残光呪詛──③




 現在時雨峰しうみね せいが逗留している場所は東北地方のとある山間部にある小さな村落だ。

 地図にも乗っているか怪しい程の田舎町であり、過疎化が進んで行き交う人々は老人たちばかり。

 公共交通網はほぼほぼ死に絶えているため、自由に移動するためには自前の移動手段を用意するしかない。


「………………」


 時雨峰しうみね せいは雪がちらつく中を一人歩いていた。

 灰祓アルバとの追走戦の最中、突如乱入してきた女死神グリム――【凩乙女ウィンターウィドウ】。

 最古参の死神グリムに相応しいその力量を前にせいは瞬く間に打ちのめされ――気がつけばこの田舎町に運ばれていたのであった。

 それ以来、夜になったら襲い掛かってくる【凩乙女ウィンターウィドウ】に毎晩の様に叩きのめされ、気付けばおよそ一週間。

 とどのつまり。

 時雨峰しうみね せいはひたすらにボコボコにされていたのだった。


「いつになったら解放されるんだ…………」


 もはや愚痴るしかないせい

 あの崩壊を司る死神がその気なら、せいは出逢って五秒で塵になっていただろう。

 しかし彼女がせいにとどめを刺そうとしたことは一度もなく、適当に――死神グリムとして消滅しない、しかし人間なら四、五回は死んでるぐらい――痛めつけた後身動きの取れないせいに向かってあの攻撃はぬるかっただのさっきの防御は御粗末だっただののと講釈を垂れたのちに立ち去っていく。

 昨晩の戦いも同様だった。

 結果、元来死神グリム自らの存在を保管するための技能――存在回帰の性能が他の上位死神グリムと比べて大きく劣るせいは、深夜から正午手前まで自らの回復にかかりきりになり、正午過ぎの今になって活動を開始したワケである。


「取り敢えず…………昼食かな」


 そう言って食事処を探すせいであったが、これが中々見当たらない。

 前述の通りのド田舎。チェーン店やコンビニなどある筈もない。

 数少ない店舗が集まる筈の商店街ではシャッターの降りた店ばかりが並び、顧客もまばら。

 そんな所で余所者達が食事をしようとすれば行き着く先は限られているワケで――


「あら」


「うっっっげ」


 ――故に昼飯時に寂れた定食屋の中で二人の死神グリムが鉢合わせするのは半ば必然だったワケである。

 出くわした二人、せいは嫌そうな顔を隠そうともせず、【凩乙女ウィンターウィドウ】はニッコリと喜色を顔に浮かべる。


「あ、私の連れですー。相席お願いしまーす」


「は⁉ 他人だろう! 僕はカウンターで食べ――」


「来いや」


「あっはい…………」


 低い声で一言脅されただけでせいは速攻屈した。

 掘りごたつ式のテーブル席に招かれたせいは【凩乙女ウィンターウィドウ】の向かい側に座り、苦い顔をしながらもメニューを眺めて注文する。


「稲庭うどん一つ。以上で」


「えー。うどんだけぇ? 若いんだからどんどん頼んでどんどん食べなさいよ」


「いいだろう別に…………少食なんだよ。そもそも死神グリムの食事は意味が薄いんだし…………最低限の栄養補給で十分だ」


「華のない事言うわね。もっと楽しみを見つけとかないと退屈で死にたくなるわよ? 基本うんざりするぐらい暇なんだから死神グリムって」


「経験者はかく語る、か。説得力が違うな」


「あン? 今年寄り扱いした?」


「いや凄まないでくれよ⁉ 率直な相槌でしょ! 深い意味とかないから!」


「ふーん。ならいいけど。ふーん」


 そんな益体もないやり取りをしてる間に【凩乙女ウィンターウィドウ】が頼んでいたらしい定食が運ばれてくる。


「おっ、キタキター♡ カレイの南蛮漬け定食ね。では悪いけどお先に」


「いや、どうぞご勝手に…………」


「では気兼ねなくー。いやーこのホカホカの白いご飯だけでもお店のレベルは推し量れるものよ。いつ何時に注文しても炊き立てのご飯を出してくれる定食屋さんは間違いなく大当たりだから。覚えておくといいわ」


「いや。別にそんな変則的な時間帯に定食屋行ったりする機会はそうそうないだろ…………」


 やがてせいの注文したうどんも届き、どちらも昼食を口に運ぶ。


「…………美味しいなこのうどん」


「そりゃこのあたりの名物の一つだしねー」


「ふーん…………『名物に旨い物なし』なんて諺もあるけど、やっぱりあの諺は些か卑屈だよな…………」


 会話はいまいち弾まなかったが、ともあれ二人ともじきに完食。

 双方が一息ついた辺りを見計らってせいは目前の女死神へと問いかける。


「…………あんた、なんで僕につきまとってくるんだよ」


「つきまとうだなんて酷い言い草ね。心配しなくとも貴方みたいなお子様は趣味じゃないわ」


「僕だってあんたみたいな――」


「ん? 、何?」


「――みたいな、年上は、あまり、好みじゃない、です」


 流石に地雷は踏み飽きたらしく、なんとかせいは言葉を途中で軌道修正する。


「ふーん。【刈り手リーパー】君は年下が好み、と。いいんじゃない?」


「いや、好みの異性の話はしてないだろ。話逸らすなよ」


「やれやれせっかちねえ。若いなあ」


「………………」


 年寄り扱いされたらキレるくせしていちいち年寄りっぽさを感じさせる物言いをするのはどうなんだよ、とせいは内心でツッコんだ。口には出せなかったが。恐くて。


「言ったでしょ? 私はただのお節介なおねーさんだって。今の貴方じゃそこら辺の神話級ミソロジークラスに出くわした瞬間にゲームオーバーじゃない」


「いや、神話級ミソロジークラスなんてそこら辺にはいないだろ…………」


「ここにいるじゃない。二人」


「………………まあ、いますね」


 それに関しては頷くしかない。厳然たる事実だ。


「もちろん貴方と私には何の縁も所縁もありはしないけれど、たまには女王ヒルドの機嫌を取っておくのも悪くないでしょ。他人の親切はありがたく受け取っとくものよ」


「敵対する理由はあっても味方する理由はない相手の親切なんて、疑うななんて方が無理だろ」


「ま、疑おうが疑うまいが貴方に選択の余地はないでしょうけどね。逃げたくても逃げられないでしょ?」


「はいはい、仰る通りで」


 ズルル、とうどんを啜り終わった後、せいは「ご馳走さま」の挨拶と共に席を立とうとする。


「おっと料金は私が払うわよー。おねーさんだからね。おかみさーん、お勘定お願いしまーす」


「…………どうも」


 借りを作りたくはなかったが、しかしここで抵抗しても良いことはなさそうと判断したせいであった。

 会計を済ませた後は定食屋から出て、寂れた町並みを歩く二人。


「…………なんでついてくるんだよ。何か企んでるのか」


「そこまでいくと被害妄想じゃない? 単に私は目的地に向かってるだけよ」


「目的地、ね…………あんた、この町拠点にして長いのか」


「んん? なんでそう思ったの?」


「別に…………勘だよ。ただ、さっきの店でもこうして歩いてても小慣れてるっていうか、風景に馴染んでるような気がしただけだ」


「ふぅん…………明察、と言っておきましょうか」


 にこやかな笑顔──それは崩れないが、しかしどこかうっすらと【凩乙女ウィンターウィドウ】の表情に陰が差したように映る。


「──ここはね。私の故郷なのよ」


「…………は?」


 その言葉に、口を開けて呆けるせい


「どういう、意味だ?」


「全部の意味でよ。この田舎町で私はオギャアと産まれて、そして死んで──死神グリムになったの」


「………………」


「さっきの定食屋さんは私の同級生が開いたお店でね。今のおかみさんはそのお孫さんだけど。ま、そんな感じ?」


「…………なんで、居られるんだよ」


「ん? 今度はそっちがどういう意味?」


「なんで平気で居られるんだ──自分を忘れ去ってしまった故郷なんかに」


 ──そう。

 死神グリムに変移した者は、生前──人間だった頃の痕跡、記憶を人類種の中から抹消される。

 家族、友人、恋人に至るまで、全ての人間から忘却されてしまい──何者でもなくなった存在こそが、死神グリムなのだ。


「…………ま、そうね。私も死神グリムになってしばらくは寄り付かなかったけど…………その辺は年季の違いってヤツよ。死神グリムだろうがなんだろうが、結局『帰れる』場所なんて故郷ぐらいしかないんだし」


「時間の、問題なのか?」


「うーん。それは個人によるとしか言いようがないかな? ただ、私は私を覚えている者が誰一人として残っていなくても──ここに帰ってきてしまうって、だけだから」


「…………」


「そうね。貴方に目をかけたくなったのはそういう理屈だったのかも──私は、いえ死神わたしたちはもう誰の心にも遺ってはいないけれど…………貴方にはまだ、人間ひととの繋がりが残っているのでしょう?」


「………………」


 ピタリ、とせいがその歩みを止める。


「大事にしなさいな、その縁。今の貴方にとっては呪いみたいなものかもしれないけれど──それは、ありとあらゆる死神グリムが乞い願う程に稀有なものなんだからね」


「…………わかってるよ」


 そんな会話を交わす内に【凩乙女ウィンターウィドウ】の目的地とやらには着いたようだった。

 目前にあるのは、なんてことのない日本家屋。


「失礼します。こんにちは。はじめまして」


 そのなんてことのない挨拶は、縁側に座る一人の老人に対して投げかけられた。


「おや──どちら様で?」


「最近この辺に引っ越してきたものです。ご挨拶に参りました」


 【凩乙女ウィンターウィドウ】は朗らかに、慣れた様子でその老人に挨拶した。

 まるで。

 何百何千と、繰り返してきたかのように。


「………………」


 それを離れた場所で眺めるせいは、何も言わない──何も言えない。

 あれは、せいには何の関係もない光景だ。

 彼女がこれまでに何度あの「はじめまして」を繰り返してきたのか。彼女にとってあの老人がいったいどんな存在なのか。彼女のあの儚げな笑顔にどんな意味が宿っているのかなんていうことは──知る由もなければ知るべきでもないのである。






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 ザクザクザク──と、雪を踏みしだき歩く音が響く。


「…………チッ。イヤな感じだ」


 そのせいの独白は、他ならぬ自分自身に向けられたものだった。

 何がイヤな感じなのかと言えば、それは今現在の自身の心境であろう。

 ──今も昔も、彼にとって死神グリムとは倒すべき敵であり、越えるべき障害でしかない。

 それでも。

 自分自身が今、近しいのは──共感出来るのは──どうしようもなく、人間ではなく死神グリムの方なのだ。

 あの日、渋谷にて。

 死に損なって、生まれ間違えた。

 時雨峰しうみね せいは、もう死神グリムと呼ばれるのが相応しい存在であり、半端に残った人間の部分等は単なる余剰分。

 認めきれないままに、死神グリムを追い、人間に追われ、ここまで来てしまった。

 だが。


「潮時、なんだろうな」


 迷いは、消えない。

 憂いは、晴れない。

 それでも。

 自分を騙し続けるのは、流石に限界だった。

 残念ながら。


「何の為に、なったのか──それに何の意味があるのか。僕は何をするべきなのか」


 そんなことは、未だにこれっぽっちもわからない。

 けど。

 やりたいことなら今、一つ見つかった。

 せい灰祓アルバ専用端末──【AReTアレット】を取り出し、操作し始める。


「よし、まだ使えるな…………【死対局アルバトロス】の偏在探知機は集合無意識──泡沫の空オムニアに依存した代物だ。人口密度の小さい地域だと必然的に精度が落ちる」


 神話級ミソロジークラス二体が居るこの田舎町に未だに追手が来ないのはそういう理由だ。加えて、死神グリムとしては新種となるせいと、神話級ミソロジークラスでも最高峰である【凩乙女ウィンターウィドウ】の高過ぎる偏在率は現在の測定機器では数値が振り切れてしまいかねない、というのもあるだろう。

 それでも、灰祓アルバとて間抜けではない。

 いい加減嗅ぎ付けられても妥当な時期だ。


「──ビンゴ、か」


 通信の周波数を全体共有のものに合わせると──そこからは、せいが聴きたくなかった内容が流されていた。


『──第十三地区、反応、敵影、共に無し。次の地区へと捜査範囲を移す。




 ──第五隊サイプレス頭尾須ずびす隊長が現場に急行中。各破幻隊カレンデュラ隊員は補佐に向かえ』



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