bread-5 知ってるコト
今日は朝からどんより曇り空。
いまにもザーっと来そうな厚い黒雲。
そのせいか客足も鈍い。
いつもお昼過ぎにはほとんど売り切れるパンが、二時を過ぎてもまだまだたくさん残っていた。
――はぁ。
私は椅子に深く腰かけて、深い溜め息をついた。
パンが売れないことの他にもうひとつ、今日は残念なことが起きた。
私は、レジ下の棚に置いてある紙袋を見つめる。
9つめのパン。
それがまだ私の手元にあった。
「とうとう嫌がられちゃったかな」
今日も朝から、いつものように菊地さんの姿を探したのに彼は結局現れなかった。
迷惑だったのかな。
嫌われちゃったのかな。
毎日、無理矢理押し付けた。
好き嫌いや、アレルギーも聞かず次々に渡してしまった。
いや、もしかしたら、平日にお休みの人なのかもしれない。
土曜日も日曜日も出勤してたし……
そんな淡い期待を一生懸命作り上げたけど『真実』が奥底から込み上げてくる。
「何にも知らないんだなぁ、私」
彼について何も知らない。
好きなもの、嫌いなもの。
年齢や、何をしてる人なのか。
もしかしたら、彼女がいるかもしれない。
いや、結婚してるかもしれない。
「苗字は菊地。うちのパンが嫌い。でも雪さんのココアは好き。これだけか」
――はぁぁ。
片手で足りる菊地さんの情報。
私はさらに深い溜め息をついた。
「……あの」
下を向いていたから、お客さんが来ていたことにも全く気が付いていなかった。
「あ、あの!」
「は、はい!!いらっしゃいま……」
何度目かに掛けられたその声に、慌てて笑顔を作り顔を上げる。
そしてすぐ、私は目の前に立つその人を見て心の底から驚いた。
「き、菊地さん!!?」
その日、その時、ずっと頭の中にいた彼本人が、いつもと違うジーンズとパーカー姿というラフな格好で私の目の前に突然現れた。
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