Office-10 アクセル

 もうすでに、どの部署も灯りが落ちていたから、廊下の先の扉から漏れる光は倉科さんへの目印みたいだった。


「緑茶と烏龍茶、どっちがいいですか?」


 二本を目の前に差し出すと、彼は『どちらにしようかな』みたいに指を左右に2、3度動かしてから烏龍茶を取った。

 大きな手のひらと、長い指。

 ただ単に短く切っただけだろう爪にまでも目が奪われた。


「じゃあ、こっちは先に二つ選んでいいよ」


 そう言って四つ横に並べられたおにぎり。

 我に返った私は、急いで梅とたらこをチョイスした。


「結構頑張ったじゃん!」


 おにぎりを頬張りながら、パソコンの画面に目を向けた彼がそう驚いた。

 見開いた瞳も、おにぎりで少し膨らんだ頬も、マウスを動かす指先も、ちょっと緩めたネクタイも全部、全部、私を攻撃する。


 ただただひたすらに、おにぎりに集中するしかなかったから腹ペコだったと勘違いされたかもしれない。


 こんなにカッコいいと思うなんて……こんなにドキドキするだなんて……。

 出来ることならあの日に戻って『王子様じゃなかった』と嘆いた私を叱ってやりたい。


 ただの白いワイシャツ姿も今となっては破壊力抜群で、一日の終わりで少しヨレているのだって物凄く魅力的に思えた。

 恋って本当に恐ろしい。

 今にも口から飛び出してきそうな言葉。


「あ、麻生……そういえば」


 倉科さん。

 全部カッコいいです!

 本当カッコいいです!

 それに……私……

 私……


「――そんなに好きか?」

「はい……」


 惚けていた私の頭は、彼がこっちを向いたまま静止して数秒経ってからやっと動き出した。


『――そんなに好きか?』

『はい……』


 彼と私の直前のそのやり取りは、告白以外の何物でもない。


「……つっ、く、倉科さん、あの!い、今のはですね!!」


 取り繕おうと慌てて両手を顔の前でブンブン振ると、眉間に力を入れた彼が話を続けた。


「そう簡単には忘れられないくらい好きだったか」


 ……


 ……


 …………へ?


「まぁ、確かに左京はカッコいいからなー。気持ちわからんでもないけど」


 左京……


 あ、橘さんのこと?


 ……あ


「なぁんだ!」


 安堵した私はまたまた心の声を漏らしてしまう。『なぁんだ』『うん、なーんだ!』という言葉と共に、笑顔までこぼれてしまう。


「麻生?」


 私の名前を呼んでから、倉科さんは首を傾げた。


「倉科さん!」

「ん?」

「私、橘さんのことは……何て言うか……ただの憧れ、みたいな感じだったんだと思います」

「……じゃあ」

「はい。ご心配おかけして、すみません」

「ん。そっか。なら、いいんだ」


 こくん。と頷くと、彼もそれに重ねて同じように頷き微笑んだ。


 私は恋愛上手なタイプでも、小悪魔女子でも何でもない。

 それなのに、こんなことを口走ってしまったのは静かなフロアと残業が作り出した『二人きり』という特別な空間のせいだろうか。


「……橘さんのこと、そう思った理由なんですけど、」

「うん」

「私……」

「私?」


 ――わたし


「もっと好きな人が出来たんです」

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