日常/3-2

 目的の帽子購入は終わったはずなのに、愛華は僕をとことん連れ回した。その挙句、ハンバーガーショップで奢らされた。この妹、強い。


「もうにぃったら、そんなんじゃあ彼女できたとき嫌われちゃうよ」

「いやお前、いくら何でも四時間はないわ」

「気付いたら時間が経っちゃっただけだよ」


 とりあえず彼女にするのなら買い物にあまり時間をかけない子にしようと、今日決めた。今のところ彼女ができる予定はないけども。

 はぁとため息をつくと、テラスが何かのメッセージを表示した。


 ・高遠 正詠

  同建物内


 む。正詠の奴、もしかしたらデートでもしているのか。からかいにでも行ってやろうかな。


「どうしたの、にぃ」

「正詠がここにいるらしい。連絡してみようかな」

「やめて」

「え」


 あまりにも冷たい声に、僕は驚きを隠しきれなかった。一瞬愛華の声に聞こえなかった。


「いや、別にいいじゃん」

「いいから」


 愛華の瞳は細い。明らかな不快を表している。こんな表情をすることがあるのかと、実の兄なのに初めて知った。


「……今日、おかしいぞお前。どうした?」


 一度目を大きく見開くと、愛華は一目でわかる作り笑いを浮かべた。


「話してくれないのか、愛華」

「……にぃはさ」


 その作り笑いをすぐに崩して、愛華は悲痛そうに顔を歪めた。


「小さいときのこと、覚えてる?」

「は?」


 なぜ急に思い出話になるんだ。


「いや、覚えてるも何も……いつ頃の話?」

「五歳ぐらいのとき」

「何してたっけか。その時って一日が長かったからなぁ。覚えてないわ」

「AI研究所の近くで遊んでた時は、覚えてる?」

「え?」


 AI研究所なんて近くにあったか。そもそも家の近くにそんな大層なものないはずだけど。

 いや……AI研究所? そんなの、存在しているのか。待て、存在するはずだ。僕が持ってるこの端末は、何も天から降ってきたわけじゃない。日本で開発されて世界に広まったんだ。必ず、それを研究する場所があるはずじゃないか。


「痛っ……」


 ずきりと頭が痛む。

 なんだっけ、何を忘れているんだっけ。


 ――いつかまた、会えるよ。


「うる……せぇ」


 ずきりずきりと頭が痛む。耳の奥から悲鳴が聞こえる。人の声だ。


 ――また会おうね。太陽くん。


 ぴこん、と電子音がした。


「テラス……」


 テラスの顔は心配そうだった。泣く一歩手前にも見える。顔の周りをあたふたあたふたと動き回る。少し鬱陶しい。


「じょぶじょぶ大丈夫。心配すんなって」

「ほら、やっぱり覚えてないんじゃん」

「え、なんて?」

「ううん、何でもない。それよりもそろそろ帰る?」

「んーそれでいいか、愛華? 頭痛くなってきた。昨日の正詠さん勉強会のせいかな」

「にぃは勉強嫌いだもんねー」


 確かに勉強は好きじゃないけど。将来の夢はニートか主夫だけども。


「わりぃな、愛華」

「いいってことよ」


 愛華は〝いつも通り〟だ。

 まだ頭痛の余韻はあるが、電車に乗る頃にはそれは薄れていた。

 家に着いて早々、僕はベッドに倒れこんだ。起きたときには夕食時で、もそもそとその時間を流した。再度自室に戻ると、テラスが出てきて机の上で正座をしていた。服装もいつもと違った。

 白装束だ。ついでに白い鉢巻を巻いている。彼女の目の前には短刀が置かれていた。これはドラマとかでよく見るSEPPUKU切腹シーンだ。


「何してんの、お前」


 くっ、とその短刀を手に取り抜き放った。白刃がきらりと煌く。


「はいストップー」


 テラスはぴたりと手を止めた。


「何してんの」


 ぴこん、と電子音がする。彼女の目の前のディスプレイには、何処かから拾ったであろう文章が並んでいる。


 切腹:不始末が生じた場合にその責任を取る。


「テラスが何かしたのか?」


 ぴこん。

 健康管理。


「あぁ……ははは、なるほどな。あんときか。お前は悪くない。気にするな」


 しょんぼりと肩を落とすテラスを見て、自然と笑みが零れた。


「お、そういや英語でわかんないところあるから、昨日の予習の続き頼むよ」


 ぱぁっと笑顔に華を咲かせると、くるりと回って一瞬で容姿を元に戻した。そして、ディスプレイには構文やら間違えやすいような単語が羅列している。

 すぐに休みたかったが、自分で言ったことだ。やらざるを得ないだろう。


 そして僕は、あの頭痛の原因が〝バースデーエッグ・プログラム〟の根幹に関わることだということを、まだ忘れていた。

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