断崖ヒーロー──①






 宵闇を赤黒く照らす光の元は、小さな山村を舐め尽くす禍炎かえんだった。


『ガゴァアアアアアアアアァァァァァァ!!!!』


 轟く邪悪な咆哮。

 閑静とした田園風景が広がっている筈だったその山村は、一面火の海に包まれている。

 申し訳程度に出動した消防士や消防団は、碌な消火活動もままならないまま真っ先に丸焼きにされた。

 残された村民達は火に巻かれるぬようにただただ逃げ惑うのみで──しかしその逃げ場もじきに火の海に吞まれてしまうだろう。

 この集落丸々が消し炭になるのは目に見えた未来だった。

 その中心にて火炎を撒き散らすのは──


『ギグァァアアアアァァアアアアアアァァァ!!!!』


 体長はそこらの大型犬と大差ない程度。身体はコールタールを思わせる黒い体毛に覆われており、炎に照らされ妖しく光を反射している。

 その眼は爛々と真紅に煌めき、次の獲物を探しながらに更なる炎を吐き散らかしていた。


「その辺にしとけよ、犬ッころ」


 ──そこに、歳若い声が響く。

 炎を統べる妖犬──【禍斗かと】が振り返ると。

 燃え盛る山村の只中、寂れに寂れた家々の間。

 そこには、白い衣装に身を包んだ黒髪の少年が一人立っていた。


「大抵の死神犬グリム身体機能フィジカルでゴリ押ししてくるもんなんだがな…………火炎めんどうなもん使いやがって」


 呟きながらにトントン、と地面で軽く靴先を叩く少年。

 次の瞬間。

 少年はどこからか取り出した漆黒の日本刀を構え、駆け出した。


生装リヴァース、転装──往くぞ【裂黒ザクロ】!」


『ガボアアアアアァァァァァァッッッ!!!!』


 猛然と向かってくる少年目掛けて、【禍斗かと】は即座に火炎を放出する。


「フッ…………!」


 瞬時にステップを入れ、速度を損なわないままに少年は火炎を躱し、間合いを詰めてゆく。


「お、らぁ!」


 黒き一閃。

 しかし炎を統べる妖犬はそれを容易く避けてみせる。

 どころか回避した勢いそのままに、燃え盛る山村の家屋の壁や屋根を縦横無尽に跳び回る。

 その速度たるや、人間の反射速度を優に越えていた。


『──ガアァフ!』


 そんな唸り声と共に、【禍斗かと】は少年へと喰らいつかんと火炎を纏いながらに背後から飛びかかる!


「──ッ!」


 辛うじて腕を盾にし、その牙を受けた少年。

 だが。

 死神犬グリムのその牙は、人間の腕一本など容易く粉微塵に咬み砕く──


「させっかよ!」


 喰らいつかれるとほぼ同時、驚異的な速度で少年は【禍斗かと】の腹部へと膝蹴りを叩き込んだ。


『ギャフッ…………!』


「まだまだぁ!」


 少年は追撃の回し蹴りを【禍斗かと】へと見舞い――それをくらった魔犬はたまらず吹き飛ばされる。

 飛ばされたその先に待っていたのは、田圃たんぼだった。

 水と泥濘の飛沫をあげる【禍斗かと】――すると、目に見えて纏っていた火炎の勢いが弱まる。


「――ビンゴだ。奴の吐き散らしてる炎は泡沫の空オムニア由来のモンじゃねえ。掛け値なしの炎…………だから、水で普通に消せる」


 まあでなけりゃ消防車だのを潰しにかからねえよな――などと独り言ち、少年は通信端末を起動した。


「――おれだ。だから言っただろうに、死神犬いぬ程度にんなビビる事ねえって。火炎放射の規模こそ大きめだが、あくまで普通の炎だ。耐火装備の隊員と消火ヘリを片っ端から現場によこせ。元凶の死神犬グリムはおれが仕留める」


 そこまで言うと一方的に通話を切り、少年は改めて眼前の死神犬グリム――【禍斗かと】を見据えた。


「人格を保ってる死神グリムならおとなしく離脱も出来ただろうがな――本能だけで人を死なせて回る死神犬おまえらには引き際なんてわからねえだろ」


『グゥルルウルル…………』


 獰猛さに満ち満ちた唸り声を上げる【禍斗かと】だったが、地の利が少年の方にあるのは明白だった。この状況シチュエーションでは武器である火炎も機動力も大きく削がれてしまう。

 無論泥濘に足をとられるのは少年もまた同じではあったが、それ故に少年は自ら動こうとはせず、静かに迎撃の構えを取る。

 先に動くのは、間違いなく。

 血に飢えた、死に飢えた、あのケダモノの方だという確信があったからだ。

 痺れを切らした死神犬グリムは、高らかに咆哮する。


『ギャグァアアアアァァァァ!!!!』


 その咆哮と共に、【禍斗かと】の口内から真っ赤な炎が放出される。

 少年は即座に身体を回転させ、足場の悪い中で死神犬の火炎放射を回避してみせる。

 が、当然そこでは終わらなかった。


『ガカァアアアアァアァァァ!!!!』


 回転回避ローリングしたその地点を潰すように飛びかかる【禍斗かと】。

 それを見た少年は躱す事はかなわず──しかしまたしても咄嗟に左腕を盾にしてその牙を受け止める。


「吠えんな──弱い犬カマセが」


 そう言い放ち、瞬時一閃。

 【禍斗かと】の牙が左腕を焦がし咬み砕くよりもはやく、少年の黒き日本刀──【裂黒ザクロ】は死神犬の胴体を両断してみせた。


「終了、だな」


 ドボボン、と田圃に二つの水没音が響いた後、少年は再び通信端末にて何処かへ連絡を入れた。


「おう、終わったぞ。人員注ぎ込んで超特急で消火しろ、山にまで火の手が燃え移ったらエラい事に──あーもううっせーな。今説教する時間じゃねーだろどう考えても状況見ろよ」


 そんな会話をしている少年の背後で。

 斬り飛ばされた死神犬グリムの上半分──が、再燃した。


「っ!」


『ギャバァアアアァァォオオオオォオオォオォ!!!!』


 ジェット噴射のように火炎を斬断された切断面から噴出し、再び少年に喰らいつかんと飛びかかった。

 そして。


「──【真白ましろ】ぉぉぉぉ!」


 その牙が少年へと届く前に、瞬時に飛来した純白の直剣が側面から【禍斗かと】を刺し貫く。

 最期の抵抗もそこまで。

 火炎喰らいの妖犬は、灰となって四散していった。


「…………んだよ結局来たのかよ」


「『んだよ』じゃないんだってばあんたはも~~~~! 油断大敵だしそれ以前の問題だしっ!」


 【真白ましろ】というらしいその直剣を投げつけたのは──畦道の上で少年に対して怒り心頭らしい、黒髪の少女だった。






◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□

□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇






「なーーーんでいつもいつもあんたは一人で勝手に突っ走るのよ! 全容がまるで不透明な事件ヤマに不用意に首突っ込んだら本当に痛い目みる──ううん、痛いじゃ済まない目に遭うんだからね!」


「うるせえよ間近で大声だすな」


「それが怒られてる者の態度かぁーーーー! もっと反省しなさい反省を!」


 数十分後。

 消防士と【死神災害対策局アルバトロス】の隊員達による消火活動が続けられる中で、少年と少女が言い合っていた。


「ケースバイケースってもんがあんだろがよ。柔軟な対応だ。実際おれが飛び入って死神犬いぬ仕留めてなきゃもっと被害出てただろ」


「結果論の蛮勇って言うのよそれは! だいったい仕留められてなかったし! トドメやったの私だし! ツメが甘いのよ半人前! それで独断専行なんて百年早い!」


「…………チッ」


「舌打ちしたか今ぁー! 上司に! 隊長・・に向かって!」


 プンスカと怒る少女に対して、少年は苛立ちを込めた視線を向ける。


「じゃあ何か? あのまま何人もの人間がバーベキューされてるのを眺めながらちんたら作戦会議してりゃよかったってのか? クソ喰らえだな」


「そうは言ってないでしょ! 極端な事言うんじゃないの。それでも、私達が相手にするのは死神・・なの。自分の命を守るためにどれだけ警戒したって足りないのは百も承知でしょ」


「どれだけ警戒したって足りないなら警戒しようがしまいが変わんねぇって事だろ」


「屁理屈言わないのもうー!」


「何回言い合っても変わりゃしねぇよ。平行線だ。──おれが守りたいのは、自分じゃない他の誰かだからな」


「──だから、それは私もわかってるよ。わかってるから、自分自身も大事にしてあげて」


「………………」


「あなたが死んじゃったら、それこそ、これから先あなたが助けるたくさんの人達を見捨てる事になっちゃうんだから──ね、あがな


「…………了解、太白神たいはくしん隊長」


 慈しむような少女の視線を前に。

 少年は観念したようにそう言った。


「…………ま、仕方ないか。だってあがなはみんなのヒーローだもんねー!」


「止めろ!! そのアホガキみてーな呼称は止めろ!! 何度言ったらわかんだアホゆら!!」


「うん、よし! じゃ、第五隊ファレノプシス、帰投しまーす!」


 そう言って、艶やかな長い黒髪を靡かせる少女──第五隊ファレノプシス隊長、太白神たいはくしん ゆらは、花開くような笑顔を見せたのだった。











 ──これは、逆流せし因果の残響音。


 語られる筈の無かった。


 しかし、知らずにはいられない虚空の導。






 ──頭尾須ずびす あがな、十六歳の春の事である。






 ──【断崖だんがいヒーロー】、開幕。



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