alcohol-2 臆病な大人

「雪ちゃん、ビール!」

「雪さん、ビール!」



 私と同僚の彼女は毎月一度、ここ『ANNAMOE』で飲みまくることが恒例になっていた。


 「うちは居酒屋じゃないんだけど?」


 雪ちゃんはそう言いながらも、私たちが飲み始めると必ず店のドアに木札のCLOSEをかけてくれる。私にとって彼は、優しいお兄ちゃんのような存在だった。



 私はこの人に18年間、恋をしていた。



 失恋に終わったけれど、恋した相手がこの人で良かったと思う。



 ――あれは11年前。


 離婚した杏奈さんは、雪ちゃんと新しい人生をスタートするんだと思っていた。

 ……けれど、彼女はおそらく彼を想って身を引いた。

 杏奈さんと萌ちゃんを失った雪ちゃんはこのまま腐るとあの時思った。


 ――そういう繊細な人だったから。


 でも、周りの予想は見事に裏切られる。

 幼稚園を辞めて料理人の道を本気で目指した彼は、すぐに滝沢のお爺ちゃんの知り合いの店に見習いに入り、その翌年単身フランスに旅立った。

 フランスでは皿洗いの毎日を過ごしていたようだが、色々な土地のリアルな味に触れ、なんだか男らしくなって帰ってきたのを昨日のことのように覚えている。


 杏奈さんと萌ちゃんを迎えに行ったのはその後だった。


 お爺ちゃんのお店を継ぎ、六年前には光君も生まれた。

 私はこの家族の幸せを、自分のことのように嬉しく思う。



 それは嘘じゃない。

 嘘じゃないんだけど……一つだけ、たった一つだけ困ったことがあった。



「ったく!ほんと!柏木ムカつくー!!」



 私がそう言ってグラスを勢いよく置くと、光君を寝せ二階から下りてきた杏奈さんが笑った。



「柏木?柏幼稚園の?」



 そう!


 柏木かしわぎ ゆたか

 隣駅前にある幼稚園の跡取り息子で、今日、柏幼稚園であった研修会で言われた一言にずっと腹を立てていたのだ。



『君のとこの幼稚園も、もっと時代に合わせないと。いつでも教えますよ?』



「年下のお前に教わることなんてないっつの!!」



 ちょっと顔が良くて、ちょっと最近入園希望者が増えてるからって!


 怒る私に、隣で飲む彼女が口を挟む。


「でも!イケメンだよね!柏木先生!それに強引なとこ!奥手な雫には丁度いいじゃん!!」


 ……奥手。

 そう。困ったこと、それは……もう29にもなるというのに恋愛に対して消極的だということだった。

 雪ちゃんにまだ未練が……とか、そんなことは何もないのに、男性に苦手意識のようなものが出来てしまった。



「で、でも嫌よ!柏木だけは!」



 そう言ってグラスの中身を全部飲み干し、置いてあったチーズを口に入れた。



「じゃあ、私、ご飯に誘ってみようかな!」



 そう隣ではしゃぐ彼女の口にも、私は同じくチーズを放り込んで言った。


「未央っ!あんたの彼氏もイケメンでしょうが!二人が付き合いだして何人泣いたと思ってんの!」


 『だってー』と急に涙声になる彼女は、なかなか結婚を切り出さない彼にムシャクシャしているらしい。

 彼が新一年生の担任になったことで、また結婚が遠退いたと言う彼女。



「……よし!今日は飲め!」



 ずっと黙って見ていた雪ちゃんは、そう言うと高そうなワインのコルクを抜いて微笑んだ。

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