after school 右側がふたつ
俺らのまわりに暑い夏がやってきた。
強くなった日射しのせいで室内にいることを選ぶ方が多くなったけれど、古びたベンチが置いてあるこの中庭は二人のお気に入りだった。
木の葉の隙間から零れる光。葉の影を映した制服の白いシャツが、時折吹く風に揺れる。
「イチ、次の試合いつ?」
隣に並んだ萌は麦茶のペットボトルの蓋を開けながらそう聞いてきた。
「んーと……」
何気なく彼女に向けていた視線を俺は慌てて地面に落とす。
髪を一つに纏めているせいで、露になった首筋がコクコクとリズミカルに動き、ペットボトルの口につけた唇が、麦茶のせいでさらに潤ってキラリと光る。
眩しい日の光を受けて、輪郭のぼやけた白い半袖シャツと白い肌。
いくら付き合いが長くても、ずっと見てきたんだろうと言われても……手を伸ばしてもいい関係になった途端、今までより何倍も何百倍も気安く
一人緊張している俺に全く気付いていない彼女は、右手の甲で少し唇を拭ったあと『こぼしちゃった』と口の横を指差す。
「んで!次の試合いつ?」
ドキドキする俺なんかお構い無しの彼女は、いとも簡単に俺の腕を掴むから……。
高鳴る心音を誤魔化すために声のボリュームを少し上げた。
「……お前うるさいから来なくていいよ」
「うるさいって何!」
「……先輩にからかわれるんだよ……その……」
「ん?」
「……だから!」
「あー!もしかしてあれ?」
先々週の土曜、うちの体育館で行われたライバル高との強化試合。
張り切って応援に来た萌が試合中にとんでもない声援を送ったせいで、その日からバスケ部の先輩だけじゃなく噂を聞いたクラスのやつにまで冷やかされるようになっていた。
「大したことないじゃん」
「大したことあるだろ!」
「だって本当にカッコ良かったんだもん。ボールが吸い込まれてくみたいで。」
試合終了間際に俺が決めた3ポイントシュート。練習試合とはいえ、1年で出してもらえたのは俺だけだった。
応援に来ていた彼女にいいところを見せられただけで俺は満足だったのに。
『イチすごーーい!!』
それで十分だったのに。
『イチー!!愛してるー!!!』
完全にテンションの上がった萌が放った言葉は3ポイントどころの騒ぎじゃなくて。
そのせいで、キスもまだの初々しいカップルが、もうそういう関係の二人だと思われるようになってしまった。
「あれ、すごいよね!シュッって!」
彼女は両手でシュートポーズを作ってみせる。
噂がそこまで発展したことに、彼女自身は気付いていないようだから少しホッとしてるけど。
「未央ちゃんに話したらね、ウッチーも3ポイントが得意だったんだって!」
「……あー。橘、上手いからね」
担任の橘の話が出ると、まだちょっとムカッとするけど。
「ウッチーよりイチの方が上手くなるよ」
根拠も何もないくせに、そう言い切るところが嬉しくて。
「ウッチーのことまた気にしてるー!」
「してねぇよ!」
「そうかなー?まっ、大丈夫だって!あのね私、ウッチーと……」
話の途中なのに、鳴り始めたチャイムに急かされ立ち上がった彼女。
その細い手首を思わず引いて隣に戻した。
「続き……気になる」
「イチ?」
「だから……もうちょい」
――もう少し一緒にいたい。
言葉が足りなくても彼女はちゃんと分かったようで『うん』とニッコリ笑って頷いた。
「……あ。でも、ねぇ、イチ?」
「ん?」
「また言われちゃうよ?」
「なにが?」
「私は大丈夫だけど、イチ大丈夫?」
「だから、なにが?」
彼女は少しも照れずに言い放つ。
「遅れてまで何してたんだよ~ってからかわれるよ?イチ大丈……」
――背中に悪寒が走った。
「萌っ!行くぞ!」
離したばかりの手首をまた掴み走り出す。
「イチ、ちょっと!足っ!」
踵を踏んだままにしていた二人の上履きが、階段の途中で示し合わせたかのように同時に脱げた。
踊り場に置き去りにされたのに、仲良く並んでいた二つの『右側』を見て彼女が笑った。
静かな廊下に二人の声が響く。
「どっちみち噂されちゃうね!」
「えー……」
項垂れる俺を見て彼女はまた笑った。
「折角だからチューくらいしちゃう?」
「……ば、バカ!そういうこと簡単に言うな!」
彼女はさらに楽しそうに笑う。
案の定、クラスの奴らはニヤニヤしながら俺を出迎えたけれど、彼女の笑顔をたくさん見たせいか、まわりに冷やかされるくらい大したことないと思い始めた。
――俺の針は柔らかな毛に変えられたのかもしれない。
自分の席につき、あの日辞書に隠したハリネズミの付箋を見てそう思った。
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