school-10 屋上
あの日をきっかけに私の記憶は急にちゃんと働きだして、中身が他より少なかった『イチの引き出し』は、あっという間にいっぱいになった。
転園してすぐ確かめられた背丈。
『えっと……萌ちゃんは……ここかな!』
両肩を支えられ差し込まれた場所は、前から三番目。
チラチラと私を気にする大人しそうな前の女の子と、四番目になったと喜ぶ女の子の間で私はまだ少し緊張していた。
『はーい!じゃあお部屋に戻りまーす!隣のお友達と手を繋いでくださーい!』
先生から、そう言われて初めて見た隣。
男の子の列、前から三番目。
それがイチだった。
公園へお散歩に行くときも、ちょっとした時にペアを組むのも、ほとんどがイチだったのに何で私は覚えてなかったんだろう。
再会したあの日、まるで覚えていないと言い、お祖父ちゃんと同じ名前だからという理由だけで勝手に昔の呼び方を変えた私をイチはどう思っただろう。
『自分のことを一番に考えろよ』
ことあるごとに言われてきたその言葉の深い意味は、きっと――。
『萌ちゃん姫はずっと幸せです』
『世界で一番幸せになります』
本当にそうなるようにと、イチが願っていてくれた証だ。
イチは、ずっと……ずっと。
私のことを想っていてくれたんだ。
パパもママも、りっちゃんですら気付いていないのに私が抱えるウッチーへの気持ちに気が付いていた。
それは、イチが私を見てたから。
こんなに近くにいるのに想いを伝えられない辛さは私にだってわかる。
胸が苦しいのに、それを誤魔化して心の平均を保とうとする。それがどれだけ大変か。
イチ……ごめん。
イチ……ごめん。
誰もこない学校の屋上。
薄暗い階段を上がり灰色の扉を開けた時、ここでなら、いくら泣いても誰にも気付かれない。そう思った。
遠くに見えるグラウンド。
掴んだ手すりがあまりに冷たくて、あっという間に泣けてくる。
私は大海の中、何も知らずに泳いでいた小魚だ。
そんな私がはぐれないように、疲れないように、そして……なるべく綺麗な水のところで泳げるように見守ってくれていた人がいた。
可愛かった昔とは違い、ちっとも似合わないガサツな言葉を使うようになったけど、いつだって呼べばすぐ飛んできてくれた。
――ううん。
呼ばなくたっていつも傍にいてくれたのに。
もう何日も喋ってない。
こんなことは初めてで、それがこんなに悲しいと今までずっと知らなかった。
「……っ、……うぅー」
声を出しても誰も気付かない。
この屋上は『一人』を痛感させる。
『萌っ!コイツに泣かされたのか?!』
『え?』
『……あ、あれ?』
『ママのこと悪く言ったから泣かしてやった!!』
『お前なー』
呆れたように笑ったイチ。
ランドセルを私の分も持ち、女のくせにとブツブツ怒りながらも、ゆっくり歩いてくれたのは私が足を怪我したからだった。
『背の順、イチ番前!にならないように頑張りなさいねっ』
『……っ!こら萌っ!』
初めての制服姿。
中学の学ランと、高校のブレザー。
だんだん男らしくなっていくアイツを一番近くで見ていたのは私だったのに。
『写真ねだられたって?』
『……うーん。イチの写真なんてどうすんだろうね!』
『なに言ってんの!瀬戸くん結構人気あるよ』
イチが私から遠く離れてしまうことを寂しくて堪らないと思う自分に――たった今、気が付いた。
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