alcohol-10 レモンサワー

「サンキュー!」


 そう言ってジャケットの入った袋を受け取った柏木は自分の左側に雑に置いた。


「あ、明日着るんですよね?」


 シワになると思い咄嗟に袋を指差すと、彼は一瞬止まったあと店じゅうに響くほどの大きな声でゲラゲラと笑った。


「そんなわけないじゃん!俺、似たようなやつ何着も持ってるよ」


 笑いすぎて涙目になった彼は「騙されてくれてありがと」と言いながら、おしぼりで軽く目元を拭く。

 そして慣れたように、店主へピースサインを向けてビールを二つ注文した。


 わざわざ持ってきてあげたのに!

 なんだこいつ!


 ただでさえそう思ったのに。


 笑い終えた柏木は、私の格好をぐるっと見まわし「今日はスカートじゃないんだね。残念」と溜め息までついた。


 ――ふんっ。


 聞こえないふりをした私は、彼の真ん前に荒々しく座り、運ばれてきたばかりのビールを先にゴクゴクと飲み始める。

 お通しの牛すじ煮は驚くほど美味しくて思わず口元が緩みそうになったけれど、彼の視線をバシバシと感じていたから絶対笑ってなんかやるものかと唇に力を入れた。


「高松はさぁー」


 なぜか呼び捨てになった私の名前。


「……高松って何よ?」


 そう不機嫌に顔を上げると、ジョッキをテーブルに置いた彼は『覚えてないの?』とまた笑った。


「これからは無礼講でいいっ!って叫んでたじゃん」


 どうやら前回、酔った私がそう言ったらしい。

 何も覚えていないことに頭を抱える私に気付いた彼は、少し距離をつめ小声になって続ける。


「雫……の方が良かった?」

「……ぶっ飛ばすよ」

「えー先生こわーい!!」


 急に子供口調になった彼を見て思わず吹き出した私。彼が掲げたジョッキにカチンと自分のそれを合わせた時には、イライラは程よく遠退いてしまっていた。


 大したことは話していない。

 それなのに時計の針は滑らかに進む。

 不思議と話は弾んでいた。


「明日も飲もっか」

「は?あのね、次の日が仕事の時は飲みません」

「そうなの?」

「当たり前でしょ、酒臭い先生なんて論外」


 そう言い放った私の目をじっと見つめて黙る柏木。


「な、なに?」


 奇妙なその沈黙に、背中を伸ばして少し離れてみると彼は頬杖をつきながらも、真っ直ぐこっちを見つめながら言った。


「そういうとこも好き」


 簡単に目を反らすことなんか出来ないくらい真剣な瞳。


「はい、おかわりねー!」


 二人の間に流れた静寂は女将さんのおかげでほんの一瞬で済んだけれど、運ばれてきた生搾りレモンサワーの爽やかな香りと炭酸の弾ける音は、鼻先だけでなく心までくすぐってしまいそうだ。


 彼は絞り終わったレモンの果汁を先に私のサワーに流し込む。目の前で炭酸の小さな気泡に薄いレモン色がゆっくりゆっくり混ざりあった。


 グラスを掲げ、もう一度乾杯を誘う彼。

 カチンとぶつかるグラス。

 一口飲んで同時にハァーっと息を洩らす。


 ――か、からかわれている。


 年上の余裕を見せなくちゃ。

 そう思った私は、笑顔を作り「年上をからかうんじゃありません」と精一杯の牽制球を投げた。


 彼は少し俯いたから、効果的だったと思ったのに……



「風間さんより俺を見てよ」



 まるで私なんかアマチュアだと言わんばかりに……彼が放ったのは物凄い速さの直球ストレートだった。

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