日常/3
自分が浴室から出てくると、すでに正詠と遥香の姿はなかった。ついでに言うと愛華もいなかった。
「母さん、愛華は?」
「愛華ならあんたとデートする準備してるんじゃない?」
呆れたような口調に「なんだよ」と悪態をついて、自分の部屋に戻った。ドアを開けると、我が可愛らしい妹がいた。何故かベッドの下を漁っていた。こういったシチュエーションというものは、こう健全的な男子と母親との心温まる親子のコミュニケーションであるべきなのでは。
「よう、愛華」
なるだけ平静を装って聞いてみる。愛華の表情に特に変化はない。道で野良猫に会ったような反応だ。こちらをじっと見つめるだけだ。僕の経験的にはもう少ししたらそろりそろりと逃げ出すはずだ。
「よ、にぃ」
おっと、これは予想外ですよ。我が家のDNAの奇跡でもある妹の愛華さん、逃げも隠れもせず、漁ることを続行しておりますよ。この行為をやめさせた上で如何にいつも通りの関係に戻すかに、僕の兄貴力が関わってきます。
「エロ本ってここら辺?」
「あほか。今の情報時代でなんでそんなわかりやすいところに隠さなあかんのだ」
とりあえず愛華の頭を引っ叩く。
「出かけるんじゃないのか、愛華」
「あ、そうだった。にぃが出てくるの遅いから忘れてた」
愛華は既に出掛ける準備は出来ているようだった。はぁと嘆息して、クローゼットに手を伸ばした。
あんまり変な恰好をしても愛華が可哀想だし、適度にこう……お洒落に見えた方がいいよな。
「ひゅーひゅー脱げ脱げー!」
「愛華、もう一度叩かれたくなかったら早く出ろ。すぐに行くから」
「はーい」
舌をちろりと出して、愛華は退散していった。
くそっ、DNAの奇跡は行動全てに可愛い補正プラスでもかかるの。有り得ない、不公平すぎる。
なんて馬鹿なことを考えながらちゃちゃっと着替えて玄関へと向かった。
「そいじゃ行くか、愛華」
「もー超待ったしぃ早く早くぅ」
どういうこっちゃ。ちょっと見ない間になんかこいつおかしくなってないか。妹としての枠を外れてきている。なんか彼女みたいだ。
「待ったも何も同じ家なんだから」
「こういう時は乗っかるのがイケメンの常識だよ、にぃ」
「ブヒィ! 愛華たん、行くブヒィィィィィィ」
「うわっ……引くわ」
妹に引かれてしまった……どうしよう、このままじゃあ生きていけないかもしれない。
「るんるんポート行くけど、にぃは何か買うものある?」
そして何事もなかったかのように言いながら、愛華は玄関のドアを開けた。僕もそれに続いて外に出た。
良い天気だった。休みの日がここまで晴れると、それだけで得した気分になる。
「あーズボンかシャツが欲しいかな。今日は見るだけにしとくけど。愛華は?」
「私は帽子かなー。夏に向けてカンカン帽が欲しいの。ほら心をすませばのヒロイン被ってるようなの」
「確かに愛華に似合いそうだな」
僕と愛華は駅までのんびり歩き電車に乗る。自宅の最寄り駅からるんるんポートのある駅まで二駅なので、すぐに着いた。ここに来る度に車が欲しいと思う。
「じゃあ僕はこっちだから」
メンズとレディースのショップは離れているのでそちらに行こうとしたが、愛華にがっちりと腕を掴まれた。
「まずは下着を見ましょう。私の」
「え、いやそれは本当に気持ち悪いからやめて」
「私も実の兄に下着選ばれるとかキモイ」
じゃあなんでそんなこと言うんだ。
「とにかく今日は私の買い物に付き合うって言ってくれたんだから、許可なくどこかに行かないでよ」
「あぁはいはい」
そんなやり取りを繰り返しながら、我ら兄妹は帽子を吟味し始めた。帽子専門店もあるこのショッピングモールでは、愛華が新しい帽子を被っては「どう?」と聞いてきては、僕の微妙な反応に舌打ちをするという流れがかなりの数続いた。店員も最初こそあわあわとしていたが、次第に慣れてしまったのか何もリアクションを見せなくなっていた。よく教育された店員だなぁと思いながら、もう何回目かもわからない「どう?」に「あぁ」と適当に返事をしていた。
「うーん。二つまで絞れた」
「よくあんなに気移りして二つに絞れるな、お前」
「どっちがいい?」
どっちもあんまり代わり映えしない。正直な気持ちはどうでもいい、なのだが僕の一言が鶴の一声になるかもしれないと思い、二つの帽子を見た。
大きな違いと言えばリボンの色で、一つが水色、一つがピンク色だった。
「ピンク色の方」
「あーじゃあ逆のにするー」
……え、ウソですよね。
「じゃあ会計してくるね」
ととと、と小走りでレジに向かう愛華。ウソでもなんでもなく、本気でレジでお金を払っていた。そしてまた小走りでこちらに戻ってきた。
「いい買い物でした」
ほくほく顔でそういう愛華は、やっぱり可愛らしかった。
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