bread-7 告白

「ごめん!」


 彼は深々と頭を下げた。


 今まで貰った分を後輩にあげていたこと。

 カードもろくに見ていなかったこと。


 ――やっぱりなぁ。そうだよなぁ。


 食べてくれてなかったんだ。

 カードも見てくれてなかったんだ。


 ある程度は覚悟していたはずなのに、いざ聞いてしまうとショックが大きい。

 頭の上に大きな石が落ちてきたような……ううん、そんなんじゃない。

 その時の私は――そう、胸に大きな石を詰められた赤ずきんの狼みたいに気持ちが沈んでいった。


 ……だから、空耳だと思った。


「え?!」

「だから……その、良かったら今日までの分、売ってくれないかな」



 売店を少し早めに片付けて、私は彼の待つ近くの公園に走っていった。


 彼が食べるかどうかなんてわからない。

 それでも私は9つのパンを入れた袋を抱えて走った。


 公園の入口から、ベンチに座る彼が見えた時でさえ、ただそれだけなのに胸がきゅっと締め付けられた。



「こ、これ!今までの分と今日の分が入ってます!」


 そう言って手渡すと、彼は『ありがとう』と言い、躊躇いがちに袋の口を開く。

 漂った香りに、彼の口許が緩んだ気がした。


「どれか食べても……いいかな?」

「も、もちろんです!」



 嬉しかった。


 本当に嬉しかった。


 ひとつめに玉子サンド、ふたつめはバターロール。そしてクロワッサン。


 私はこの順番を決して忘れない。


 この時の嬉しい気持ちを絶対に忘れない。


 そう思った。


「あ、あのお茶もど、ど、どうぞ!」


 用意していたペットボトルのお茶を彼に出した時、やっと二人の目が合った。

 彼は、少し気まずそうに……そして少し照れくさそうに、



「ごめん。やっぱり旨いわ!」



 ……そう笑ったんだ。



 今日はあまりいい日じゃなかった。


 天気は悪いし、パンは売れない。

 菊地さんにも、もう会えないと思ってた。


 だけど、この一瞬で逆転した。


 空は朝よりも曇っているし、パンもたくさん売れ残った。


 だけど、


 菊地さんがうちのパンを美味しいと言った。


 そして、


 何より、


 彼の笑顔を初めて見れた。


 私は嬉しくて、嬉しくて、何度も何度もお礼を言った。


「あ、ありがとうございます!!」


 そんな私を見た彼は、とても慌てて、こちらこそごめん。と同じように頭を下げた。



「あぁー!食った!!あ、残りは家で……ちゃんと食べるから」


 そう言うと、彼は紙袋の口を丁寧に折ってから『ごちそうさまでした』と両手を合わせた。


「もう、ささのベーカリーのパン嫌いだとか言わないから。ちゃんと宣伝もするよ」


「後輩も、すっかりファンになってたから買いに行くと思うし」


 私が焦りだしたのは、彼の言葉が締めの挨拶みたいに変わっていったから。


 ただの顔見知り。


 そんなの嫌だと思ったから。



「菊地さん……」

「はい?」


 初めての恋を失いたくなかった。


 もっと近付きたい。

 ……そう思ったから。



「……好きになって下さい」

「もう大丈夫だよ。嫌いだなんて言わ……」

「……パンじゃなくて!」

「え?」


 すぐ近くの黒雲が稲光を纏い始め、ゴロゴロと騒ぎ立てる。

 私の様子を伺ったまま動かない彼を、動かしたかった。



 ――パンだけじゃなくて。



「私のことも好きになって下さい」

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