36.不倫




 閑樽かんだる 詩縫しぬいの両親が命を落としたのは今から五年前の事だった。

 詳細な死因は不明。

 当時小学生だった閑樽かんだるが、休日の夕方に帰宅したその家の中で、両親はただ死んでいた。

 だが。

 その現場の有り様は異常の一言に尽きた。

 家の中の家具は片っ端から粉砕され、見る影もない惨状。両親の身体は自傷跡と、互いに暴行を加えあった痕跡が見受けられた。近所の住民の証言によれば、家からは家具の破砕音と共にとても人間のモノとは思えない絶叫が延々と響き渡っていたらしい。

 父の屍体は胸骨が胸を突き破っているという凄惨なものだったらしい。眼球は抉られており、解剖後に多種多様な異物──引き裂かれた衣類の切れ端、文房具、電池、家具の破片──に紛れ、破裂寸前まで膨れ上がった胃の中から発見されたそうだ。

 母の屍体は全裸のままベランダの物干し竿に、まるで豚の丸焼きか何かのように串刺しになって放置されていた。それと一緒に剥ぎ取られた全身の生皮が、まるで衣服のようにハンガーで吊るされていたそうだ。

 誰もが猟奇殺人を連想したが、状況証拠や科学捜査の結果により、その意見は否定される事となる。

 部外者の痕跡は一切発見されなかった。

 凄惨な行為の全ては、が行ったものである。

 念入りな調査の末、それが導きだされた結論だった。

 自殺──というには、あまりに異常に過ぎるその事件。

 何もかもがあやふやなままに、両親の死因は【】として処理されたらしかった。


「君のご両親は、死神──死神グリムと呼ばれる存在により、死に追いやられたんだ」


 そう告げられた当時十歳だった閑樽かんだるは、一も二もなくその言葉を信じた。

 サンタクロースは小学生になったその時点で信じていなかったし、スーパーヒーローも魔法少女も架空の存在だってよくわかっていた。

 そんな小学生女子だった閑樽かんだるであっても。

 両親を死に追いやったものが、常識などでは到底計れない、埒外の存在であることは──否応なしに認めざるを得なかったからである。

 閑樽かんだる家は、何一つ問題のない平和な家族、というワケではなかった。

 程々に不和と歪みを抱え、程々に善良で暖かな。

 そんな。

 どこにでもある。

 当たり前の。

 普通の、家族だった。

 あんな、日常からかけ離れた異常に巻き込まれるような筋合いなんて──これっぽっちだってありはしなかった。

 それでも両親は死んだ。

 狂って、死んでいった。

 死んで、しまった。


「この事件は揉み消される事になるだろう──世間に公開するには刺激が強すぎる。現場付近の住人達には皆記憶処理が行われる筈だ。…………本来なら君が、いの一番に、ね」


「……………………」


 目の前の青年、いや、少年にさえ見える年頃の男──綱潟つながたと名乗っていた──は、深い同情と後悔を滲ませながら語りかけてくる。

 当初は逆恨みじみた怒りしか沸いてこなかったその態度だったが──何度も会い、言葉を交わす内に、この人物の誠実な人格に触れた閑樽かんだるのズタズタになった心は、ほんの僅かであったが、ほぐれてきていたのだ。


「…………君の為を思うなら、それを勧めるべきなんだろう。君の心についた傷痕トラウマごと一連の記憶を消してしまうべき。それが最善だ。それはわかる。だからこれから俺が言うのは…………きっと、俺の身勝手なエゴなんだ」


 ふるふる、と、閑樽かんだるは首を振り、その言葉を否定した。

 そんなことはない、と。

 あなたは、私が一番に望んでいる事を勧めてくれているんだ、と。


「…………だけど…………君には…………選ぶ権利もあるのかもしれない。選択肢が与えられるべきなのかもしれないって、そうも、思う…………たとえ荊の道であっても、選ぶのは本人の権利で、本人の意思であるべきだって」


 こくこくこく、と閑樽かんだるは頷いた。

 その通りだ、と思った。

 を忘れてしまうなんて、真っ平ゴメンだった。

 両親の無念を忘れて、阿呆のように自分だけ幸福を貪るなんて、絶対に嫌だった。

 絶対に。

 ──


「だから…………君が、望むなら」


 目の前の少年──綱潟つながた 氷雁ひかりは、痛切な表情のまま、言った。


「…………俺と一緒に、死神グリムと、闘う事も出来る」


 閑樽かんだるは、もう──頷きはしなかった。

 はっきりと。

 言葉にして。

 両親の死後、およそに──閑樽かんだる 詩縫しぬいは、自らの意思を口にしたのだった。







 心の底から。

 一点の曇りもなく、閑樽かんだるは言った。


「おとうさんとおかあさんをしなせたやつら──いっぴきのこらず、ころしてやる」


 ──ポタリ、と床に雫が落ちる。

 閑樽かんだるは、滂沱の涙を流す、綱潟つながたに抱き締められながら。


(どうしてこのひとは、かんけいないのに、こんなにかなしそうにないているんだろう?)


 ただ、その疑問だけを、頭の中に浮かべていたのだった。






◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□

■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇






「──────」


 どうして。

 どうして、あの時の事が、こんな時に脳裏を過るのか。

 そんな疑問の中、何とか閑樽かんだる詩縫しぬいは気を取り直し、目前の鮎ヶ浜あゆがはまの介抱に集中する。


「意識は戻りましたね…………大丈夫ですか、鮎ヶ浜あゆがはまさん」


「ああ…………だいぶ楽になった。よっ……と」


 鮎ヶ浜あゆがはまがその身体を起き上がらせる。


「まだ油断は出来ないが…………【GRIM NOTE】のまとめ役とあいつは言っていた。主力には違いないだろう。犠牲もなく倒せて、本当に良かった…………」


「…………そう、ですね」


 安堵の言葉を漏らす二人。

 そこから少し離れた位置で、弖岸てぎし むすびは携帯端末──【AReTアレット】を操作していた。


「…………駄目ですね。ジャミングが酷くて通信は出来ません。…………何とか他の班、出来れば第五隊サイプレスと連絡取りたかったんですが」


「そうか…………弖岸てぎしでも無理、か。ならここで呆けていても仕方ない。合流に向けて移動しよう」


 そういって鮎ヶ浜あゆがはまは立ち上がった。


「移動といっても…………本当に大丈夫なんですか? 鮎ヶ浜あゆがはまさん。もう少し安静にしていた方が…………」


「それはお前らも同じだろ? 疲れてるのはみんなお互い様だ。なら、少しでも前向きに行動しよう。大丈夫。きっと他の奴らも無事でいるさ」


「…………お互い様なんかじゃ、ないです」


 閑樽かんだるは、忸怩たる思いでそう言った。


「二人ともボロボロになりながら闘って…………なのに私だけ、大したこと出来ないで──」


 スパン。

 と、閑樽かんだるは脳天をはたかれる。


「何おバカな事言ってんの、詩縫しぬいちゃん」


「同感だ。というか、嫌味か? 往き過ぎた謙遜は良くないぞ、閑樽かんだる


 呆れた顔で、むすび鮎ヶ浜あゆがはまはそう言った。


詩縫しぬいちゃんがいなかったら、ワタシ達二人ともぜーったい死んでたから。…………詩縫しぬいちゃんが、ワタシ達を助けてくれたんだよ」


「その通りだ」


「…………私、が?」


 と、信じられないという風な表情で閑樽かんだるは言う。


「でも──だって私は、いつだって」


 いつだって、何もできなかった。

 両親が死んだ時も。

 …………綱潟つながたさん達──第三隊ヴィブルナムが壊滅したときも。

 何一つ、出来はしなかった。


「…………手の届かない場所にいる人は、救えない。諦めかもしれないけど、それが現実だよね」


 目を伏せながら、むすびは言う。


「けど今回は違った。違ったんだよ、詩縫しぬいちゃん」


「………………弖岸てぎし、さん」


詩縫しぬいちゃんは、ちゃんとワタシ達を助けてくれたんだよ。ワタシ達の命を、救ってくれたんだ」


「………………ホン、トに?」


「もちろん!」


 満面の笑みで、むすびは言った。


「助けてくれてありがとう! 詩縫しぬいちゃん!」


「────」


 閑樽かんだるは、何も言わない。

 何も、言えない。

 ただ、どうしてか。

 昔の事を、思い出していた。


『俺には、さ──お前の復讐を止めたりは出来ないよ。その道を示したのは他ならぬ俺なんだし、復讐が無意味だとか言えるほどご立派な人間でもない』


 そんな風に。

 あの、優しい人は、言っていた。


『だからさ、せめて──第三隊おれたちがお前の、復讐以外の生きる意味になれたらって、そう思うよ』


 ──ポロリ、と。

 涙が零れた。

 両親が死んだ時も。

 第三隊みんなが死んだ時も。

 涙なんて流れなかった。

 自分はそういう冷たい人間なんだって、そう思った。

 なのに。

 なのにどうして。

 誰も死んでなんかいないのに。

 どうして、こんなにも、涙が溢れるのだろう──?


「う、ううううううぅぅぅ──」


 視界が滲む。

 どうして、自分は泣いているのだろう?

 そんな疑問とはお構いなしに、涙だけが零れていく。


「あ──ありがとう。ありがとう、むすびさん。鮎ヶ浜あゆがはまさん」


 涙ながらに、閑樽かんだるは感謝の言葉を告げる。


「わ、私──私っ──わたっ──











              ──っ」






 サクリ、と、音がした。




「えっ?」




 バタリ、と音がした。




「えっ…………えっ? あれっ? …………どうしたの? 詩縫しぬい、ちゃ、ん」


 閑樽かんだるは、何も言わない。


 何も、言えない。


 だって。


 彼女の、側頭部に。

 ナニかが。

 ツき、サさって、いた、から。


「え……………えぇ? 嘘、だって、え、え? な、な、な──」


 むすびの思考回路は完全にフリーズしていた。

 だから。

 閑樽かんだるの頭部に刺さったソレが。

 閑樽かんだるの命を奪ったソレが。


 草苅鎌のような、小さな死鎌デスサイズであることに。


 そしてそれが、ということに。

 気づかない──気づけない──思考が、追いつかない。


「あ…………? えぇ? いや、え、あ、う、ううぅう嘘、うそウソ──あ、や、あ、あ、ああああああぁぁぁぁ! し、詩縫しぬいちゃん! 詩縫しぬいちゃん!! 詩縫しぬいちゃん!!!! お、起きて、や、やだ、やだ、やだやだ!!」


「──っっっッッッ!!!! 誰だぁっ! 出てk」


 ドスリ。


 鈍い音。


「……………………………………ガバ」


 鮎ヶ浜あゆがはまは仰向けに倒れる。

 ──


「はっっ、が、バァっ…………うっ、ガッ」


 鮎ヶ浜あゆがはまの胸元。

 閑樽かんだるの頭部を貫いたソレと、同じ形状の死鎌デスサイズが、突き刺さっていた。


「ぐ」


 一瞬の、身動ぎの後。


「はっっっ──ガ、ぱ。ごっ、ぼぼぼぼボボボボぼボボぼぼぼボボポボぽポポポぽぽポボポポ──」


 口から膨大な量の血泡を吹き出し──白目を剥いて、鮎ヶ浜あゆがはまは意識を失った。

 当然だが。

 意識を取り戻すことはない。

 エイエン、に。


「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 むすびの内心は。






           ウツロで、満たされた。




 そこに。






 ぽーん。


      ぽーん。


           ぽーん。


                ぽーん。




 ナニかが、弾んでやってきた。


 ぼでっ。


 ゴロゴロゴロ…………


 舞台の上に、そのマルいモノが転がり落ち──暫くして、動きを止める。

 その球体ボールは、青黒い色合いをしていた。

 あちこちが薄汚れてしまっている。

 何だろう?

 あれは。

 ──とそこまで浮かんだところでむすびは即座に目を逸らした。


(そんなワケないそんなワケないそんなワケないそんなワケないそんなワケないそんなワケないそんなワケないそんなワケない──)


 一瞬脳裏に過ったを、むすびは即座に、そして全力で否定した。

 否定、しきれる、現実で、ないことは。

 とっくに、悟って、いたクセに。


「う、ううううううう、ヴぅううううヴヴヴヴうううううううう!!!!」


 ガリガリガリガリガリガリバリバリバリバリバリバリ。

 両手で頭を掻きむしるむすび

 あまりにも理不尽な現実を前にして。

 現実逃避と現実対応。

 二つの理性が脳内で衝突コリジョンを起こし、むすびの機能をフリーズさせる。

 そんなむすびには、お構いなしに──







「──っ、ゴオオオオオオルっ! ゴール、ゴール、ゴーーーーーールっ! 33-4! 日本代表、奇跡の先発全員ハットトリック達成いいいぃぃぃ! これが本当の実力だぁっ!!!」




 そんな腐りきった台詞を吹聴しながら。


 最低最悪の死神グリムは。


 ──【狩り手ハンター】は、弖岸てぎし むすびの前に姿を現した。


「……………………………………あれ? ごっめん、取り込み中だったぁ?」


 スッとぼけた声色で【狩り手ハンター】は言う。

 だけど、そんな言葉はむすびの耳に届く筈もなかった。


 だって。


 【狩り手ハンター】の手の中に、あるのは。


 【狩り手ハンター】が。


 紅緋色の、髪の毛を、掴んで。


 引き摺って、来たのは。


 ピクリとも。




               動かない。




 は────




「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………傴品うしな?」



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