情報熟練者/わがままを言ってもいいですか?
自宅に戻ると、家はしんと静かだった。正詠は靴を脱ぎ、そのまま階段を上り一直線に自分の部屋に向かい、着替えを始める。
――俺は、強くなりたい。ブラウンのように、いいや……誰よりも、です。
あのとき、ロビンはそう語った。それがどれだけ難しいことか、わからないはずないのに。
「ロビン……今日の宿題の参考サイトを表示してくれ」
近くを浮いていたロビンに語りかけるが、ロビンは答えなかった。
「ロビン?」
ぴこん。
誰かいます。
「誰かって……父さんも母さんも今日は仕事だしなぁ」
自分の問いかけを無視されたことに嘆息し、正詠は少し警戒しながら階段を下りていく。
人の気配は全くしなかった。
「泥棒じゃあないか」
居間に入ると、テーブルの上で相棒がぽつんと座っていた。
「バートン?」
くるりとバートンはこちらを振り向いた。
「
SHTITを手に持つと、バートンは正詠の肩に乗った。
「どうした、ん?」
ぴこん。
「あぁ……さすがにないと不便だろうから戻ってくると思うけど……」
ぴこん。
離れてから四時間も経ってるの。
「四時間も? いくらなんでも時間経ちすぎだな……仕方ない、持っていくか」
正詠はメモに書き置きをして、家を出た。
正詠の両親は市内病院で働く医者だ。父は消化器の外科医で、母は小児科だった。
病院へはバスで十五分程で到着する。平日の夕方ということもあり、待ち合い室は空いていた。
「すみません。ここで働いている高遠の息子なんですけど……」
正詠が受付にそう伝えると、看護師はどこかに連絡し、五階のナースステーションへと正詠を案内した。
ぴこん。
「すぐに会えるよ」
寂しそうにするバートンに、正詠は優しく返した。
正詠はバートンを見つめながら、指で優しく撫でる仕草をする。バートンは嬉しそうに微笑みを浮かべていた。
バートンはやけに幼く、頼りなかった。そういえばと正詠は思い出す。
この相棒は母とあまり対話しない。元よりバートンは話さない性格なのかもしれないが、相棒というものはマスターに対しては積極的に話しかけると、教科書に記載されていた。そして『マスターと会話の少ない相棒は、成長が他よりも遅れる』とも。
「正詠」
そんなことを考えている彼に声をかけたのは父だった。
「あれ、父さん?」
「すまんな。
「えーと、母さんがSHTITを忘れたから届けに来たんだ」
「あぁ……わかった、俺が預かっておくよ」
「そう……うん、わかったよ」
正詠が父にSHTITを渡してすぐに、電子音が五月蝿く鳴った。
周りにいる何人かの看護師は何事かと正詠たちに視線を向けた。
「な、なんだ!?」
父が驚き、SHTITを手放すと音は止まった。
「バートン?」
バートンはSHTITの上で泣いていた。
大粒の涙を流し、口を大きく開けている。
「どうした、バートン?」
正詠がSHTITを拾い上げると、バートンはロビンに抱き付いた。
「どうしたんだ、母さんのSHTITは?」
状況を全く理解できず、父は狼狽えている。
ぴこん。
「母さんに会いたいみたいだよ」
「機械のくせにわがままか……こっちは仕事で忙しいのに……」
「機械じゃ……ないよ。
正詠の胸が、寂しさで詰まる。
「それは愛称さ。所詮は作られたプログラムで、感情のようなものを埋め込まれているだけの偽物だ」
ずきりと、正詠の胸が痛む。
所詮プログラム。
勉強を懸命に教え、歯を食い縛り戦い、誇りを守るためにズタボロになり、それを見ても強くなりたいと口にする相棒を、父はそう言い捨てた。
「父さ……」
ぴこん。
ロビンの呼び出し音がする。
訂正を求めます、
「む?」
ロビンは正詠の父のSHTITを介しメッセージを送った。それのせいか、父の相棒が現れた。
「……どんな理由であれ、私が呼ぶ以外出てくるな。メッセージならばメッセージのみ表示しろ」
父の相棒は頭を下げ、そのまま姿を消した。
「で、一体何の訂正だ?」
ぴこん。
私が……俺が抱くこの感情は作られていません。
「そうプログラムされているのだろう? 機械と話しても時間の無駄にしかならん。正詠、どうしてSHTITのスピーカーをオンにしたんだ? 美千代はいつもオフにしていたぞ」
あぁそうか。母さんのバートンは話さないわけじゃないんだ。話したくても、話せなくて。話しかけても、気付かれなかっただけなんだ。
正詠はまたバートンを見た。彼女は正詠に助けを求めるような瞳を向けていた。
「母さんを呼んでよ」
「美千代は忙しいんだ。さぁ、もう帰りなさい」
「母さんに渡したいんだ」
「正詠、お前ももう子供じゃないんだから」
正詠を諭そうと、父は彼の肩に手を置く。
ぴこん。
俺の
「こいつ……」
「俺は……子供だよ、父さん」
正詠の涙腺に熱いものが溜まり始めた。
「小学生の時、父さんも母さんも、いつも運動会に来てくれなかったことが寂しかった。中学生の時、模試で良い成績を取っても、褒めてもらえなくて寂しかった。今……俺の相棒を馬鹿にされて苦しいんだ」
「正詠……」
「父さん。来週の土曜日、バディタクティクスの決勝戦があるんだ。俺、友達と一緒に頑張って勝ったんだよ。母さんは、決勝まで行ったら父さんと観に来てくれるって約束してくれた」
正詠は瞳に涙を溜め、真っ直ぐに父の瞳を見つめる。
「観に来てよ……俺もロビンも、強くなったんだ。俺の友達を、自慢させてくれよ」
「その日は仕事があって……」
「いつも……そうだ」
正詠は涙を拭い、母のSHTITを手に取った。
「バートンは持って帰るよ。独りでいるよりは、ロビンと一緒にいさせる」
そして正詠はナースステーションから去っていった。
父はその背中を黙って見送っていた。
ぴこん。
スケジュール共有が完了しました。重要度・高。バディタクティクス決勝戦――陽光高校。
父のSHTITが知らせるが。
「……予定はキャンセルだ。その日は学会がある」
ぴこん。
ノー。キャンセル条件を満たしておりません。キャンセルする場合は、私とバートン、ロビンの三者の合意が必要です。
「……正詠、あいつ」
父は大きく、ため息をついた。
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