戦い/幼馴染の場合

   戦い/正詠の場合


 途中まで正詠は遥香と帰った。会話はどれも他愛もないものだったが、二人はよく笑っていた。

 自宅前に到着し、正詠が玄関のドアを引こうと手を伸ばすと、ドアは自然と開いた。


「おかえり、正詠」


 正詠の母だった。

 正詠と似た整った顔立ちをしているが、その印象は鋭くどこか冷たさを感じる。


「ただいま、母さん。出迎えてくれるなんて珍しいね」

「たまにはね」


 正詠の背中から「おばさんお久しぶりでーす」と遥香が大きな声で手を振っている。その声に正詠は振り返ると、遥香とその母が穏和な笑顔をこちらに向けていた。


「久しぶりー! 相変わらず可愛いねぇ!」


 正詠の母も大きな声で返して手を振った。


「ほらご飯出来てるよ」

「うん」


 頷いて正詠は玄関を通る。自分の部屋には行かず、居間にそのまま向かうと、既に夕食の準備がされていた。皿は三人分用意されており、それを見て正詠は悟られないようにため息をついた。


「今日は豚のしょうが焼きよー。少し冷めちゃったから温め直すね」

「ありがとう、母さん」


 二人分のおかずを持って正詠の母はキッチンに向かった。

 テーブルの上には正詠の母の相棒がぽつんと座っている。

 テラスよりも幼い容姿をしており、服装は人形のようなドレスを着ていた。

 ロビンは正詠の肩からじっと彼女を見つめており、彼女はその視線に気付いてロビンを見た。

 チン、とレンジから音がすると、母の相棒は視線をすぐに戻した。


「はい、どうぞ」

「ありがとう、母さん」


 おかずと共にご飯と味噌汁も用意してくれたようで、正詠は黙々と夕食を口に運ぶ。

 それを見た母は微笑んで、自分も食べ始める。

 会話はなく、かちゃかちゃと食器と箸の音のみがしていた。


「ごちそうさま。食器は洗っておくよ」

「あら、悪いわね。じゃあお母さんまた仕事に行ってくるね」


 母は鞄の中を確認しながら正詠に言う。


「うん……父さんは今日帰ってくる予定だったの?」


 ぴたりと母の手が止まる。


「……全く、あの人も困った人よね」


 そして母は悲しげな微笑みを正詠に向けた。

 母の肩にいる相棒は、同じような表情を母に向けている。


「母さん」

「なぁに?」

「今度、太陽達とバディタクティクスの大会に出るつもりなんだ」

「あら、いいじゃない」


 母は正詠の頭を撫でた。


「その……決勝まで行ったらさ、父さんと一緒に観に来てよ。その日だけ一般開放してるらしいから」


 そこまで話して、正詠はきゅっと唇を一文字に結んだ。


「そう、ね。よし、わかった。お父さんも私も絶対行くからね」


 母の言葉に、正詠は辛そうに微笑んだ。


「うん。約束、だからね」

「えぇ。じゃあ行ってくるね!」


 早足で母は家を出て行った。そのときに、母の肩にいる相棒はこちらを見ながら手を振っていた。


「行ってらっしゃい、母さん」


 もう何度目かもわからない約束を、正詠は心に刻んだ。

 ぴこん。

 スケジュール登録完了。相棒『バートン』と共有しますか?


「いや、共有しなくていい。忙しいから忘れるよ、いつもみたく」


 ぴこん。

 了解。


「さて、洗い物したら勉強するかな。今日は昨日からの続きを頼む、ロビン。それと今月末の模試対策がしたい」


 ロビンは頷いた。


「そういや……テラスはサイダーが好きらしいけど、お前も飲んでみるか?」


 正詠は立ち上がってシンクに向かいながら言う。それにロビンは満足そうに頷いて、正詠の肩に乗った。


「よし。じゃあジンジャエールをやるよ。サイダーよりは大人っぽいし、お前に似合ってる」


 正詠は静かな笑みを作り、食器を洗い始めた。

 ぴこん。


「ん? どうした、ロビン?」


 正詠の目の前に、詩が表示された。


 貴方が笑えば、世界は貴方と共に笑う。

 貴方が泣くとき、貴方は一人で泣く。


「エラ・ウィーラー・ウィルコックス、Solitude、孤独」


 ぴんぽん。


「慰めてくれてんのか?」


 ぴんぽん。


「はは。ありがとな、ロビン」


 正詠の顔から、寂しさは消えていた。



   戦い/遥香の場合



「それでね、もうテーブルの上でリリィ達が喧嘩しちゃって大変だったんだよ!」


 夕食を終えた遥香は両親と共に語り合っていた。語り合う、というよりは一方的に遥香が話し、それに両親が楽しく相槌を打っている、が正しい。


「太陽のテラスがホントに泣き虫で可愛いの! 太陽の相棒には勿体ないくらいに!」


 笑いながら遥香はリリィを撫でた。


「ま、リリィほど可愛くはないけどねぇ」


 リリィは照れ笑いを浮かべながら、その場でくるりと回った。


「太陽くんらしい良い相棒じゃない。大好きな太陽くんのために怒ったんでしょ、テラスちゃんて」

「えっ?」


 ぱちくりとまばたきして、遥香は首を傾げた。

 彼女の母は洗い物を終えて、椅子に座った。すると、母の相棒が遥香がしたようにリリィの頭を撫でる。


「みんなが太陽くんを馬鹿にしたって思ったのよ、きっと。本当はそんなことないのに」


 母の相棒はリリィをぎゅっと抱き締めた。


「あなたはわかっていたんじゃないの、リリィ?」


 リリィはちらりと遥香を見た。


「なによぉ、私だって……いやまぁ気付かなかったけどさ、あんたはテラスのことをからかったノクトに怒っただけでしょ?」


 肩を竦めて首を振ったリリィは、どこかロビンのように見えた。表情や行動は似ているが、母の相棒がくっ付いているため、皮肉さが半減していて可愛らしく見える。これがロビンだったら、ただの女たらしにしか見えないが。

 リリィと母の相棒はしばらくいちゃついていたが、やがて遥香が立ち上がるとそれを終えて遥香の頭の上に乗った。


「何で頭の上に乗るのさ」

「高みを目指してんのよ、あんたたちと一緒で。もしくは煙となんとか的な」

「お母さんうるさーい」


 ぷいとそっぽを向いた背中を母は優しく見守っていた。ついでに父も。

 部屋に戻ると、遥香は勉強机に向かって数学の参考書を開いた。


「何だかんだ言いながら勉強する私って偉いと思うの。そうでしょ、リリィ?」


 二度頷いて、リリィは画面を表示する。


「えっと……先輩が微分積分はやっとけって言ってたけど、私でも出来そう?」


 ぴこん。

 優しい微分積分。ここから始めるあなたの可能性。


「……面白いタイトルだね」


 ふふんと、リリィは胸を張った。遥香はリリィを褒めたわけでは決してないのだが、リリィは誇らしそうだ。確かに、遥香の相棒であろう。


「まぁやってみるかな。正詠からもアビリティ取っとけって言われたし」


 遥香は参考書の例題をまずはノートに書き移し、リリィが表示している画面をじっと見ながらその問題を解き始める。

 時折リリィはうるさくならない程度に音を鳴らして、ポイントを彼女に伝えた。ペンを止めたらいくつかの参考サイトを表示し、彼女を飽きさせないよう尽力していた。

 その甲斐あって少しはコツを掴んだのか、簡単な問題は時間はかかれど自力で解答まで至ることができた。


「五問解くだけで一時間半かぁ……まぁバレーでもなんでも反復練習が大事だよね」


 んーと大きく背伸びをした。休憩を入れることにしたらしい。


「なぁんか勉強してるとか、私らしくないかもね」


 皮肉を口にしつつも、まだ学校でも習っていない範囲を解いたことに、彼女は達成感を感じていた。

 ぴこん。


「ん? なぁに?」


 嫌いじゃない。


「はい?」


 ぴこん。

 そんなあなたのことが。


「もう、あんたは人を乗せるのが上手いんだから。ちょっと休憩したら再開するし。あ、テラスみたくジュース飲む?」


 リリィはその場でくるりと回って喜びを表現した。

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