alcohol-4 好きなタイプ

 やっと終わった今月分の報告書をファイルに綴じて、理事長室の本棚にしまった。

 昼間の賑やかさとは違い、静まりかえる幼稚園は、まるで明日のために休んでるみたいだ。


「明日もよろしくね」


 そう言いながら鍵を閉めた。


 さっきまで、赤々と輝いていた夕焼け空は、夜の色に地平線間際まで押し潰されている。少しずつ近付く夏の匂いがしたような気がして、思いきり息を吸い込み空を見上げた。


 何気なく見た、ウサギ小屋の屋根の上。


「あっ!」


 昼間、園児たちが飛ばして遊んでいた紙飛行機が一機、そこに不時着しているのが見えた。


『先生ー!私のがない!』


 そう言って泣いたゆりちゃん。


 明日渡してあげよう、と背伸びして手を伸ばしてみたが、どう頑張っても全然届かない。

 園に入れば脚立はあるが鍵を閉めた直後だったから、なんだか少し面倒だった。



……誰もいないし。



「よいしょっ」


 私は、誰も見ていないことをいいことに、ウサギ小屋の前にある杭に足をかける。


「こんなの園児には絶対見せられないけど」


 片足だけで杭に立ち、ギリギリまで手を伸ばすと、紙飛行機の先端が中指に触れる。

 それを指で少しずつ寄せてやっと手に握ったその時だった。


「雫さん!?」


 真後ろから掛けられた声に私は驚き、バランスを崩す。


 ――やばい、落ちる!


 そう思ったと同時に私の足はつるんと滑って杭から外れた。



「雫さんっ!!」



 地面にぶつかる大きな音と、何かが割れるようなカシャっという音がいっぺんに響いた。


 ――痛ててて。


 とっさについた手はビリビリと痛んだが、それ以外は無事だった。


 なぜなら……



「た!保さんっ!大丈夫ですか!?」



 さっき声をかけてきたのは保さんだった。


 彼は落ちる私を咄嗟に抱き止め、私を庇いながら地面に倒れこんだのだ。



「雫さんこそ大丈夫?」



 少し腰を痛がりながらも彼が、急に上半身を起こしたものだから、まだ彼の上に乗ったままの私と鼻がぶつかる程に顔が近付いた。



「ごっ!ごめんなさいっ!」



 慌てて彼から下りて横に座ると、私の左手に何かが触れる。


「「あっ!!」」


 思わず二人同時に声を上げた。

 指に触れたそれは、レンズにヒビが入ってしまった彼の眼鏡だった。


「本当にすいません!あの、眼鏡もちゃんと弁償しますから!」


 咄嗟に謝ると、彼はその場に立ち上がり、手や足についた土をほろいながら微笑む。


「雫さんはワンパクですね」


 同時に、私の前に手を差し出した。


「あ、す、すいません」


 ちょうど度が合わなくなっていたから、と弁償を断る彼は私を引っ張り立たせたあと、後ろのポケットからハンカチを取り出し私に手渡す。


「どこも痛くないですか?」


 そう悪戯に言う彼の、眼鏡をかけていない笑顔に、私は受け取ったハンカチを握り締めたまま固まってしまった。



 垂れる前髪から覗く優しそうな瞳。

 さっき私を受け止めた温かい胸。

 それに、

 意外と大きな手のひら。



 今まで一度もこんな風に思わなかった。

 素敵な人だと思っていたけど、ニュアンスが違っていた。

 だって彼は、お兄ちゃんみたいで……



 ――お兄ちゃん?



 心の奥の奥に閉じ込めていた、昔の私が飛び出してくる。



 ……どうしよう。



 思い出してしまう。

 雪ちゃんに恋をしていたあの時の感じ。

 思い出してしまった。

 私はこういう人に弱いということまでも。

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