第7話 盗賊少女
「……うっ」
寝ている男は、なにやら、背中に重みを感じて、目を覚ました。
意識を失って倒れていたにも関わらず、手に持ったランスを手放そうとしない男は、まだ、戦えると――自分の意思を表しているようだった。
そんな男の背に、片足を乗せ、指を天に掲げてポーズを決めている一人の少女。
「ふにゃはははっ。愚かなる反逆者、サレンをこの私が倒したのだぞ!」
どうやら、天を指しているのは指だけでなく、彼女の尾骨部には、ふさふさとした、長いしっぽの様なものが付いているのだった。
その尻尾もクルリと天を向いていた。
「くっ……」
まだ、完全には覚醒していないサレンは、それでも上体を起こそうと、腕を地面に着いて立ち上がろうとする。
……が、「にゃん」と、声を上げ、踏みつけていた足に力を込める。何が起こっているのか意識が追いつかない。
「うわっ。びっくりした。生きてたの? サレン?」
自分が地面に思い切り踏みつけているくせに、嫌に心配そうに声を掛ける少女。
グリグリと。
「おーい、大丈夫かー」
片足で踏みつけたまま、サレンの顔を覗き込む。
グイン。と、腰を曲げる少女。猫の様にしなやかな肢体を持っているようだ。
「……君は? 猫耳?」
サレンの目に映ったのは、獣の耳と髭を持った、にこやかな少女の顔。顔だけでは分からないが、十代後半程度だろうか。
「へ? 何、なに? どうしちゃったの? 私を忘れるなんて?」
サレンの視界から猫耳少女の顔が消えた。
「ひどいなー」
少女は踏みつけていた足をどかし、「ぴょん」と、跳ねてサレンの背中に着地する。
「うっ」
着地した衝撃にうめき声を上げるサレン。
うめき声だけでなく、体が地面に当たる鈍い音も響いたようだが、少女には聞こえていないようだ。獣の耳を持っているのに、音には鈍いのか、それともただ、無視しているのか……。
恐らくは後者だろうが――。
「でも、忘れちゃったなら教えてあげるしかないねぇ。教えて挙げたくなるのが私の良い所なのさ」
背中の上から発せられる、陽気な声。
「おい!」
サレンは自分に載っている少女に顔だけ向きを変えて、声を上げる。
だが、人間の首の可動域では、うつ伏せのまま、完全に背中に立っている少女の背中を捕らえることは出来ない。
ゆらゆらと揺れるしっぽがサレンの目に入るだけ。
「私はこの世界において最強で最速で最媛の美女盗賊、クウカさまだ!」
自己紹介する相手の上で自己紹介をする少女。クウカ。
「盗賊……?」
「そそ、キュートな盗賊ちゃんです」
「それよりも……その耳?」
「耳がどうかした?」
ピクピクと耳を動かして見せるが、当然、背中の上に乗っかっているので、サレンには伝わらない。
「いや、だって……」
「もうー見たら、分かるでしょ? 私は獣人なのさ! 獣人美女盗賊だもん! って、そんなこと、サレンだって知ってるでしょうが!」
(ああ、そうか。獣人か)
別に獣人がいるのは普通だ。何を俺は聞いているんだ。まだ、意識がはっきりとしていないのかと、サレンは深く息を吸い込む。
彼女は、この世界では珍しくはない《獣人》と呼ばれる種族。獣の特性を得た人間とでもいえばいいのか。獣の力を持った彼らは、見た目こそ獣の姿を併せ持っているために、怖く思ってしまう人間もいるのだが、基本は気のいい力持ちである。
クウカは獣人であり、サレンとの顔見知りでもあった。どうやら、死体となってしまったサレンの体を運び、死体で遊んでいた所、サレンが目を覚ましたのが、今の現状らしい。
「ちょっと、人の上で暴れないで……」
死体だと思っていた人間が動きだしたことを不思議に思ったのか、ぴょんぴょんと小さなジャンプを繰り返し、しっかりとした人の弾力を確かめるのだった。
そんな確かめ方をしなくとも、こうして会話をしている以上、確かめるまでもなくサレンは生き返っているのだけれど。
「うっ、う、ううう」
ジャンプに合わせて声を上げるサレン。
「いやーおかしいな確かに死んでいたのに」
足の裏から感じる柔らかき人の感触。さっきまで踏んでいた感触とはまるで違う。
「き、貴様……!」
サレンの声がようやく聞こえたのか、「果て?」と、首を傾げる獣人少女。
「おかしいのはお前だ。俺の背中から足をどけろ、クウカ!」
ふん、と、何とか体を起こすサレン。
「うんうん、やっぱサレンはこうじゃないと」
急に上体を捻り起こすサレン。背に立っていたクウカは、バランスを崩し、サレンの背から落とされそうになる。
「ほっ」
と、身軽に飛び跳ね、二転してから着地するクウカ。動きは猫そのものだった。
「全く、俺が死んでいる間に俺の死体で遊ぶとは……」
「ええ、サレンが生きてたらサレンの死体で遊べないじゃん」
少女に踏まれることで汚れた衣服を払いながら、獣人の少女を睨む。
「はにゃはははー。生き返るとは思って思ってなかったからさー」
そんなサレンの視線から逃げるように目を反らして腕を組む。
「生き返らないからこそ、大事に扱うべきじゃないのか?」
クウカは「ドン!」と、サレンの言葉に胸を叩いて答えた。
「勿論そのつもりだったよ。この後、死んだサレンの首を持って、王国の城にでも侵入しようと企んでたところだったよ」
ちゃっかりとした盗賊だった。
まさか、人の死体すらも利用するとは……。知らない人間ならともかく、何回かは同じ目的で行動をしたサレンをだ。
盗賊少女の狡猾さに、やれやれと鼻から息を漏らす。
「……どこがいたわっているんだ?」
「ほら、このまま死体放置しても、サレンの死体なんてさ、置いといても役に立たないじゃん?だから、再利用を考えて挙げた私のやさしさに感謝してよね」
そんなサレンの態度に、気を良くしたのか、胸を張って答える。
「貴様……」
「それはともかく、本当、良く生き返ったねぇ」
良かった良かったと、本当にうれしそうに抱き着いてくるクウカ。ふさふさとした毛がサレンを温かく包む。
「それは……」
少女の温もりを手放そうと、クウカの肩を掴む。
「あれあれ? なんかあったみたいじゃん? なに? なに ?死後の世界がそんなに怖かったの?」
肩を掴み力を込めるサレンを驚いた表情を浮かべる。いつもならば、引き離そうとするのではなくて、即座にランスに手を取り、人体の急所である、頭か心臓を突いてくるのだが、しかし、今日のサレンは――生き返ったサレンは違っていた。
「大丈夫?」
いつもよりも優しい行為を、クウカは不思議に感じた。
「……いろいろとな」
クウカに見抜かれた事が歯切れの悪い返答。
別に死んだことで自分が変わったとは微塵にも思っていない。だが――やはり、生き返ったことに、安堵していたサレンだった。
「例えば? 例えば?」
サレンが安堵する位だ。これは何か面白い話が聞けるかもしれないと、深く話を掘り下げようとするクウカ。
目を光らせる獣人には悪いが――だが、サレンの話は到底、クウカに理解できるものではない。
「まず……神様に合った」
「は? 神様? 何言ってんのお前」
まずの段階で、障りの段階でクウカはきつい口調になった。神様の概念はクウカも知ってはいるが、その概念が実在しているかと言われれば、否定せざるを得ない。
「ああ、しかも、金色の髪をした可愛い少女だった」
「……もう一回死んだ方がいいんじゃない?」
と、小さな声で言うクウカの声に、
「ふん、俺はもう二度と死なない」
と、生真面目にも決意を強めるのだった。
「は、それで?」
語気を強めて続きを促すクウカ。心なしが頬が赤くなっていたのだが、サレンは気付かないようだ。
「神の他には、異世界の人間もいたぞ」
「……異世界?」
聞いたことのない顔に首を傾げるクウカ。
「何それ?」
「俺もよく分からないが、どうやら、この世界とは別の世界が存在しているらしい」
詳しくはサレンも知り得ないので、覚えてる限りの説明をする。覚えている限りと言っても、この世界とは別の世界だとしか言えないのだが。
「なに、それ! それが本当だったら凄いよ!」
だが、それだけの情報でも、クウカには十分魅力的だったようだ。
赤かった頬を更に紅潮させる。しかし、その表情はまるで違う。今のクウカは好奇心に満ちていた。
「凄いお宝あるのかなー」
ころころと変わる表情に、変わったやつだとサレンは、不愛想に話を続ける。
「だが、どんな世界だろうと、たどり着けなければ意味はない」
手が届かない世界よりも、この世界だ。
だからこそ、俺はこの世界で生き返ったのだから。
異世界のお宝に思いを馳せるクウカは、「はっ」と、我に返り、
「そうなのかな……。で、その異世界の人間? がどうしたの? サレンじゃどうせ殺そうとしたんだろうけどさ」
と、サレンに言う。
「……俺だって状況を考えているし、会う人間すべてに敵対するわけじゃない。」
「へー」
嘘つきとでも言いたそうなクウカの顔。細い目でサレンを見ていた。
「なんだ、その目は?」
「別に? いいから、それで、どうなったの?」
「神様が俺とそいつの魂を入れ替えようとした」
「なんで!?」
流石のクウカも驚いたようだ。
死んで神様に合っただけなら、まだいい。
「いや、いいかは分からないけど」
でも、そこで違う世界の人間が居て、その男と魂を取り換えて……、だめだ、混乱してきた。と、頭を抱える。
「確か、人を異世界へと送ることで、『力』を手に入れることが出来るらしい」
「なるほどなるほど」
抱えた頭をそのままに、分かっているのか分かっていないのか――適当な返事をするクウカ。
「その『力』を使い互いの世界を救えと――
人に話すことで、死の合間に体験した神様、異世界の人間である朧との会話を思い出していく。話すことで頭の整理を行うサレン。
最も、サレンも自身が体験をしたのでなければ、こんな話を信じることが出来なかっただろう。
「それでーサレンはどうしたの?」
半ば投げやりにクウガが聞いた。
「神を振り切り、異世界の男ともめあいながらも生き返った」
生き返るためには黒い渦が用意されていた事を付け加えて説明したところで、
「馬鹿!」
サレンの頬に衝撃が走った。
「貴様……」
衝撃の正体はクウカのビンタ。振りぬいた姿勢のクウカに、サレンはランスに手を伸ばした。いくら、死を体験して――仮に優しくなったとしても、人は急には変われないし、限度がある。
それに、この流れで悪いのは、サレンよりもクウカだ。
「死って恐ろしいね……。あのサレンがここまでふざけた感想を抱くんだから」
ただ、クウカにしても、死んだ衝撃で混乱しているサレンの目を覚まそうとしたのだ。
よかれと思ってサレンの頬を叩いた。死体で遊んでいたので、その思いも信用できないが。
「俺が貴様に嘘をついてどうする?」
柄を掴み、いつでも吹き抜ける姿勢だが、
「もういい。何も言わないで」
クウカはもう一度、さっきよりも強くガッシリとサレンを抱きしめることで、サレンの手からは、ランスが離された。
「怖かったんだね、サレン」
頭を一回、二回と撫でていく。
「やめろ、俺を慰めるな!」
「はいはい」
必死に抵抗を試みるが、中々振りほどけない。
そんな姿勢の中、サレンはようやく、自分が見たこともない住宅の中に居たことに気付いた。
「ここは……?」
辺りを見回すと煉瓦を積みつけられた石の家だろうか。長方形に切り取られた石が、丁寧に積み重ねられていた。
この世界では、こういった煉瓦の家に住めるのは、中層の人間。
サレンもそれを分かっている――だが、
「なんか中世のヨーロッパみたいな家だね」
と、自身でも意味の分からない言葉を発してしまった。
クウカも初めて耳にする言葉。
「なになに?」
その意味が良く分からずに、聞き返すが
「なんだ? 俺は何かいった?」
と、自身が何を口走ったのかと、サレンは逆に質問をする。
「いったよ? ええと……、ちゅ、ちゅうにゃいニャーロッパとかなんとか」
「何を言っている?」
明らかに良い慣れていない発音にクウカは苦戦したようだ。
原型が、かろうじて残っているクウカの発音に首を傾げながらも、「ここはどこだ」と、もう一度聞いた。
「ああ、ここね、君が倒された後、新たに滅んだ小さな村」
完璧な発音を諦めたクウカは、どうでもよさそうに言った。力のない村が滅ぼされるのは、この世界ではよくある事だ。
「そうか」
サレンも短く答えるだけだ。
生きて居たければ、強くなるか、ひれ伏すか。どちらも出来ないのならば、待っているのは『死』だけだ。
「で、この村を私の秘密基地にしたのさ」
「……なるほどな」
だから目覚めた場所が死んだ場所と違うのか。
俺が覚えている最後の記憶は、こんな家の中ではない。
「いやー、まだ、生活感があっていいよね」
「生活感? この村も滅ぼされてるんだろ?」
ある訳がないと鼻で笑う。
そんなサレンの態度が気に入らなかったのか、
「うん。村が滅んだのは良いとしても、まさか、サレンまで殺されちゃうとはね」
と、大笑いするクウカ。
「貴様……黙れ!」
サレンの怒号が家に響いた。
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