寒苦鳥と轍魚──⑥



 「悪」というものについて考えることがある。

 悪ってなんだろう?

 善ではないもの。

 善の対極に在るもの。

 善が欠落しているもの。

 どれも具体性に欠けて困る。

 考えれば考えるほどわからなくなる。

 別に、揺るぎ無い模範解答を求めているわけではない。

 しっくりくるものが見つかればそれでいいのだ。

 そう。

 にとっての悪とは?

 ………………

 他者との共通項を持たないこと。

 逸脱してしまっていること。

 とどのつまりが異端者Heretic

 それが、アタシの、憎むべき悪。

 それが、アタシの、恐るべき悪。

 アタシは、悪だろうか。

 個人的には、そうは思わない。思えないから困っている。

 自らが善良とは思わないが、かといって邪悪というわけでもない、筈だ。

 自らが悪だと断じられれば、もう少しは生き易かったと思うのだけど。

 善になるには、悪になるには──アタシの世界は狭すぎる。

 だからこうして、自問自答のウロの底にて蹲っているのだ。

 延々と。

 憐れに惨めに。


 轍にて溺るる、魚の如くに。


 ああ、だけど、だから。

 善にもなれず、悪にもなれず。

 故に英雄にだって、到底なれやしないけれど。

 とどのつまりのどん詰まりにて。

 アタシはきっと──
















 灰色の火焔が橋上を嘗めつけてゆく。


「くぅっ…………!」


 自らの武装、大楯型生装リヴァース不昊フソラ】の影に隠れるのは、儁亦すぐまた 傴品うしなだ。


「や、やった…………?」


 【灰被りシンデレラ】の提案した捨て身の策にて、乾坤一擲の一撃を見舞った傴品うしなが、そんな言葉を溢す。


「知ってるよ。それ、フラグって言うんだろ?」


「あー、そうかもですね…………ってブフェええエェぇぇい!!??」


 傴品うしなのすぐ側で、【灰被りシンデレラ】が他人事のような感想を述べていた。


「ちょ!? あなたは自爆して木っ端微塵になったのではっ!?」


「木っ端微塵になった程度で消滅するしぬと思われていたのなら心外だね。心外な侵害だね」


「く、腐っても神話級ミソロジークラスってワケですかん…………」


「まあね。あ、といっても見くびらないでくれたまえよ。いかに神話級ミソロジークラスとはいえ──」


 そこで。

 【灰被りシンデレラ】は自らの燃え盛る【死因デスペア】の海に視線を遣り、呟く。


「私の【死因デスペア】をモロに喰らっといてあそこまで原形を保てる死神グリムはアイツくらいさ」


「う、嘘──」


 絶句する傴品うしな

 その視界の先には──


「──あっっっっついのぉ」


 灰の獄焔の海を、悠然と歩み渡る【慚愧丸スマッシュバラード】の姿があった。


「あの強力つよさに加えてあの強靭タフさってんだからやってらんないよねぇ」


「ひっひひひっひひひひひっひ、他人事みたいに言わないで下さいようどーすんですかどーすんですかぁ! 死っ死死っ死死死、死死っ死にたくないですううううぅぅぅ!!!!」


「この期に及んで見苦しいぜ傴品うしな。君は君に出来ることを完膚なきまでに遂行して見せた。後は天命を待つのみさ。何が起ころうと受け入れるんだね」


「そんなお坊さんみたいな心境にはなれませんですぅひっびびぃぃいい"い"いいやあああああ"あ"ああ"あぁぁぁぁ!!!!」


「悲鳴きったないなホント君は──大丈夫だって。灰祓きみたちのトップはそこまで愚鈍じゃあない」


「へ?」


 そこでようやく傴品うしなの耳に届いた、その言葉は──


「──第一隊ブラックサレナ、並びに第四隊クローバー現着しました」


 【死神災害対策局アルバトロス】局長にして、第一隊ブラックサレナ隊長、煦々雨くくさめ 水火みか──そして彼女率いる灰祓アルバ達がついに現着した。

 気がつけば橋の両端が封鎖され、戦闘用ヘリコプターが幾つも空を舞っている。橋の中央に立つ【慚愧丸スマッシュバラード】は完全に包囲されていた。


「──って、いいんですかこれ!? 灰祓アルバじゃ太刀打ち出来ないって言ってたじゃないですか!」


「そういうことはもうちょい場所を選んで声を落としていいたまえよ傴品うしな…………確かに【慚愧丸アイツ】は人間の敵う相手ではないがね、それはアイツが万全だったらの話さ。私の【死因デスペア】は確実にアイツの存在を蝕んだ」


 意味も勝機もなく自爆したりはしないよ──という【灰被りシンデレラ】の言葉に、傴品うしなも得心する。


「な、なるほど、今の弱った状態なら勝ち目はあると──」


「ま、勝率は二割以下だろうけどさ。アイツもここまで全然本気だしてないし」


「………………」


 白目を向く傴品うしなと、増援に来た煦々雨くくさめ率いる一団──それらを尻目に【灰被りシンデレラ】は【慚愧丸スマッシュバラード】へと歩み寄り、声をかける。


「おーい、聡明な君なら状況はわかったろう? ここらで水入りにしないかな」


「お前こそ状況はわかってるだろう。今尚俺が圧倒的優位だと」


「だからそこをなんとか退いてくれないかって話。二割だか一割だか知らないけど、それでもこんな騒動で僅かたりとも消滅のリスクを負うことはないだろ、君ともあろう者が」


「………………」


「そりゃ、君からみたら私は憐れで惨めで可哀想で可哀想で可哀想で可哀想な籠の中の鳥に見えるかもしれないが──存外居心地は悪かないんだぜ?」


 後ろの正面だあれ──つってね。


 と。

 儁亦すぐまた 傴品うしなの真正面で、【灰被りシンデレラ】は呟いた。

 当の傴品うしなはガタガタ震えつつ、白目を剥きながら楯に隠れて何やらブツブツ言っていたが。

 はああああぁ。

 そんな強大おおきなため息を一つ吐き。


「勝手にせぇや」


 そんな捨て台詞を残し。


 ずどおおおおおおおん!


 というギャグめいた爆音を立てて【慚愧丸スマッシュバラード】は再び大跳躍──その場から去っていったのだった。





 その結果衝撃で橋は倒壊し、両腕を縛られた【灰被りシンデレラ】と腰の抜けた儁亦すぐまた 傴品うしなが川に落ちて溺れたのだが、些細な話なので割愛する。











◁▶◁▶◁▶◁▶◁▶◁▶◁▶◁▶

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「『悪役』に憧れる人って、いったいどういう原理で憧れてるんでしょうね?」


「まぁた唐突かつ抽象的かつ意味不明な質問だねぇ」


 【死神災害対策局アルバトロス】東京本局、総合病院区画。

 その食堂にて。

 儁亦すぐまた 傴品うしなと【灰被り《シンデレラ》】は談笑していた。


「私としては君が先刻からどれだけの料理を平らげたのかを質問したいぐらいなのだが」


「チャーシュー麺とおにぎり二つ、山盛りサラダにデミグラスハンバーグと親子丼にお味噌汁、〆にカツカレーですね」


「…………昔からそんなに食べるのかい?」


「──いえ。ここ最近ですよ。量が増えたのは」


「ふーん…………。周りに心配かけないようにね」


「…………心に留めておきます」


 無表情に傴品うしなはそう言った。

 突っ込まれたくない話題らしい。


「で、どう思います? 『悪役への憧れ』って。私は昔から共感出来なくって。悪人に憧れちゃ駄目でしょうに」


「いや、むしろ結構な事だと思うよ? 悪人に憧れるのは当人が悪人でない証拠さ。自らには出来ないことを平然とやってのける、そこに憧憬を感じるというワケだろう」


「出来ないこと?」


「そうさ。大多数の人間ってのは、まあ善人でも悪人でもない。どちらにも傾きうる──善と悪をいったりきたりのどっちつかずなのが当たり前の人間というものだ」


「…………ふむ」


「だが創作フィクションにて描かれる悪役というものの大半には、躊躇や葛藤などない。混じりっけなしの悪が其処にはある。この上なく夢想ファンタジーだがね。しかし、常識や良識、倫理や道徳などによって縛られている一般人達からすれば、悪役かれらはこの上なく自由に映るのさ。──全ての人間は善人であると同時に悪人だ。『この野郎ぶっ殺してやる』も『気にせず許してあげよう』も、相反していようとお構い無しに全て矛盾なく一人の中に収まってしまう。そんなあやふやな半端者からすれば、混じりっけなしの二元論の体現者はそりゃあ眩しいさ。善であれ悪であれね」


「相反すれど矛盾せず──ですか」


「ああ。まったくもって度し難いよ、人間とは──心とはね。だから私みたいな欠陥製品を産み出してしまうんだ、やれやれ」


「………………アタシは、善人ですか? 悪人ですか?」


 どこか虚ろな目つきをしたままに、傴品うしなは問いかける。


「ふむ。私の観る限り、まだどちらでもないね。確固たる善人としても断固たる悪人としても、未だ君は何も成し遂げていない。君にとっての善悪の彼岸はまだ先さ。その分水嶺がいつ君の目の前に現れるのかは知らないが、友人としては君が君らしく在れる事を祈るとしようじゃないか」


「…………そりゃどうも。結局、善悪なんてその他大勢エキストラが決める事であって一個人の関与する事じゃないってワケですね。知ってましたけど」


 不貞腐れたような声を出し、傴品うしなはテーブルに突っ伏した。

 それを見た【灰被りシンデレラ】は、猫のように目を細めて笑う。


「確かに、善悪の定義なんてものは個人の裁量を越えているかもしれないが──善悪ではなく正誤ぐらいなら、まあ人一人にも負えるかもしれないよ?」


 さしあたって、今日の君の行いの正誤を推し測ってみてはいかがかな──なんて言葉と共に。

 傴品うしなの背後へ、誰かが立っていた。


「はっ…………殺気!」


 瞬時に振り向く傴品うしな

 そこに立っていたのは──


「………………傴品うしなぁ」


 彼女の同僚、弖岸てぎし むすびであった。


「む、むすびちゃん…………どうしてここに」


「どうしては、こちらの台詞だっての」


 幽鬼のような朧気な声色でむすびは言う。


「どうして哨戒任務パトロールをサボってた筈のあんたが、神話級ミソロジークラスと大立ち回りやらかす羽目になってんの…………」


 むすびの目は、少し赤くなっていた。


「随分心配かけたみたいだねぇ。友達泣かせだなあ君は」


 薄ら笑いを浮かべながらに、【灰被りシンデレラ】は嘲る。


「え、えーと、あの、その、ぽの、こそあど、あーーーーーっと」


 視線をあちこちに揺らしながら、傴品うしなは必死こいて最適な弁明の言葉を模索する。

 そしてそれを口にした。




「それを説明する前に今の銀河の状況を理解する必要が」




「あるかあああああぁぁぁぁ!!!!」


「ごめんなさいいいいぃぃぃぃ!!!!」










 ──【寒苦鳥かんくちょう轍魚てつぎょ】、終幕。



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