第2話 死後(椋木 朧)

 ここは自分の部屋である。

 間違いない。

 間違いないのではあるけれど、しかし、それでもどこか違うと思ってしまうのは、それは毎日暮らしているこの場所に、靄がかかったように、薄暗いからだろう。

 窓が開いているのに暗い。


「まるで、過去を思い出すかのように、酷く荒いみたいだけど」


 ノイズが掛かっているみたいで――曖昧な光景。

 鮮明に思い出せない思い出のようだと、そんな風に少年は感じていた。

 自分の部屋ではあるのに、人ごとの様に話す少年。

 少年と評していいのか微妙ではあるけれど、見た目からすると高校生か、大学生ではあるのだけれど。

 部屋に置かれている棚にも、数学の教科書やら何やら、綺麗に並べられていた。使っていない教科書も決められた場所に戻しているのだろうと思えるほどに、無駄のない並べ方。

 どうやら少年は相当に細かい性格の用だ。

 だからこそ、普段ではありえない黒い靄の中、一人、部屋を見渡すのだった。


「おやおや、自分の部屋が何故、こんなにも歪んでるのかを知りたいのかな?」


 靄が掛かっている部屋を見終わり、ふむと、顎に手を当てた少年。

 タイミングを見計らったかのように、一人の少女が、何食わぬ顔をして、部屋の扉を開けて、てくてくと、少年の部屋の中へと小さな足を動かして入ってきた。


「誰……?」


 少年がそう言いたくなるのも分かる。

 日本人離れした美少女。

 金髪。

 金眼。

 白いを通り越して透明の肌。

 靄のかかった世界では、彼女は非常に目に栄えていた。

 生えると言うよりも光り輝いているようにも少年は思えた。

 そんな神秘的とも思える少女ではあるが、その神秘さを吹き飛ばすようにして、大きく口を開けて笑う。


「私は……私は、本来ならば答える義務はないのだけれど、しかし、それでも機嫌がいいのだから答えたくなってしまうなぁ」


 はっはっは。

 しかし、それでも美しく見えるのは外人さんだからなのだろうか。


(なんて、外人の女の子を初めて見たのだけれど)


 機嫌がいいのは本当なのか、ぴょんぴょんと可愛らしく跳ねる少女。


「だから、教えてあげよう。いい? よーく聞き逃さないでよ」


 なんて、とびっきりの笑顔をむける。

 とびっきりの笑顔を向けられようと、今の現状を理解していないので、どう答えていいのか分からないでいた。


「はぁ」


 などと、取りあえず聞く気を示しはしたが、それでもいきなり人の家に上がる少女を外人さんだからと、簡単に受け入れることを少年は出来なかった。


「ごにょごにょ」


 口を手で隠して何か言葉を発した少女ではあるけれど、何も耳に入っては来なかった。


「なんて!?」


 全く聞き取れない。

 思わず大きな反応で返してしまったのだけれど――多分、少女は口を手で隠してなくても「ごにょごにょ」と、そのまんま話したのではないか。

 それくらいは、少年でも識別は出来た。


「ちょっとー、聞き逃さないでって言ったじゃん」


 からかってっているのか、楽しそうな少女。

 だが、からかわれた少年は違う。


「明らかに教える気なかったでしょう?」


 教えると言っておいて、言わないことに少年は少し不信感をあらわにする。少女に向かって年上だから礼儀を知れと言うのは、いささか、不謹慎ではある。子供だからこそ、無礼でいいのだ。


(分かってるけどさ)


 どかり。

 自分の部屋にある勉強机とセットになっている椅子に腰を掛けた。

怒りを込めて、少女を睨みつけたが、椅子に座ることで、少女の目の位置の高さに顔が来る。目と目が合うと――不思議と怒りが沈められていった。


「全く。君は意外にも短気だなぁ」


 どこかの猫型ロボットの如く呆れて見せるが、何で呆れられなきゃいけないのだろう。


「それを言いたくて、人の部屋に勝手に入ってきてるの?」


 いきなりきて、短期と決めつけて笑いたいから。そんな事はないと少年だって分かってはいるけど、だが、部屋に入ってきてから、何も言わずに、ただただ話をしている少女に、目的があるのか分からなくなる。

しかし――少女が次に発したことは、少年が考えもしていない言葉であった。


「ここが、君の部屋? だとしたら、君はとんでもない場所に住んでいるね」


 と、含みを持たせて言われた。

 ここは君の部屋じゃないとで突きつけるようにだ。


「とんでもない場所……?」


 少年は、改めて部屋を見渡してみる。

 何度見ようともここは自分の部屋である。時折、黒い線のようなものが走るが――それは自分の体調が悪いからだと朧は考えていた。

 この椅子も、机も。

 僕はよく知っている。

 だから――やはり間違いは、ない。


「ま、ここはその人の心を移す場所だからね。君はこの狭い部屋でしか自分を表せないというのかな。可哀相にね」


「なんで、そんな目で僕は見られなければいけないのかな?」


 短期の次はかわいそうと来たか。

 少女の目は慈愛に満ちていた。満ち溢れていた。


「僕は捨てられた犬かなにかかな?」


「犬なんてまさか。私からしたら、犬も君も同じだよ」

 と、少年の頭をなでる少女。

 少年は、怒る気にはなれない。どうせ、また目を見たら、この怒りも吹き飛んでしまうのだからと。


「まぁ、細かい事は気にしないで。ともかく、君は選ばれたんだよ」


 少年の頭を撫でることに飽きたのか、手を放し、少女は椅子に座っている少年の膝へと尾骨を付ける。


「気にするなって言われても、いろいろと気になることもあるんだけど」

もう既に、これまでの会話で聞きたいことがある。

あと、何で自分の上に座っているのかも、是が非でも教えて欲しい所だ。


「そう、じゃあ、君が選ばれた理由を教えてあげよう」


「ちょっと、まって。君が何者なのかもわからないのに、話を進めようとしないで」


 少女が何者なのか、それが分からなければどんな気持ちで話を聞けばいいのか。知らない人の話は聞くなって言うし……。

 その胸を、少年は伝えてみたのだけれど、


「ええ。別にいいじゃん。なに、私が何者かだったら、対応が変わるの?」


 少女はふわりと浮かびながら――そう言った。

 少年の太ももから重さが消える。

 もともと、そんなに重くはなかったけど、でも、確かに重みはなくなった。


「……浮いてる?」


 天井に着きそうな高さで、まるで、見えない椅子に座っているかのように、少年を見下ろす少女。見えない椅子に座っていようとも、少女は白い丈の短いワンピースを着ているのだ。

その為に、椅子が見えずとも、椅子が見えないからこそ、ワンピースの中にあるものは、必然と少年の目に入って来る。


「なに、これでも変わるの?」


「いえ、変わりはしないですけど」


 そこは変わった方が普通だろうと思うが、しかし、少年はすんなりと、受け入れてしまっていた。少女のワンピースの中、細い足を堪能できたからではない。

少女が浮いたことよりも、知らない子供が自分の部屋にあがってきた方が重大だと、そう判断しただけである。


(浮かぼうが、なにしようが――どうせ追い出すだけだし)


 などと、暴力的な発想で、受け入れてしまうあたり少年は中々に良い神経をしているようだ。

 少女はそんな少年の思惑を見透かしたのか、


「ほう、意外に見込みあるねー、君。じゃあ、特別に君が知りたいことを教えてあげよう。今日の私は、機嫌もいいし」


 と、両手を広げる。

 芝居がかったその仕草ではあるけれど、既に機嫌が良くても教えてくれなかった前例をこの少女は持っているので、


「さっきもそう言って適当なことしてるんですけどね」


 少年は釘を刺す。

 だが、当の少女は笑って聞いてはいない。


「気にしない気にしない。で、君は何が知りたい?」


 少女は浮遊をやめ、地に足を付けて聞いてきた。


「ええと、やっぱ、君が誰なのか。かな?」


 先ほど誤魔化されてしまった質問を、少年は繰り返す。

 何者かは分からないと、対応の仕方がない。

 もしかしたら、家の両親の知り合いかも知れないし。と、あり得ない可能性も考えてしまっている少年。外人の知り合いが居るとは聞いたこともないのにだ。 


「ああ。私ね。私は――神だよ」

 そんな風に事も無さげに言われたので、「神だ」を「神田」と聞き間違えた少年は、


「神田さんですか……。外人さんみたいなのに。あ、ひょっとしてハーフ?」

 などと、場違いな質問をしてしまう。


「神田さん? ははは、私に名前はないよ」


「苗字だけって事ですか?」


 現代の日本で生きていて名前がないのも、珍しくはあるのだろうが――少年も聞いたことはないのだが、

しかし、少女はそれ以上に稀有な存在であると――自らを説明する。


「違うって。私は神、ゴット」


 名前が無い以前に、私は人間じゃないと。


「はい? か、かみ?」


「そ、この世界を作ったって訳じゃないけど、今の世界を管理するのが私の役目だよん」


「神なんて……」


 少女――神様の仕事を説明されても、信じられるわけがない。その前の段階で信じ切れていないのだ。


「ま。そんなもんだよね。神なんて抽象的なもの信用できないよね」


「いや、一応初詣とかは言ったりするんですけど」


「ふーん。なのに信じないんだ」


「いや、だって……」


「ま、確かにそう言った神とも毛色が違うからね」


「そうなんですか?」


 神様は一口に「神」と言っても、いろいろとあるようだ。


(国によっても信仰する存在は違うし)


「それとも、私が神様だと、なんか困ることあるの?」


「いや、困ることはないですけど」


「じゃあ。私は神様それで私が何者かはお終いね」


できればお終いにしないで欲しいけれど、だが、機嫌のいい神様は、


「なに? その目は。そんな目をすると、他には何も教えないよ?」


 機嫌が良くても器は小さかった。

 よくもまぁ、神様などと名乗れたものだと、少年は目を反らした。


「でも。そうやって君が聞くって事は、うすうすは分かってたんじゃないの? ここが普通ではないという事を――椋木 朧」


 少年――椋木 朧は反らした視線を神様へと向ける。

 正に――神様の言う通りだ。

 ここが普通では無くて、この少女が普通じゃないからこそ――少年は理解をしようとしていたのだ。


「そうだね。そろそろ、向こうの話も終わる事だからさ、二人まとめて話をして上げよう」


 少女はそういうと、朧の手を握った。

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