school-2 人の幸せ

「ねぇ、辞書貸して」


 頼みごとはそれだけだったのに、私はイチにまた怒られている。



 何か間違ったことを言っただろうか。



 私の友達の、りっちゃんは同じクラスの雄平くんに恋をしている。

 彼は今日、辞書を忘れて困っていたから『二冊持ってるって言って貸しておいでよ!』とお膳立てした私。

 りっちゃんには私が貸して、私はこうしてイチに借りに来た。



 ただそれだけなのに、何をイチは怒っているんだろう。



「お前なぁ、人が良すぎるんだよ!」

「だって!雄平くんは競争率が高いんだよ?!」

「あのなぁー?だからって……」



 なんで人のためにばっかり動くかなーとか何とかイチはブツブツ呟いた。



 ……でも、私は知っている。



 イチは椅子を引くと、机の中から辞書を取り出して私に向ける。



 ……ほら、何だかんだいいやつ。



 イチは、すぐ怒る。

 私は怒られてばっかり。

 それはずーっと前から変わらない。



 確かあれは小三の時、隣に座っていた優等生の男の子が宿題のプリントを忘れてモジモジしていたから、私の字を全部消して、そのプリントをあげたことがあった。

 宿題を忘れたことを先生に叱られたけど、別に何とも思わなかった。



 私の代わりに誰かが幸せになる、それってすごく素敵なことだと思っていたから。



 ――結局そのあと、先生に全部バレて私も隣の男の子も注意されることになっちゃったけど。



 その時からイチは毎回同じことを言うようになった。



『自分を一番に考えろよ!』



 ……別に無理してるわけでもないんだけどなぁ。



「ただいまー!」


 いつもと同じように扉を開けたのに、パパは『元気がないね?』と首を傾げた。



「……イチにまた怒られたの!」



 白状しながら店を抜け、靴を脱いで家にあがると、仏壇の前にお祖母ちゃんが座っていた。



「「おかえり」」



 お祖母ちゃんと、ちょうど二階から下りてきたママの声が重なった。



「「「ハモってる」」」



 今度は三つの声が見事に重なったものだから、三人とも順番に目を合わせて笑い合った。



「ママ、ひかるのお迎えなら私が行くよ!」



 そう言って、今脱いだ靴をもう一度履きなおす。


 幼稚園までは走って10分。

 私も昔々、ちょっとだけ通ったことがある。今は洋食屋のシェフをしているパパだけど昔はその幼稚園で栄養士をしていた。



「お姉ちゃん!」



 園に着くと弟の光は嬉しそうに両手を上げ、私に気付いた担任の先生と一緒に近付いた。



「こんにちわ」

「こんにちわ!先生」



 にっこり笑うその先生に私は距離を詰めて、こそっと話しかける。



「先生、ウッチーと喧嘩したでしょ」



 驚いた先生が私を凝視した。



「今日、帰りにバスケ部覗いたらボケーっとしてたよ。いつも無駄に燃えてるのに」



 先生はニヤリと笑ってから辺りを見回し、保護者がいないことを確かめてから言った。



『合コンに行くみたいだって言っといて!萌ちゃん』



 二人で吹き出し、目で合図する。

 私たちの間に立つ光までニヤリとしたから、私たちは声をあげて大笑いした。

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