bread-4 後悔
『パンが嫌いな訳じゃないんですね!!』
偶然並んだ、カウンター席。
同じココアを飲みながら、その子は笑った。
『うちのパンに何か誤解があるんですね!!』
そう言って、また笑った。
何故か話がどんどん進んでいって、
『うちのパン、全部ご馳走します!絶っ対、好きになりますから!』
と言って、またまた笑った。
呆気に取られて、ほとんど口答え出来なかったが、常識的に考えてもパンを全部持ってくるはずはない。
社交辞令の『うちのパン食べてみてくださいね』と一緒だと思った。
***
「菊地さん!朝食べましたか?」
見つかると面倒な気がして足早に改札へと急いだ。
……急いだ、のに。
左腕をがっしり掴まれ、人の波から引きずりだされる。
「いや、朝は……食べないから」
びっくりして思わず声が掠れた俺に、彼女は『朝はちゃんと食べなきゃだめですよ!』と持っていた紙袋を押しつけてきて言った。
『まずひとつめです。捨てたりあげたりしちゃだめですよ』
そして、いってらっしゃい! そう言ってまた笑った。
――変なやつ。
デスクに置いた紙袋に印刷された『ささのベーカリー』の文字が、嫌でも目に入った。
いってらっしゃい と言った彼女の笑顔が一瞬思い出されたが、
「これ、食っていいよ」
と隣の席の後輩にあげた。
「いいんすか?!朝食べてこれなかったんすよ!」
そう言いながら、そいつはすぐに袋を開けたが俺は一度もそっちを見なかった。
だから、何が入っていたかも分からなかったんだ。
『昨日のどうでしたか?』
『今まで食べた中では、どれが一番好きでしたか?』
『今日はこれです』
その日から毎日毎日渡されるパンは、全部、後輩の胃袋に消えていった。
「あー!今日のも旨かった!」
そう言った後輩は、いつものように袋をクシャクシャに握ろうとした。
……が、突然鳴った携帯に気を取られ、少し潰したところで席を立つ。
後輩のデスクの紙袋に目をやったのは、本当に、本当に偶然だった。
バランスを崩して俺の方に倒れた袋。
その口から小さなカードが飛び出した。
――?!
思わず取り出し目をやると、パンのイラストと材料が色鉛筆で丁寧に描いてある。
『8つめ。ベーコンエピ』
『エピは麦っていう意味です。形が似てるでしょ』
『いつか、気に入ったパンがあったら教えて下さい。』
書ききれなかったのか、裏まで続く彼女からのメッセージ。
『そろそろうちのパンが好きになってきましたか?』
今朝、そう笑った彼女。
もしかしたら俺が食べていないことに気がついていたのかも。
俺が、カードにさえ触れてこないことに落ち込んでいただろうか。
「菊地さん!明日は何のパンっすかね!」
電話を終えて戻った後輩は、カードを見つめる俺にそう声をかけた。こいつは、すっかりささのベーカリーのパンの虜だった。
「……なぁ、カード、毎回入ってた?」
「入ってましたよ!丁寧な店っすね!」
「……あ、あぁ。それで、今までのカードは?」
「え?捨てましたけど?」
罪悪感に占領されていく。
久しぶりのこの感じ。
あの時の俺と同じ気分だ。
『あとから気付いても遅い』
誰かにそう指摘された気がしてならなかった。
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