alcohol-12 差し入れ

 絵本を注文するため、保さんのところを訪れた私。

 少しでも長く彼と話す時間が欲しかった私は昨日のうちにリストを作っておいた。


「雫さん、なんだかヤル気ですね」


 そんな下心があるのに、彼は私が仕事熱心だと勘違いをしたらしい。


「もう一度お茶入れますね」


 そう言い奥へ消えた彼の後ろ姿を目で追う。

 白いシャツと濃紺のエプロン。

 襟足の毛は短いのに癖があるのか左右に流れていて、小さな男の子のようなその首筋をクシャクシャと撫でたい衝動に駆られた。


「はぁ……癒される」


 思わず音を乗せてしまった一人言は、戻ってきた彼に丸聞こえだったらしく、煎れ直した温かいお茶を真ん中に置いた彼は『お疲れですか』と柔らかく笑った。


 保さんは春のようだ。

 ぽかぽかと体じゅうを優しく包み、どこからともなく淡い香りを運んでくる。

 誰もがほんわか幸せになり、自然と目尻が下がる。

 声のトーンも荒立つことがない。

 一般的に個人経営の書店は相当大変らしいのに、ここがこうして人気な訳は彼の人柄が強く関係してるかも。


 ……ま、お祖母ちゃんは、保さんのお父さんがやり手だとも言ってたけど。


「あ!雫さん、チョコレート食べませんか?」

「チョコレートですか?」

「はい、疲れている時は甘いものです」


 そう言ってもう一度奥に引っ込んだ彼がそれを手にして戻ってきた時、私はとても驚いた。


 平たいが深い茶色の格式高いボックスに光るのは金色の文字。箱を開けなくとも、大抵の人なら一目でどこのものかわかる有名なチョコレートの詰め合わせ。


「保さん……これどうしたんですか?」


 彼には申し訳ないが、板チョコかフィルムに包まれた角チョコを出されると思っていた私は、思わずそう聞いてしまった。


「貰ったんですよ」


 ニコニコと笑う彼を見て『やっぱり!』と変に安堵したのは、彼と高級チョコレートの組み合わせが正直しっくりこなかったからだった。


「差し入れなんですけど、僕はチョコレートをあまり食べないので良かったら貰って下さい」



 ――差し入れ?



 まずそこに引っ掛かり、そして思い出した。

 私が来るたび色々なお菓子を出してくれる彼。確か前回は有名な和菓子やさんの豆大福で、その前は……

 前に甘いものが好きなのかと聞いた時、その時も彼は貰い物だと言っていた。


 ――も、もしかして?


「保さん、これはどなたから……?」


 私のいきなりの質問にも彼はニコニコしながらごく普通のトーンで答える。


「お客さんですよ」

「じょ、女性ですか?」

「はい」


 ――やっぱり。


 黙る私に気付かない彼はさらに続ける。


「父と二人きりだからか、色んなお客さんが差し入れをしてくれるんです。」


 ――色んなお客さん。


「あのう、皆さん……女性とか?」

「はい。皆さん若いのに丁寧で。本を選んで貰ったからとか、家に余っていたからとかって下さるんですよ」


 ――わ、若いんだ。


 無邪気に笑う彼を見て少し背中がヒヤリとする。

 保さん……皆さん、保さんの為にわざわざ買ってきたんだと思います。

 高級チョコレートや有名和菓子が家に余ってる人なんてそうそういません。


 柏木みたいにすぐ気付くのも困るが、私がスカートを履いても髪型を変えても反応が薄い理由がわかってしまった。


「……保さん。鈍感です」

「はい?」

「いえ」


 私の呟きをフワリと流し、微笑んだ彼とのこの空間はやはり春の陽気のよう。

 だから、このあと彼が突然話し出したことは季節が一気にひっくり返るほどに衝撃的なものだった。

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