school-12 夫婦
やっといつもの笑顔に戻った萌は『パパありがと!』と階段をかけ上がる。
その足音はとても軽やかで、安心した僕はソファーに背中を預けてから両腕をゆっくり伸ばした。
「どんな魔法を使ったの?」
二階から下りてきた杏奈さんは僕の向かいに座るとニコニコ笑ってそう言った。
どうやら萌は二階に上がってすぐ彼女に謝ったようで、彼女もまた、久しぶりに娘とちゃんと話すことが出来たらしい。
うちの女性陣は似てるんだ。
血の繋がりのない僕の祖母までも含めて、溢れ出す表情がいつも全てを語る。
「魔法なんか使ってないよ」
「じゃあ、何てアドバイスしたの?」
「うん。何事も……自分の本当の気持ちを伝えられるチャンスって、実はほんの一瞬ずつしか用意されてないと思うって言ったんだ」
「なるほど」
目の前で深く頷いた彼女。
彼女と今こうして向き合っていられるのも、かつての自分がその『一瞬』を大切にしたからだと信じている。
仏壇に飾られた両親と祖父の写真が視界に入る。
僕は両親を失ってからずっと、寂しさと一人で生きていかなきゃいけないプレッシャーから、両親の記憶、特に楽しかった思い出を閉じ込めようとばかりして生きてきたと思う。
けれど彼女たちを迎えに行って、家族になって、一緒に過ごす時間が増すごとにそんなことは無意味だと気付かされた。
いつの日からか『こういう時、父ならどうするだろう。母なら?』と、少ない記憶をたどり真似したり祖父母の姿を重ねて想像するようになった。
これから子供たちを導いていかなきゃいけない責任は簡単に想像出来るようなものではないけれど、その役目を運命に取り上げられた両親に、今更ながら教えられているように思う。
――その瞬間を大切にしなさい、と。
――伝えるべきことを間違いなく伝えなさい、と。
「毎回簡単に出来る訳じゃないけど……伝えたいことがあるなら、ちゃんと声にしなきゃいけないよって」
「そうね」
話が一段落してすぐ、杏奈さんはキッチンから冷たい麦茶入りのグラスを持ってくると僕の目の前に静かに置いた。
「はい、どうぞ」
「なんでわかったの?」
何も言っていないのに、欲しているものを差し出され少し驚いた。
一気に飲み干した僕を見て、彼女はごく当たり前のことをしただけだというように『口の中が甘ったるいなぁって顔にずっと書いてあったの』と言った。
急に込み上げる可笑しさ。
「ひどいよ、杏奈さん」
笑い出し、そう発した僕に彼女は驚き『なに?なに?』と不思議がった。
「萌に嘘教えちゃったじゃん」
「言葉にしなくても伝わる時もあるみたいだ」
なかなか良い夫と父親になってきているつもりでも、やはり先を行く我が家の女性。
そんなつもりじゃなかったと慌てて謝る彼女を見て、僕はまた笑いが止まらなくなった。
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