school-9 記憶の深いトコロ

 しまってある場所は知っていたけど、開けようと思ったことは一度もなかった。


 私は幼稚園の頃、ママと、前のパパとの三人でこの街に引っ越してきた。


 この街は、雨ばかり降るんだなって、ガッカリしたのを覚えてる。

 今思えば、ただの梅雨だったんだろうけど、カラリとした北海道の天気しか知らなかった私は、とにかくガッカリした。


 それに、ガッカリすることは他にもあった。


 パパが……どんどん知らない人みたいになったこと。

 結局、女の人まで作ってしまってママと離婚したこと。


 だけど、一番悲しかったのはそれじゃない。

 前のパパには悪いけど、私はその時もっと好きだった人がいる。


 雪先生……そう、今のパパだ。


『二人をこれ以上傷付けるのは許さない』


 あの日、いつもの優しい顔が勇ましい顔になった。

 ママを助けてくれる人だと思った。

 これからは雪先生とずっと一緒にいるのかなって自然と思った。


 でも、暫くして、雪先生には内緒で飛行機に乗った。


『すぐ帰ってくる?』


 機内でそう聞いた私の手を握り、涙ぐんだママの笑顔は忘れたくても忘れられない。


 結局、私がこの思い出の箱をずっと開けなかったのは、その日のママを思い出しちゃうのが嫌だったからなんだろうか。


 ……よく、わかんない。


 ずっと開けられなかったくせに、今開けようとしてる自分の気持ちもよくわかんない。


 イチの写真が入ってる確証もないのに、何だか期待する自分。


 ……変なの。


 私はそっと箱の蓋を開けた。




「わぁ!私、絵心あるじゃん!!」


 あんだけ怯えてたはずなのに、蓋を開いた途端飛び込んできた可愛らしいグッズの数々に、あっという間に私は夢中になった。


 たくさん出てきた絵は、どれも意外と上手くて、それだけでテンションが上がる。

 だから、箱の底に入っていたお絵描き帳まで辿り着くのはあっという間だった。


「どれどれ。……やっぱり私、絵上手いわ!」


 ペラペラと捲ると、どれもやっぱり上手に描けている。美大でも目指そうかな、なんて調子のいいことまで思った。


 二冊めを開いて数ページ。


「……なにこれ」


 あるページから突然始まった、今までのとは明らかに違うタッチの絵の連続。


 お世辞にも上手いとは言えない、その絵たち。


「……なにこれ、下手くそ!顔から手が出てんじゃん!」


 私が描いたんじゃない。

 すぐにそう思った。


「絵心ないわ~このときの友達かな?」


 女の子の頭に黄色のギザギザ。

 首から生えたピンクの三角。


 何枚も何枚も同じ絵ばかり。


「あ、これ、もしかして王冠か?!」


 頭の黄色いギザギザの謎を解いた私は何だか嬉しくなった。

 大袈裟かもしれないけど、名探偵みたいな感覚。


「あ!これ、お姫様か!」


 ピンクの三角はドレスだ。

 次は、これを描いた子のヒントがないかな。

 そう思って、さらにページを進めた。


「……し、わ、う?」


 最後のページに、その『しわう』としか読めない平仮名が書かれてあった。


「……しわう?し、わ?……わ、じゃなくて……ゆ?うーん」


 名探偵が匙を投げそうになったその時だった。



『萌ちゃん、ごめんね。……絵本見つけられなかったんだ』


 頭の奥底から急に湧いたその声。


『そのかわり、僕がお話を考えてあげる!』

『ほんと?!』

『うん!!萌ちゃんがお姫様ね!えーっと……いつもニコニコの萌ちゃんは、あ、萌ちゃん姫は……』

『うんうん!』

『萌ちゃん姫は、ずっと幸せです。世界で一番、一番幸せになります!』


 頭の奥底から湧いたその子の顔。

 黄色のクレヨンで王冠を描くその横顔。


『わぁ!!ありがとう!ありがとう、し――』


 指から外れたページがペラペラと綴じる。



「……ありがとう」



 泣こうと思った訳じゃない。

 それなのに――。



「……ありがとう、しゅ……う……いち君」



 両方の目から涙が溢れ落ちた。



 本当は覚えていた。

 その声も、その顔も。

 その……優しい心でさえも。


『私』はちゃんと、イチのことを覚えていたんだ。

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