第二章 青の鼓動と赤の静寂 PART6
6.
会場は熱気に包まれたまま、幕が閉ざされた。流れ落ちてくる汗を拭いながら体全体で呼吸をするしかない。
体全体がピリピリと引きつっていくのを感じ、きっと明日は筋肉痛になるだろうと確信する。
……この疲れは次の日にはどうなるのだろうか。
もし明日も変わらなければ、自分が感じる痛みとなるだろう。だが明日自分の体に戻っていれば、火蓮が肩代わりしてくれるのだろうか。
「お疲れ様、今日もよかったよ、火蓮君」
後ろからプロデューサーらしき人物が声を掛けてきた。
「あ、ありがとうございます」
風花と美月も声を上げて挨拶をしている。やはり彼が責任者なのだろう。二人はそのまま火蓮の方に近寄ってきた。
「お疲れ様、何だか今日は凄かったね。いつもの火蓮じゃないみたいだった」
「……変わるわけがないだろう。オレは常に全力だからな」
「ふうん。まあ、やる気になったのはいいけどさ、目からも汗が出てるよ」
「……えっ?」
目元を抑えると、涙が溢れていた。
「これはな、汗が入って……」
「いいじゃない、それだけ本気で取り組んだってことでしょ。それに今日の火蓮は特別格好よかったわ」
「何だよ、いつもは格好悪いってか? 今日はいつもと違ったんだ。内容がわかっても感動することってあるんだな」
美月は当たり前じゃない、と一喝した。
「劇場でみるメリットがなければDVDで充分よ。だから私達はこうして仕事にありつけているんじゃない」
「違いない。さてと、帰るとするか……」
「何よ、今日は飲まないの?」
美月が不服そうな顔で睨んでくる。
「ああ、弟を待たせてあるんだ。それに明日は病院で定期健診があるからな」
そういって後悔する。今の体は火蓮なのだ、彼は定期健診に行っていない。
「そうはいっても行くのは水樹だけでしょ? 火蓮はほとんど来たことがないとお父様は嘆いていたけれど?」
「当たり前だ、オレは何の問題もないんだからな。あいつは几帳面だから通っているだけだ。まったく病院代だってタダじゃないのにな」
「じゃあ決まりね、一杯くらい付き合ってよ」
「そうはいってもな……」
「ごめん、私も今日はまっすぐ帰るね」
風花が足早にホールから去っていく。
「何よ、二人ともつれないわね」
美月は頬を膨らませて腕を組んだ。まだ彼女の攻撃は緩まっていない。
「水樹が来てるってことは二人で何か食べにいくんでしょ? お酒は飲まなくてもご飯くらい食べにいかないの?」
「いや、すまない。今日は本当に用があるんだ。また次回、ちゃんと埋め合わせはするからな」
謝り倒した後、彼は美月の返事を待たずにそそくさと楽屋を後にした。振り返ることはできなかった。
◆◆◆
火蓮に連絡を入れ、昨日のレストランで待ち合わせをすることにした。
なるべく人通りの少ない道を選んでいくと、ネオンの光が幻想的に見え始めていく。
夜の街はいつもより魅力的だ。自分が行ったことがない店の扉を見るだけでも店の雰囲気が浮かんでくる。その店の得意料理、店主の顔、キープしてあるボトルの量など様々な映像が頭の中で巡っていく。
飲食街だけでなく女性が酒を注いでくれる店のイメージまで浮かんでくる。ひょっとすると彼のお気に入りの子かもしれない。これこそがプライバシーの侵害だろうなと関係のないことを考えて街を通り抜けていく。
目的地に向かっている途中で火蓮が見えた。彼も気づいたようで手を大きく振っている。
「よう、お疲れ様。見事な指揮だったよ。俺が感動しちまった」
火蓮は周りに構わず、がははと大笑いしている。
「……よくいうよ。こっちは倒れそうだったんだから」
二人で立ち話をしていると、
「水樹、ひどいじゃない。来てるなら連絡くらいちょうだいよ」
火蓮は驚いて風花を見ながらも言葉に詰まっている。
「ああ、すまない。ちょっと用があってこっちまで来ていたんだ……」
「じゃあ劇は見てないの?」
「いや、見させてもらった。風花の演奏はとってもよかったよ」
風花は頬を膨らませながら火蓮を睨む。
「いっつもそうなんだから。よかったしかいわないじゃない。もうちょっと言葉を選んでよ」
火蓮は苦い顔になり無理やり言葉を並べ立てていた。その仕草は本物のようで、役者になれるかもしれないと想像が働く程だった。
「風花の演奏はいつもばっちりだからね。ボクの肌に合うんだ、だから褒める必要なんてないよ」
風花は満足いっていないようだったが、肩をすくめながら車のキーを回した。
「今日はタクシーで来たんでしょ? 私が送ってあげる」
火蓮と顔を見合わせる。打ち合わせなしに言葉を発したら最悪ばれる可能性がある。
「いや、いいよ。ちょうど二人で飲もうと思ってたから」
まずいと思ったが、遅かった。火蓮は美月の件を知らない。今日は飲食以外の用事があるといっているのだが……。
「……そう。それなら仕方ないわね。水樹さん、明日の約束はちゃんと覚えてるよね?」
「……ああ。覚えてる」
「よろしい。じゃあまた明日ね」
そのまま彼女は駐車場へ向かっていった。
風花が見えなくなるまで手を振り続け、姿が見えなくなってから二人は大きく溜息をついた。
「……危なかったな。もう少し大きな声で話していたら、聞こえていたかもしれない」
彼の言葉に頷きながら、風花の後ろ姿を見る。彼女にしては物分りがよ過ぎる。すでに何かを感づいているのかもしれない。
そうかもねと告げた後、水樹はタクシーを止めるため再び手を挙げた。
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