日常徒然/2-2

 正詠達が射場に立つ。

 彼らの表情は険しく、先程の試合よりも緊張しているように見えた。

 正詠が弓を引き、矢は的に中る。続く先輩達の矢も命中した。

 それを見て僕らは安堵のため息をこぼす。


「弓道での大前……最初に矢を射つ奴はな、一本確実に的中させることが役目だ」


 晴野先輩は穏やかな表情で呟いた。


「それにはすげぇ度胸がいる。メンバーを引っ張っていくことになるからな」


 次は相手が弓を引くが、その大前が矢を外してしまった。


「大前が外すことで、後ろはプレッシャーがかかるのさ」


 二番目が矢を外し、三番目の矢は的中。だが四番、五番と矢を外してしまった。


「だからこういうことも起きる。海丘うみおか高校の大前はまだ未熟だ」


 しかし二順目で海丘高校の一番目、大前は矢を的中させた。それに続き、彼らはまた矢を全て的中させる。

 この時点で、正詠達の試合は終わった。


「あとはあいつらがどこまで根性を見せるかだ」


 晴野先輩の瞳には、僅かに涙が浮かんでいた。

 正詠達が再び射場に立つ。


「正詠……」


 ぼそりと遥香が言葉を漏らすのも仕方ないだろう。

 陽光高校三人は全員は涙を流していた。


――負けちゃってるのに。

――可哀相に……。


 声が聞こえる。


――五人いればねぇ……。

――おちのせいで。

――三年生は最後なのにね。


 小さく肩を震わせながら涙を流す彼らは、決してその涙を拭わなかった。

 悔しくて、胸に込み上げてくるものがあった。

 誰も悪くないというのに。何もなければきっとうちの高校は最高の成績を残したはずなのに。


「よくやった。あとは締めくくりだ」


 真っ直ぐに仲間を見つめ、晴野先輩は遂に涙を溢した。

 すると、晴野先輩の代わりに落を務めた先輩は頷いた。


「大前、一本!」


 静粛な場にその声は響いた。

 皆が何事かと彼を見た。

 運営の大人たちは何かを話し合うが、そんなこと彼らには関係ないようだった。

 正詠は頷いて、弓を引く。そして放たれた矢は真っ直ぐに飛び、的を射ぬいた。


「中、一本!」


 続く先輩の矢も中る。


「「落前、一本!」」


 そのとき、晴野先輩は驚いたように彼らを見た。


「落前って……」


 我らの知恵袋の透子を見るが、彼女も首を傾げていた。


「あの人、落のはずだけど……」


 その人の矢は中る。

 落前と呼ばれた先輩が射ち終わると、そこで彼らは初めて涙を拭う。

 次は正詠の番のはずなのに、正詠は中々弓を構えようとしない。


「あの馬鹿……」


 言いながら晴野先輩は自分の左腕を見た。


「大前……大前、一本!」


 落前の声で、正詠は立ち上がり矢を射つ。


「中、一本!」


 中の人が矢を射ち。


「「落前、一本!」」


 そして落前と呼ばれた先輩が矢を射つ。そして彼らは、全ての矢を的中させた。しかし、拍手はない。


「……なん、で?」


 遥香はあまりの静けさにきょろきょろと周りを見た。


「弓道ってのはな、静粛な競技だ。あんな風に叫んだ時点で、失格もあり得る」


 冷静に語りながら、晴野先輩は真っ直ぐに彼らを見つめていた。

 正詠達は静かに射場を後にする。

 そんな彼らに称賛の拍手はないはずだった。だが、ぱちぱちと、射場の奥からは拍手がまばらに聞こえた。


「誰だ?」


 蓮が奥を覗いた。


「誰だ、拍手してるの?」


 蓮に聞くと、「海丘の奴らだ」と答えた。すると晴野先輩と貝田先輩は何も言わずに射場に向かった。僕らもそれに続く。


「いい試合だった」

「泣くなよ、晴野と貝田がいたらわからなかった」

「今度は大学でやろう」


 海丘高校の人たちが陽光高校の選手へと言葉を送っていた。


「お前たちの落が来たぞ」


 海丘高校の落の人がそう言うと、弓道部が晴野先輩に赤く腫れてしまった目を向けた。


「決着は大学でな、晴野」

「おうよ」


 晴野先輩の肩をぽんと叩くと、海丘高校の人たちはこの場を後にした。


「よくやったな、良い試合だった」


 優しく、穏やかに晴野先輩が言うと。


「すみま、せん……晴野部長……」

「すまねぇ、晴野」

「すまない、晴野……」


 彼らは涙を流し、晴野先輩へと謝罪を並べた。


「何謝ってんだ、馬鹿共……」

「晴野部長と、全国に……行けませんでした……!」


 正詠は嗚咽をあげながら言うと、晴野先輩はそんな正詠の頭を優しく撫でる。


「ここでいい。ここが俺の全国だ。ありがとうな、高遠。よく頑張ってくれた。来年は任せたぞ」

「すみま、せん……」

「謝るな。お前も、みんなもよくやってくれた」

「はい……はい……」


 そして、正詠と晴野先輩達の一つの戦いは、終わった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る