想い出/ガラスノパズル

 病院の個室のベッドで、天広 太陽てんひろ たいようは本を読んでいた。本のタイトルは〝理不尽な話〟というもので、黒い装丁にタイトルが白く印刷された、厚くはない本だった。

 傍らには彼の妹の愛華まなかが、椅子に座ってファッション誌に目を通している。


「はぁ……」


 太陽はため息をついて本を閉じる。


「どったの、にぃ?」

「お前さ、入院中の兄にこんな本差し入れすんなよ。気が滅入るわ」

「あ、やっぱり? ちなみにどこで気が滅入った?」


 ファッション誌を開きながら、愛華は可愛らしい笑みを太陽に向けた。


「あーあれだ、あれ。子供が泉の神様にーってやつ」

「最初の話じゃん」

「またあとで読む」


 太陽は本をサイドテーブルに置いて、ベッドの上で大きく体を伸ばす。


「暇すぎる……どうせならゲーム持ってこいよ」

「学生なんだから勉強したらぁ?」


 ぴこん。


「ん?」


 太陽の目の前に、和服を着た相棒が姿を現し、〝寝ながら出来るヒアリング!〟というサイトのトップページを表示させた。


「あ、えーっと、なんだっけ……お前の名前」


 ぴこん。

 テラスです!


「えーっと、テラス……ちゃん? 悪いけど今愛華と話してるんだ、少し静かにしといてくれな?」


 テラスと言われた相棒は瞳に涙を浮かべ、太陽を見つめた。


「あ、またいじめてるの?」

「いじめてるって人聞きがわりぃなぁ」


 愛華がテラスを援護するように言うが、テラスは悔しそうに歯を食い縛った。


「いじめてるじゃーん」

「勝手に泣くんだからしゃあねぇだろ……あぁもう」


 太陽は頭を振った。


「可哀相だよねぇ……こんなに可愛いのに」

「だったらお前が持ってけよ。どうせ僕の相棒は行方不明なんだし」


 テラスは俯き、着物の裾を両手でぎゅっと握りながら、涙を流した。


「えー、だって


 一見無邪気な笑みを浮かべる愛華を、テラスは強く睨み付けた。


「ホント……


 愛華はテラスを知らないと言い切り、哀れむ。何もかもはずだというのに。


「マナーモードとかにするにはどうするんだ?」


 太陽は左腕に付けているSHTITを見ながら首を傾げた。そして適当なボタンを何か押そうとすると、その右手をテラスが必死に引っ張る仕草を見せた。


「うわ、うぜぇ……」


 冷たい言葉を吐かれながらも、テラスは必死にやめさせようとした。


「あ、にぃ。そういえば退院は今週の金曜だってさ」

「お、マジで!? やりぃ平日一杯休めるじゃーん」


 愛華の一言でテラスのことなどどうでも良くなったのか、太陽は目を輝かせて彼女を見た。


「だからゲームなんて持ってきませーん」

「お前、羨ましいんだろ?」

「さてどうでしょう?」


 兄と妹の歓談はしばらく続き、いつの間にか日は沈んでいた。


「あ、そろそろ行かなきゃ」


 時計を見た愛華は鞄に雑誌を詰めて立ち上がる。


「じゃあね、にぃ。また明日も来るよー」

「いいってそんなに来なくても。来週から嫌でも毎日顔合わせるんだし」

「やだぷー! また来ますー!」


 明るく言いながら愛華は戸を開く。


「またね、にぃ。それと……可哀相なテラスちゃん?」


 そして愛華は戸を閉めた。

 部屋は急に静かになり、太陽はまたベッドの上で背伸びをする。


「スマホも使えねぇし本はつまらねぇし……どうすっかなぁ」


 太陽は時計を見た。そろそろ夕食時だ。テレビを観るには半端で、特に面白いものがやってる時間でもない。


「明日愛華何か持ってきてくれるかなぁ……暇すぎて死ぬわ」


 ぴこん。

 テラスの呼び出し音がなるが、太陽は反応を見せない。


「しゃーない。雑誌でも読みに行くかぁ」


 太陽はベッドから降りてナースステーションに向かった。ナースステーションでは帰りの見舞い客で賑わっており、そこには見知った顔もいた。


「王城先輩、風音先輩」


 太陽に名前を呼ばれた二人は驚いたように振り向いた。


「天広……?」


 その反応が太陽にとっては不思議だった。


「何でそんなに驚いてるんすか?」

「お前……確か忘れ……」


 王城がまだ言葉を続けようとしている途中。


「あら天広くん、相変わらず愛想が良いのね。先輩として嬉しいわ」


 風音に褒められたとわかった太陽は、照れ臭そうに頬を掻く。


「いやーそりゃあイケメンと美女の二人を見たら挨拶ぐらいしますよ」


 太陽は王城と風音の顔を見て、ちらりと風音の胸を見た。


「天広くん、次は私だけの顔を見て挨拶できれば百点ね」

「えーっと、その、ごめんなさい」


 しょんぼりと肩を落とした太陽に、風音は笑みを浮かべる。

 ぴこん。


「晴野先輩のお見舞いですか?」

「あぁ……まだ意識は戻ってないようだがな」


 ぴこん。


「心配っすね……」

「太陽くんは元気そうで何よりね」


 ぴこん。

 ぴこん。


「元気だけは誰にも負けませんよ」

「そう、か……ところで天広」

「はい?」

「先程からお前の相棒が呼んでるぞ?」


 ぴこん。

 太陽は大きくため息をついた。


「僕のじゃないですよ。迷子の相棒です」


 太陽はテラスを見ずに王城に答える。その言葉に二人は目を伏せた。


「話を聞いてやれ。もしかしたら面白い話を聞けるかもしれんぞ」

「あはは、所詮プログラムっすよ。面白いことなんて言えませんって」


 王城は何かを言おうと口を開いたが、すぐに閉じる。


「どうしたんですか、王城先輩?」

「相棒には……感情がある。知っているな、天広」

「あーはい」

「相棒は悲しみもする。そして、痛みも感じる。マスターのために手足が動かずとも戦おうともする。マスターを侮辱され怒るやつもいる。仲間を助けるために、勝てない戦いに挑むやつもいる」

「はぁ……」


 王城が何を言いたいのか、太陽は理解できない。


「……迷子の相棒は、今はお前だけが頼りだ。助けてやれ」

「いや、そんなことな……」

「頼む……天広。そうでなければ、晴野も、他の奴らもあまりにも救われない……」


 あまりにも辛そうな頼みに、「は、はい」と太陽は戸惑いながらも頷いた。


「そうか……では、またな」

「お大事にね、天広くん」


 そして二人は去っていった。


「迷子の相棒のために、か……」


 太陽は独り言を漏らし、SHTITを見た。


「とりあえず飯の時間かな」


 太陽は部屋に戻る。夕食は準備が始まっていた。

 夕食をぺろりと平らげると、太陽はまたSHTITを見た。


「えーっと、テラスだっけ? 姿を見せろー」


 ふわりと、テラスは現れる。テラスの目元は赤く腫れていた。


「お前のマスター、見つかったか?」


 テラスの瞳からは再び涙が流れ出した。


「泣くなよ、めんどくせぇなぁ……」


 辟易しながら太陽は言った。

 ぴこん。

 私のマスターはあなただけです。


「だぁかぁらぁ、僕はお前のことなんて知らないっての」


 ぴこん。

 ナマコ。


「……僕の相棒を馬鹿にしてんのか?」


 ぴこん。

 覚えて、いるのですか?


「覚えてるもなにも、僕が最初に言って、僕の相棒が怒ったんだよ」


 ぴこん。

 それは私です。


「ちげぇっての」


 ぴこん。

 あなたは私に、最初ナマコと名付けようとした!


「それはお前じゃない!」


 苛立ちから声を張り上げた太陽に驚き、テラスは体を丸めた。


「勝手に僕と相棒の思い出を語るな!」


 ぴこん。

 勝手に私とあなたの思い出を忘れないでください!


「あぁもう!」


 ぴこん。

 私は、私は……あなたの相棒です! 私はテラスです! あなたのテラスです!

 怒りの表情を向ける太陽に、体を震わせながら、それでもテラスは彼を見た。


「お前じゃないって言って……!」


 ぴこん。

 どうしてですか? どうして忘れてしまったのですか?


「は?」


 悲しげにテラスは太陽を見つめた。


「やめろよ……」


 ぴこん。

 マスター……。


「知らない……お前なん、か」


 儚げな、弱々しい瞳。

 その瞳から流れる涙。


「僕を、そんな目で見るな……」


――きっと、会えるから。


「うるさぁぁぁぁぁい!」


 病院内全てに響くような絶叫を太陽は上げた。


「知らない知らない知らない知らない知らない知らない!!」


 頭をぐしゃぐしゃと太陽は掻き毟る。


「僕じゃない! 僕は殺してない! 僕は……僕は!」


 太陽の個室に看護師が駆け足で現れる。


「天広さん、どうしました!?」

「落ち着いて!」

「やめろぉぉぉぉぉ! 知らない知らない! 僕をそんな目で見るな! 知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない!」


 ぴこん。

 あなたは……やっぱり……。


「僕は光を……殺してなんかなぁぁぁぁい!」


 この場で、テラスのみが確信する。


「あぁぁぁぁぁぁぁあ!」


 太陽はのだと。

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