Office-12 light

 エントランスを抜けて緊張がさらに高まった訳は、会社の横に停めてある車が彼の車1台だけだったから。

 何台か並んでくれていたら曲線を描いて近付くことも出来た。

 心の準備が出来たのに。


 距離にして5メートル。

 まだ遠いのに、助手席の窓を全開にした彼は『こっちだよ』と手招きする。


「クソぅ。カッコいいな……」


 また私を惑わす。

 私の気持ちが浮き沈みすることなんかお構いなしで、こうやってまた波立たせる酷い奴。


 一瞬、本気で乗ろうとした後部座席。

 後ろのドアに手をかけた私を見て彼は少し眉を下げる。


「前にどーぞ」


 ドアを開けた途端、目が合った。


「……お邪魔します」


 乗り込む私の様子を見ていた彼と、もう一度目が合ったけれどそれは思わず逸らしてしまった。


「麻生の家どのへん?」


 私の住所を聞いた彼は『了解』と軽く頷いたあと、ゆっくり車を発進させた。

 都会の夜は明るくて車も多い。


「混んでんなー」


 そう呟きながらも車の列にスムーズに溶け込み、止まってくれた後続車に軽く手を挙げる。


 たったそれだけのことなのに、どうしてそんなにカッコいいの。


 連なる信号が一斉に青に色づく。


 対向車のライトは白く輝き、通り過ぎるオレンジ色の街灯は帯のように柔らかく伸びて、並んだ二人を優しく繋いだ。


 全体的にブラックが基調の車内にはフレグランスも凝った装飾もされていない。

 レザーの香りに時折交ざって感じられる彼の匂いに私の鼓動はスピードを上げた。


 やっぱり断るべきだった。


 倉科さんをバンバン意識してしまう。

 これ以上好きになっちゃだめなのに……


 俯く私に気付いた彼は「酔った?」と心配そうな声を出す。


「いえ、全然大丈夫です!」

「そ?革の匂いダメな人っているからさぁ」

「へぇ……私……は大丈夫です」


 ――それって女の人ですか?


「あ、そうそう!俺、麻生が住んでる付近、結構出没するから」

「そうなんですか?」

「うん、ANNAMOEとか行った?」


 カチ、カチとウインカーが車内に音を添える。


「まだ行ってないんです」

「旨いよ、あそこ」

「なんか緊張しちゃって!」


 勢い付けて彼の横顔に目をやる。

 横から見たって十分にわかるほど彼の瞳はキラキラ輝いていて、それは単に対向車のライトが映っているだけ。

 それだけなんだけど…


 ――緊張してるんですよ、今だって。


 思わず口に出してしまいそうになる。


「じゃあ今度一緒に行こうか」

「え!?」


 赤に変わる信号機。

 ゆっくり停車させた彼は同じようにゆっくりこっちを向いて繰り返す。


「ANNAMOE、一緒に行く?」


 彼の顔半分が赤く照らされる。

 私は自ら赤いと思う、たったそれだけのことで顔面全部。


「倉科さ……」


 何が起きているのかわからない。

 ダメだよ、紗良。

 喜んじゃだめだよ。


 そう止める私と……


 もしかして、もしかして、やっぱり。


 そう期待する自分。


「……麻生?」


「あ、あの……」


 彼を照らしていた色が青に変わる。

 彼は前を向き、またハンドルを操る。


 ――また言っちゃいそうになった。


 もう言ってしまおうか。

 言ってダメだったらどうなるんだろう。

 仕事しづらくなるかな。

 わかんない、わかんないな、もう。


 静かな車内で変わらずに香るレザーと彼の匂い。俯いたら心配かけるし、見つめる訳にはいかないし。


 ……それでも彼を見ていたくって。


 目を揺らした結果、視界に入る彼の膝。

 余計に早く打つ鼓動。


『窓、窓の外!』


 慌てて外に目をやる。

 でも、それでも、私が見てたのは外の景色なんかじゃなくて……窓にたまに映る彼の影。


 ――好きです。


 ――好きだって伝えちゃだめですか?


 窓に映る私はとても素直な顔をしてる。

 泣きそうな顔。

 嬉しいのを我慢できない顔。

 迷ってる顔。


「麻生」


 また隣から聞こえた心配そうな声に、私はすぐに体の向きを変え言葉を返した。


「あ!酔ってないですよ!」

「……麻生の好きな奴って誰」


 突然のその問いかけは、今までの会話の流れを全く無視した違和感のあるもので。


「――え?」


 私の思考回路は断裂寸前。


「実はさっきからずっと」


 また捕まった赤信号。

 本当ならツイてないと思うかもしれない。


 でも今夜は――。



「麻生の好きな奴が……」


「俺ならいいなって」


「……思っちゃったりしてるんだけど」



 いつも迷いのない倉科さんが、いつになく自信なさげにそう呟いたから……


 私は――心臓が止まるかと思った。

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