日常徒然/その腕に賭けたものは
陽光高校弓道場で、正詠は一週間ぶりに弓を引いていた。
一週間のブランクは中々大きく、彼の射は安定しない。
「大前が一本目を外すな、高遠!」
副部長の
しんとした空気の中、弦が弾かれた音と矢が風を切る音がした。そのあとすぐに、小気味良い破裂音にも似たものが響いた。
静かに正詠は射場を離れ、細く息を吐いた。
「よし、次!」
幸田の言葉に、続いて他の者が射場に入った。
「らしくねぇな、高遠」
「ブランクはきついですね……」
素直にそう言って、正詠は休憩場所に腰を降ろした。
陽光高校の弓道場では、五人が同時に立てる射場と繋がる形で、休憩場所がある。休憩場所と射場を隔てるものは複数の障子のみで、現在は全てを解放していた。
「俺もだ。それと晴野の代わりに頑張ってる幸田自身も、な」
射場には、来週の地区大会のメンバーが集中的に立っており、他の部員は休憩場所より更に後方にある巻き藁で、自分の射を確認していた。
「晴野の巻き藁が聞こえないと気味悪いよな?」
微笑みを浮かべながら、葉山は言う。
「はは……」
そんな葉山に正詠は苦笑を返した。
「次、葉山!」
「おう!」
葉山は立ち上がり、射場に向かった。
「よっ、高遠」
葉山と入れ替わりで
「お疲れ様です、貝田先輩」
「今日チームメンバーでまた晴野の見舞い行くんだ、お前も来るだろ?」
それに正詠はやはり苦笑を浮かべた。
「俺はその……」
正詠はあのテロ以降、晴野の病室には行っていなかった。もちろん、太陽の件もあったのも理由の一つだが。
「俺が言ったら、何言われることやら……」
「はは! 確かにあいつはお前のこと気に入ってるから厳しいよな!」
そういう意味ではないのだが、正詠は否定しなかった。
そう思ってくれている方が、楽だから。
「だが、先輩命令だ。お前も来い」
そんなことなど露知らず、貝田は高遠を誘った。
「よし、みんな。次は俺の射を見てくれ」
葉山の射を見ていた幸田が言うと、正詠と貝田は立ち上り、幸田が弓を射る姿を見守った。
部活は滞りなく行われていく。部長を欠いたまま。
――……
ある病室で、医師は重く話をしていた。その話を聞いているのは晴野輝と、その両
親だ。
「嘘だろ、
晴野と両親の顔は真逆だった。
今、医師が説明したことを信じられないと絶望する晴野。そして、希望を浮かべる両親。
「何馬鹿言ってるの、輝。たった四年で普通の生活が出来るのよ?」
良かった、良かったと、両親は安堵の涙を浮かべるその横で。
「たった、四年?」
ぎりと晴野は奥歯を噛み締めた。
「頼むよ、
助けてくれと、涙を浮かべる晴野。
「輝くん。四年もあれば大学でまた弓道が出来る。我慢だ」
医師は優しく声をかけ、晴野の肩に手を置こうとするが。
「ふっざけんな! 俺は来週の大会に出たいんだよ! あいつらと一緒に!」
その手を払い、右腕で医師の胸倉を掴む。
「やっと出来上がったんだ! やっとここまで最高のメンバーが揃ったんだ! 俺は、俺は三年間、このために……!」
「やめなさい、輝!」
母が晴野の手をどかし、父が晴野の頬をぶつ。
「お医者さんに当たるな、馬鹿者が!」
「ふざけんな! 治せよ、俺はあいつらと、あいつらと!」
晴野は自分の動かない左腕を見る。
「ちくしょう……ちくしょう!」
そしてその左腕をベッドに叩きつける。
「この腕が弓を持つんだ、この腕が弓を支えるんだ! そうじゃねぇと弓が引けねぇんだよ!
ぴこん。
緊張を欠く呼び出し音と共に、踊遊鬼がメッセージを表示した。
現状で弓を引くことは不可能です。
そのメッセージが、晴野の怒りを爆発させた。
「ふざけんなぁぁぁ! テメェ俺の相棒だろうが! 世界最高のAIだろうが! 探せよ……俺の腕が今週までに治る方法を!」
ぴこん。
検索するまでもありません。不可能です。
「探せ! 絶対あるはずだ!」
ぴこん。
ありません。不可能です。
「ふざ……けるなよ……世界最高のAIが、そんな……」
ぴこん。
「うるせぇ! 探せ! 探せよ! 俺は……俺は出ないといけないんだよ!」
「輝、いい加減にしなさい! すみません、
「ちくしょう!」
取り乱す晴野の元から、医師はゆっくりと去っていった。そのとき病室の前で少し立ち止まったが、何事もなかったかのようにまた歩き出した。
「ここまで来るのにどんだけかかったと思ってんだ!? 親父もお袋も知らねぇだろうが!」
「知らないわけがあるか!」
父が息子の目をじっと見つめ、言を繋ぐ。
「お前がどれだけ努力をしてきたかなど、知らないわけないだろう! だが仕方ないだろう! 怪我をしたのはお前なんだから!」
「うるせぇ! 俺は……!!」
元より晴野は弓道の才能があったわけではない。
一年の頃の戦績など見るも無惨で、二年においても平均的だった。しかし二年の冬季大会で彼は目まぐるしい活躍を見せた。
それは彼の努力だ。それが運良く最後に実っただけだった。
口調は乱暴で教え方も下手だったが、彼は人情に溢れていた。それが部長に薦められたきっかけだ。実力のない部長としての評価だったが、見事にその汚名を彼は晴らした。
その頃に、彼が求める部員は揃い、今年こそはと彼は胸を踊らせていたと言うのに。
「三年間だ……耐えて、耐えて……耐え抜いて!」
ぴこん。
二年です。
「!?」
踊遊鬼はずらりとメッセージを表示させる。
あなたが耐えれば二年で、私が弓を持たせてみせます。
「何、言ってやがる……さっきは不可能だって……」
ぴこん。
残り五日での
「おま、え……」
ぴこん。
私のせいで
「それでも、二年じゃねぇか……俺は、俺は……あいつらと大会に出たいんだよ!」
――陽光弓道部、ファイ!
そのとき、病室の外から叫び声が上がった。
――俺たちの大将は誰だぁ!?
――晴野輝だぁ!
――晴野は弱いか!?
――強い!
――ならなんで、なんであいつは泣いてるんだ、高遠!
高遠、という言葉に、晴野は思わず病室の外へと目を向けた。
――俺が……お、れがぁ! 弱いからです!
――なんでだ、葉山!
――俺が弱いからだ!
――なんでだ、貝田!
――俺が弱いからだ!
――病院で何やってるの、あなた達は!
ざわざわと病室の前が落ち着きを失っていく。
――俺もだ! 俺も弱い! じゃあ晴野は弱いのか!?
――違う!
――こんなんであいつを全国に連れてけるか!?
――連れていく!
――そうだ! 俺達は弱いが! 晴野を全国に連れていく! あいつ一人に背負わせるな!
――応!
――俺達は、全員で全国だ!
――応!
――君たち、何をしているんだ!?
――お騒がせして、すみませんでしたぁ!
――すみませんでしたぁ!
数人の足音と共に、再び静寂が訪れる。
「馬鹿野郎、共がぁ……」
晴野は右手で顔を覆い、涙を更に流す。
ぴこん。
「うるせぇ……何も言うな、踊遊鬼」
はい、
晴野は涙浮かぶ瞳で、未だ力入らぬ左の拳を、力強く握った。
――……
部活が終わった後、陽光高校弓道部地区大会メンバーは晴野の見舞いに向かっていた。花を持つ幸田達は楽しそうに話をしていたが、正詠だけは暗い表情をしていた。
そんな正詠を見かねたのか、副部長の幸田は正詠の頭を乱暴に撫でた。
「知ってる。見舞いに行ったときにな、晴野がお前のこと気にかけてくれって言ってたしな」
部活の時とは違い、幸田は親しみやすい笑みを浮かべていた。
メンバーの中で唯一の後輩である正詠は、内心「ずるい」と思う。この先輩達は非がないぐらいに後輩の面倒をよく見る。
「しっかし晴野に花とかなぁ!」
はは、と笑いながら貝田はその花をひらひらと振った。「似合わないよな」と全員が同意し、病院の受付で名前を書いていた。
――ふざけんなぁぁぁ! テメェ俺の相棒だろうが! 世界最高のAIだろうが!
晴野と思われる叫びが聞こえる。
――探せ! 絶対あるはずだ!
――ふざ……けるなよ……世界最高のAIが、そんな……
――うるせぇ! 探せ! 探せよ! 俺は……俺は出ないといけないんだよ!
――ちくしょう!
彼らの前に、ゆっくりと現れた医師は彼らを見たが、少し立ち止まって、何事もなかったかのようにまた歩き出した。
――ここまで来るのにどんだけかかったと思ってんだ!? 親父もお袋も知らねぇだろうが!
――うるせぇ! 俺は……!!
――三年間だ……耐えて、耐えて……耐え抜いて!
――おま、え……
――それでも、二年じゃねぇか……俺は、俺は……あいつらと大会に出たいんだよ!
病室の前で、彼らは晴野の叫びを聞いた。
そのせい……というのは正しくないだろう。しかし彼らは、雷に打たれたような衝撃を受けた。
幸田は大きく息を吸って、全員と肩を組んだ。
「陽光弓道部、ファイ!」
肩を組んだ幸田は急に大声を上げた。
「俺たちの大将は誰だぁ!?」
あまりにも唐突な言葉だったが、全員の心はそれで一つにまとまった。
「晴野輝だぁ!」
正詠以外の全員が熱く答えた。
「晴野は弱いか!?」
「強い!」
正詠の先輩たちは何も打ち合わせをしていないのに、声を揃えて叫ぶ。
「ならなんで、なんであいつは泣いてるんだ、高遠!」
急に自分の名前を呼ばれた正詠は一瞬戸惑うが……答えはもう見えていた。
自分が弱いから、彼は自分を守ったのだ。
だから彼は負わなくてもよい怪我を負った。
「俺が……お、れがぁ! 弱いからです!」
正詠にとっての素直な一言。誰にも責められるつもりだったが。
「なんでだ、葉山!」
しかし、彼の先輩たちは。
「俺が弱いからだ!」
「なんでだ、貝田!」
「俺が弱いからだ!」
彼を支えるように、庇うように……声を上げたのだ。
「病院で何やってるの、あなた達は!」
看護師の一人が正詠たちに駆け寄り、ざわざわと病室の前が落ち着きを失っていく。
「俺もだ! 俺も弱い! じゃあ晴野は弱いのか!?」
それでも彼らは叫ぶのを止めない。
「「「「違う!」」」」
「こんなんであいつを全国に連れてけるか!?」
「「「「連れていく!」」」」
「そうだ! 俺達は弱いが! 晴野を全国に連れていく! あいつ一人に背負わせるな!」
「「「「応!」」」」
「俺達は、全員で全国だ!」
「「「「応!」」」」
正詠が全員の顔を見ると、その全員が涙を流していた。
「君たち、何をしているんだ!?」
男の医師が異常事態に現れた。
「お騒がせして、すみませんでしたぁ!」
「「「「すみませんでしたぁ!」」」」
全員で頭を下げて、それでも彼らは胸を張って歩き始めた。
「いいか、俺たちは……晴野を全国に連れて、いや、晴野と一緒に全国に行く」
幸田副部長の一言に、正詠は自分の鼓動が強く脈打つのを確かに感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます