だから、回収というのが正しいわ。


 最初は気付かなかった。でもね、ある男のデートのお誘いを断ったとき、言われたのよ。


――〝釣針〟が偉そうに。


 って。


 その日父に聞いたの。どういうことかしらって。


 そしたら父は辛そうに泣いた。そしてあの時と同じように私を抱き締めて言ったわ。


――もうあそこに居てはいけない。君はあんなところに居てはいけない。このままだと君は、道具にされてしまう。人間ではなくなってしまう。すまない、すまない。


 中学までをあそこで過ごし、私は有無を言わさずこの高校に入れられた。最初は怖かったわ。私よりも〝低層〟の人間と上手くやれるかって、内心周りを見下して。


 でも、でもね。ここは〝人間〟が沢山いたわ。みんな、笑ったり、悩んだり、遊んだり。とっても楽しかったの。翼や晴野が教えてくれたのよ。私は、〝風音桜という人間だ〟ということを。誰も私を利用しようとしない、誰も私を、風音家を得るための釣針だなんて思わない。


 幸せだった。こんなにも世界は楽しくて、美しいんだって。


 長くなってごめんなさい。でも、必要だったの。イリーナの話をするためにはね。


 二年になって、私はようやく普通の学生として言えるようになった。そして私はバースデーエッグの授業を迎えたわ。


 楽しみで楽しみで、わくわくしていた。実際彼女が産まれて、私はすぐにイリーナって名付けたわ。私が大好きなフルート奏者から名前を頂いたのよ。


 でも、ね。その楽しみは一瞬だったわ。イリーナがね、言ったのよ。


――マスター、私はあなたのために尽力します。もっと上へ。もっと高みへ。風音家をより発展させるため、共に行きましょう。


 イリーナは子供と同じ。純粋だった。


 だから彼女は、私を想って言ってくれたの。今ならわかる、わかるの。でもね、その時は……わからなかった。


――私は風音桜なの! 二度と私を侮辱しないで! 二度と……二度と私をそんな目で見ないで!


 その時、クラスがしんと静まり返った。


 私はそれに耐えきれなくなって、教室を出ていった。一人中庭にいるとき、イリーナは泣きながら私に話しかけてくれた。でも私はそれを全て無視したわ。


 それから少しして翼や晴野が来てくれてね。何があったかを説明したときには……イリーナはもう私の目の前からいなくなっていたわ。

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