想い出/太陽-3
その日の夜、十一時の少し前。太陽は頃合いを見計らって外に出た。この時間、母は愛華と共に休んでおり、父は書斎で読書をしている。抜け出すのは容易だった。
いつもより少ししっかりした服装で、太陽はあの花畑へ駆けていった。
――十一時に待ち合わせしよう。
自分の呼吸が町中に響いているのではと錯覚するほどに、夜の町は静かだった。
間もなくして裏山に辿り着くと、太陽は速度を緩めることなく獣道を進む。
そして花畑に到着すると、太陽は光を探した。
「光ちゃん! 光ちゃん!」
返事はない。
「僕だよ、太陽!」
がさりと、太陽の背後から音がすると、彼はすぐに振り返った。
「ひか……!」
太陽が期待と共に名前を呼ぼうとするが、現れたのは違う人物だった。
「天広太陽くんだね?」
大人だった。顔は暗がりでよくわからないが、声は父よりも若く、お兄さんという印象を太陽は抱いた。
「光ちゃんと約束していたのだろう? 光ちゃんは今体調を崩していてね、ここには来れない。でも君に会いたがっている」
男は抑揚のない声で話していた。
「私と一緒に来れば会える。どうするかね?」
どうするかなど、太陽にとっては聞かれるまでもないことだった。
「会いたい!」
「では……一緒に行こうか、神の父よ」
この時の太陽には、男が何を言っているかなどわからなかった。ただ光に会いたい。彼にはそれしかなかった。
男に手を引かれ、太陽はSHTIT研究所へと入る。
「ここは子供は入っちゃダメなんじゃ……」
「今の君は入っていいことになっている」
研究所の中は薄暗く、どこか不気味だった。知らず太陽は男の手を強く握り、しきりにきょろきょろと辺りを見回した。
男はゆっくりと階段を下っていき、やがて大きな扉の前で立ち止まった。
「さぁ、ここだよ」
ゆっくりと男は扉を開けると、そこは広い部屋だった。
中央にはベッドが置かれ、そこだけにライトが当たっている。
「あそこに光ちゃんがいる」
男は手を太陽の手を離す。
「光……ちゃん?」
太陽はゆっくりとそのベッドへと向かった。
ベッドの回りには何に使うかわからない機械が規則正しい電子音を立てており、地面にはベッドを取り囲むような丸い溝があった。
「光ちゃん……」
光はベッドで苦しそうに呼吸していた。
頭からはいくつもの色とりどりなコードが機械に向けて伸ばされており、彼女の顔は苦痛に歪んでいる。
「たいよう、くん?」
「迎えに、来たよ……」
「うれ、しい……」
光は左手を僅かに伸ばす。
「でも、ごめんな、さい。学校、行けそうに、ないの」
「光ちゃん……」
かつん。
「光ちゃん、君の王子様が来てくれたんだ。もっと気の利いた言葉をかけてあげるべきだよ」
男の言葉に、光は僅かに微笑みを浮かべる。
「私、太陽くんのこと、大好きだよ」
「僕だって、僕だって大好きだよ!」
「私、これからも生きていたいの。あなたと一緒に……」
「僕だって!」
ピピピ、と電子音が連続して鳴り始める。
「もう少し……」
男は呟く。
「離れたく、ない、よぉ……」
「光ちゃん、光ちゃん!」
「ねぇ、おじさん……本当に私、また太陽くんに会える?」
光は太陽の後ろにいる男に話しかけた。
「勿論だよ、光ちゃん」
男の声は、興奮を無理矢理圧し殺したようなものだった。
「ねぇ太陽くん。私ね、またあなたに会える、の」
「え……?」
「私はね、ここじゃない、遠いところに、これから行くの。でも、ね。私が……」
ひゅっ、と光は短く息を吐くと、それ以上に多く息を吸い込んだ。
「私が忘れなかったら、また太陽くんに、会えるの」
ぽろりと、光は涙を零す。
「私、太陽くんのこと、絶対忘れない。だから、ね。約束、しよ?」
「やく、そく?」
「次に会うときまで、今日のことを秘密にするの。そしてまた、二人で会った……ら」
機械が明らかな異音を鳴らす。
「また、思い出してくれると、嬉しいな……」
「光ちゃん!」
「それまでは、私にそうしてくれたみたいに……他の人を笑顔にしてね?」
ゆっくりと、光の呼吸は弱くなっていく。
「きっと、会えるから」
機械から音が消えると、すぐに機械音声が流れた。
――リバースプログラム、プロセスコンプリート。
それと同時に、光は動かなくなった。
「くく……」
言葉を失う太陽の背後で、男は笑った。
「やっとだ! 最高のAIが! 望んだSHTIT《シュティット》が! 世界を変える
ばちりと音がすると同時に、部屋中のライトが点いた。
「成功だよ、諸君! これで神は生まれる! 時が来れば、我々は……」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ! 光ちゃん光ちゃん光ちゃん!」
「あはははっははは! さぁすぐにコピーを取れ! データはいい、いくら取っても腐らんしなぁ! あははっはははははっ!」
太陽の肩をがっしりと男は掴んだ。
「君のおかげだ、えーっと何て言ったかな……随分と能天気な名前だったと思うんだがね。まぁいい、君のおかげだよ」
太陽には男が何を言っているのか、全く理解できない。
「彼女を運べ」
光はベッドと共に運ばれる。
「光ちゃん……光ちゃんは!?」
太陽が追い掛けようとしたが、それを男は許さなかった。
「君が知っている彼女はもういない。君のおかげでいなくなった。今運ばれた方はね、神なんだ」
「ひか……」
「聞き分けのない子だね」
男の声にはっきりと苛立ちが現れると、ぐいっと太陽の肩を引いて来た道を戻ろうとした。
「光ちゃんと、光ちゃんと約束したんだ! 助けるって! 守るって!」
「五月蠅いガキだ……君のせいで死んだっていうのに」
「え?」
男の言葉に、初めて太陽は男に顔を向けた。涙のせいではっきりは見えなかったが、おそらく笑っていると太陽は感じた。
「まさか気付かなかったのかい? 彼女を殺したのは君なんだよ? あんなに無理をさせて、まさか自覚していないなんて……君は、根っからの人殺しなんだね」
「ちが……」
男は太陽の髪を掴み、乱暴に投げ飛ばした。
「この人殺しを運べ。あぁけれど、罪人の烙印は押さなくていい。神の誕生を促した人物でもあるからね」
「僕は悪くない!」
「人殺しだよ、君は」
「ちがぁぁぁあぁぁぁぁう!」
慟哭を上げ、太陽は意識を失った。
光との記憶を全て封じ込め、忘れるために。
光との想い出をまた、思い出すために。
再び光と、出会うまで。
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