35.悪と獄




 ──ベチャリ、ドサッ。




 鈍い音が二回、続けて響いた。

 一度目の音は、斬り飛ばされた布引ぬのひき 暢昭のぶあきの頭部、その上半分が落下した音。

 二度目の音は、残った下顎から下の身体が倒れ伏した音である。




「やっぱり粗製乱造品マグロくってるようなのは駄目だな…………次!」




 キリッ、とした表情で。

 ビシッ、とポーズを決めて。

 眼帯を付けた少女の死神グリム──【狩り手ハンター】は、そんな意味不明な台詞を吐いた。


「ぬ、布引ぬのひきさんっ……!」


「──止まれっ! 湯屋谷ゆやだに! …………堪えろ。迂闊に動くな」


「は、はわわわわ………」


 無惨な亡骸と化した仲間。

 それを見て残る三人の選抜生セレクション──安羅梳あらぐし とおる湯屋谷ゆやだに 淑乃よしの儁亦すぐまた 傴品うしなが、三者三様のリアクションをとる。


「さぁーて、どうしょっかなぁ…………んー、【毒撃手オーバードーズ】仕留めた連中のトコ行くかな? 【ブラ──】じゃなかった、【爆撃手ボマー】の助太刀は…………いらないか。ほっときゃいいでしょ、あの子は」


「お前──何者だ」


 班長である安羅梳あらぐしが、細心の警戒を払いながら誰何の声をあげる。


「はいぃ? 意外だな。論外だね。愚問だよ。その質問、今しなきゃいけないことぉ?」


 小馬鹿にしたような口調で、紫苑色の髪の少女は肩を竦めながらそう答える。


「ったく…………運よく【電撃手ショッカー】みたいなクソ雑魚ナメクジ引き当てたんだからさぁ。その幸運を無駄にせずに謙虚に生きるべきだと思うんだよねぇ──あっひゃっひゃっひゃっひゃ、アイツ滅茶苦茶弱かったでしょ? 記銘済コーデッドの面汚しだかんねーアイツ。てか【感電死】って字面からしてなんかもう貧弱感が漂ってるよね? わーらーえーるー」


 整ったその顔立ちからは考えられないような下卑た哄笑を上げるその死神グリム


「質問に──」


「あ"ーーーーはいはい、わーかったっての五月っ蝿いなもぅ。まぁオレ基本潜伏してたし、あんたらの凡庸な情報網ネットワークにゃ引っ掛かってないでしょうしねー。──【狩り手ハンター】。はんはんはんはん【狩りハンター】、ちゃん、でぇぇぇぇええええっす。クラスのみんなには、内緒だょっ?」


「あん、たっ──」


 巫山戯ているようにしか思えないその態度に、怒りを露にする湯屋谷ゆやだに

 それを片手で制する安羅梳あらぐしは、内心で必死にこの状況でどう動くのが最善なのかを模索し続けていた。


(【狩り手ハンター】…………聞いたこともないコードだ。が、共有定義グリムコードを所有してるってことはそれだけの存在強度アイデンティティを所有してるのは間違いない…………どうする。布引ぬのひきを欠いた状態で挑むべきか、退くべきか──)


「に、逃げましょ? お二人とも」


 そんな思案中の安羅梳あらぐしに投げ込まれた声の主は──顔を若干青くした儁亦すぐまた 傴品うしなだった。


「に、逃げましょう。逃げるべきです。逃げるしかないです。逃げなきゃヤバイです。逃げないなんて選択肢はありません。だからだからだからだから逃げよ逃げましょ逃げる逃げる逃げるに限ります限るんですってば逃げますさあ逃げましょすぐ逃げるんです──」


「っ、何言ってんのよ──布引ぬのひきさんの仇なのよ!? 闘いもせずに逃げるなんて、出来るわけないじゃない!」


 傴品うしなの言葉を聞き、湯屋谷ゆやだにが反論する。


「い、いや、その、ざ、残念ですけどそれはまたの機会にするべきというかですね。わ、わかるの、わかるんですって、根拠がないのが申し訳ないんですが、あの人、あの死神グリムさん、絶対の絶対な絶対も絶対が絶対を絶対は絶対ににににににに──ヤバ、過ぎると思いますで、す」


 もはや身体の震えを隠そうともせず、傴品うしなは必死に意見する。

 その様子を見て、安羅梳あらぐしは決断した。


(このざまじゃ、儁亦すぐまたが満足に闘えるかは怪しい…………それに、こいつの意見もわからないじゃない。あの死神グリムはあまりにも異質すぎる。ここは──)




「ざぁ~~んねえぇぇぇえん!!!! じ~~~~か~~~~ん~~~~ぎ~~~~れ~~~~!!!! デデーーン! ぜーいーん、OUTーーー!!」




 競技場全体に轟くような爆音染みた大声で、突如として【狩り手ハンター】が怒鳴った。


「いっやーーーー残念っ! 残念無念また来年! 来年っつーか来世かな!? な? なーー! 兎も角! たーいむあーっぷでーーーーすっ! 今オレの脳内で今後の予定シフトが組まれちゃいましたっ! 惜しいっ! さっさと逃げときゃめんどくなって見逃したかもしんないのにねっ! ほら、オレって見た通り気まぐれだからさー!」


 【狩り手ハンター】は。

 そのに。

 片手サイズの小さな死鎌デスサイズを喚び出し──くるくると手の中で回転させながら。

 告げる。


「ぜーいん手羽先のように手早くぅ、みにゃー殺しっ! ………………てなわけでぇ」


 【狩り手ハンター】は。

 この世凡てを凌辱するような。

 おどろおどろしい、冒涜的な笑みを浮かべ。

 言い放った。




素敵なはぶあ来世をないすらーいふっ♡」




 その言葉を言い終わるかどうかのうちに、猛然とした速度で選抜生セレクション達に躍りかかる。


「っ、クソっ…………! 【堝貫透かかんどう】!」


 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、安羅梳あらぐしは向かってきた死神グリムを迎え撃つ。

 が、死神グリム──【狩り手ハンター】はまるで地を這い進む蛇のような低い姿勢で迫り、両手に持った双振りの死鎌デスサイズを煌めかせた。


「槍なんて、懐に入れば、即落ち2コマ、だ、よ、ねーッ!」


 床に伏しているかのような低姿勢のまま、しかしまるで鞭のようにうねる斬撃を放ち、安羅梳あらぐしの頚を狙う【狩り手ハンター】。


「舐めんじゃ、ねぇ…………っ!」


 その鋭い攻撃を何とか槍で受け止め──しかし【狩り手ハンター】の攻撃の手は留まることはない。


「あっ、ひゃあーーーー!」


「う、おおおおおっっっ!!」


 ギ、ギャリリリン! と、甲高い金属音が立て続けに響き渡る。

 【狩り手ハンター】の鋭い連撃──しかし安羅梳あらぐしはけして怯むことなくそれらを捌いてみせる。

 槍の穂先、刃、時には柄や石突きをも駆使し、猛攻を防ぎきった。


「お、らあっ…………!」


 そして、防戦一方にはなるものかと、返す刃で渾身の一撃を放つ。


「うにゃっ?」


 ガィン、と大きく弾かれ、仰け反ノックバックる【狩り手ハンター】。

 ──その隙を見逃す選抜生セレクションではない。


「くた、ばれぇっ!」


 湯屋谷ゆやだにがその手にもった短剣型の生装リヴァース、【COLTコルト】ですかさず攻撃を叩き込む。

 しかし。


「ひら、ひら、ひ~ら~りんっとぉ」


 体勢の崩れた状態とは思えない動き──まるで宙に舞う紙切れのような頼りない足取りのままに、【狩り手ハンター】はその攻撃を躱し切ってみせた。


「くそ…………ちょこまかと!」


「疾いな…………だが、なんとか食らいついていける」


 目前の死神グリムの身体能力に目を見張り、しかし決して二人は暗い表情は浮かべていない。

 強敵ではあるが、太刀打ちできない相手ではない。そう思った。

 思ってしまっていた。




               哀れにも。


「んー…………ん、んっ、んー」


 酔っ払っているかのような千鳥足じみた足取りで、ゆらゆらとぶらつきながらに【狩り手ハンター】は目前の灰祓アルバを眺める。


「んぁー………………18点っ!」


 退屈そうにしている──かと思いきや突如声を張り上げる【狩り手ハンター】。


「ん。18点。甘く見てね。身体捌きはいちいち雑だし、そのクセ二手三手先はてんで見えてなーい。目前の対処だけに泡食って必死こくばっか。ダメダメよ駄目ですなだ~~~めだこりゃー!」


 両手を挙げる【狩り手ハンター】──どうやらわかりやすく『お手上げ』を表現しているらしい。


「なんですって──」


「だっかーーーらニブいんだってばさぁー。ホラ、まずちゃんと自分の状況を確かめてみればぁー?」


「──? 何を…………」


 ポロリ。

 と、安羅梳あらぐしの足元に、何かが落ちた。


「っ、何が──」


 落ちていたのは。

 安羅梳あらぐしの【堝貫透かかんどう】──その穂先だった。


「…………………………………………は?」


 唖然とする安羅梳あらぐし

 の、手の中で──武器が、

 切断されたのは柄の部分だけではない、槍としての本体部分──刃そのものまで、まるでバターか何かのように呆気なく両断されている。


 ガランゴロン。


 と、音を立てて。

 細切れになった刺突槍ランスは、床にバラバラと散らばる羽目になった。


「…………………………………………」


「………………な、にが?」


「いやいやいやいやいやいや…………なにがもへちまもありゃしないでしょ。さっき斬り結んだ時に、こう、ズンバラリンと。…………見えてなかったのかぁー。アぁホくさ。なぁにが選抜生セレクションなんだか」


 はぁあ。

 と、先刻のおちゃらけた態度とは一転、【狩り手ハンター】は心底から落胆したようなため息を吐いた。


「に、逃げ──」


「られるらりるれ逃げられるわけないっしょーーー! 手遅られりるれーーー! バカ丸出しかい! …………まぁ、丸出しなのは別のモノだけどね──あひゃ(笑)」


 

 厭に重苦しい音がした。

 湯屋谷ゆやだには、恐怖で身体を動かせぬまま──なんとか眼球だけは動かし、隣の安羅梳あらぐしの様子をみる。

 と。

 安羅梳あらぐし




     腹部


  が          破けて。



        はらわた

         が



 ボドボドと。


            ボドボドと。




 ボドボド。




 ボドボドボドボドボドボドボドボドボドボドボドボドボドボドボドボド──




「い、いやああああああああぁぁぁぁ!」


 悲鳴が──否、絶叫があがる。

 臓腑の溢れ落ちた安羅梳あらぐしへと駆け寄ろうとし──一歩目を踏み出したところで。

 湯屋谷ゆやだには、盛大にスッ転んだ。


「あ、あ──? っ、あっあ"、あヴ……」


「ったく、ニブちんしかいないのかな灰祓アルバって…………あいあーい。お疲れーぃ」


 テクテクと湯屋谷ゆやだにの側まで歩み寄る【狩り手ハンター】。


「さっき言ってたの聞いてなかったぁ? 【毒撃手オーバードーズ】にはオレの【死因デスペア】を貸したげてたって言ってたでしょー? …………てなワケで。オレの【死因デスペア】は【】でっす。本家本元の、ねーっ」


 そっ、と湯屋谷ゆやだにの頬に触れて。

 その指先を湯屋谷ゆやだにの目前にやる。

 【狩り手ハンター】の指先には、少量の赤色がついていた。


「ホラ。傷」


「………………ッ! こ、ソん、な……絣り、傷…………!」


「いやいやいや…………毒、ナメてない? あの霧吹き小僧のショボショボシャワーと一緒にすんなっての。触れただけでおっんじゃう猛毒なんて自然界じゃさして珍しくないよ? まぁあんたに使ったのは筋弛緩毒だから致死性はないけど…………ホレ」


 隣で臓腑を撒き散らして倒れ伏している安羅梳あらぐしの髪の毛を掴み、持ち上げる。


 ボチュリ。


 と、湿った音がした。


 【狩り手ハンター】が持ち上げた安羅梳あらぐしの身体は──


 ──上半身、だけになっていた。


「…………………」


「ん、もう呂律も回らないか。ちょっと残念。可愛いコの悲鳴は嫌いじゃないからねー。あっひゃあっひゃ。あ、ちなみにコイツに使ったのは腐食毒──わかりやすく言うと強酸とか強アルカリとか、そういうのね」


 ポーイ、と片手で無造作に安羅梳あらぐしだった肉塊を背後に放り投げ。


「さて、と」


 ニンマリとした笑顔を浮かべて。

 【狩り手ハンター】は湯屋谷ゆやだにの目前──文字通りの、眼球から数㎜の所──に、死鎌デスサイズの鋒を突きつける。


「…………………っ!」


「まな板の上の鯉になった気分でお願いしまああああぁぁぁぁっす、てね。…………で、不公平なのは良くないし、あなたも腐食毒で逝かせてあげよーかなーって気分なんだよねー。やっだオレってやっさしー♪ といってもまるっきり同じってのも芸がないでしょ? だからまぁこの通り、お目目からいこうかなー、って、さぁ?」


 うれしそうに。

 うれしそうにうれしそうにうれしそうにうれしそうに。

 たのしそうに。

 たのしそうにたのしそうにたのしそうにたのしそうに。

 まるで。

 蟲の脚を毟って遊ぶ、わらべのような。

 無邪気な無邪気な微笑みを浮かべて。


「心配しなくていいよー? グッサリやったりはしないから。ほんのちょーっとだけ角膜をチクッとして腐食毒を投与するだけ。そこから虹彩、水晶体が腐り落ちていって、眼球の大部分である硝子体へ突入する。この硝子体って99%が水分で出来てるんだってさー。硝子体が終わればいよいよ網膜だね。そんで脈絡膜、強膜まで溶け落ちちゃえば眼球 is dead. そんで眼球の奥にある骨壁、眼窩底までもが終われば──後はまあ、脳に到達しちゃうよね。そんで、脳味噌がドロドロに蕩けて、脳漿と混ざりあってグチャグチャのシチューになっちゃうわけだ。あひゃー♡」


「………………………」


 その時、湯屋谷ゆやだにの顔に浮かんでいた感情は。

 きっと、絶望一色だっただろう。

 それを見て。

 【狩り手ハンター】は──


「…………………………うん。自分で言ってて白けてきたな。あひゃ。B級スプラッター映画じゃないんだから。過度なゴア描写は下手すると笑えてくるからなー。あっひゃひゃ」


 死鎌デスサイズを消し、【狩り手ハンター】は立ち上がった。


「んー、んじゃ、どーすっかなぁ。…………めんどくなってきちゃったなー。もうほっぽっちゃおっかなぁ……………」


「…………………」


「んー………………」


 しばらく湯屋谷ゆやだにの顔を見下ろしながら眺め。


「──よしっ」


 曇り一つ無い満面の笑みを浮かべて。

 【狩り手ハンター】は決断した。






「サッカーやろうぜ! お前ボールな!」







「────」


 湯屋谷ゆやだにが何かしらのリアクションをする、その前に。

 【狩り手ハンター】は既に、湯屋谷ゆやだにの顔面めがけて渾身の蹴りを叩き込んでいた。


「トルネードアロースカイウィングシューーーット!!!」


 どゴッ。


 ポーン、


      ポーン、


           ポーン、


                ポーン。


 マルいものが宙に飛び。

 ボールのように床を弾んで、転がっていった。


「ゴーーーール! 日本ニッポンせんせーい! つってつってー。あひゃひゃひゃひゃ! あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」


 笑う笑う笑う笑う。

 嗤う嗤う嗤う嗤う。

 この上なく悦ばしそうに。

 隻眼の死神は、一連の行為を愉しみ尽くしていた。


「あひゃーーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! あー…………あらん?」


 そこでようやく、【狩り手ハンター】は違和感に気付いた。


「……………んん? 一人足りなくない?」


 そう。

 選抜生セレクション 第三班は四人部隊フォーマンセル

 安羅梳あらぐし とおる──死亡。

 湯屋谷ゆやだに 淑乃よしの──死亡。

 布引ぬのひき 暢昭のぶあき──死亡。

 あと──一人。


「…………なぁんだ。馬鹿でないのもちゃんといるんじゃん。──及第点あげるよ。うん」


 と、真面目な顔で【狩り手ハンター】は独り言ちた。






◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






「ご、ごめんなさい──ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ…………でも、でもでもでもでも」


 ブツブツと謝罪の言葉を洩らしながら。

 極力足音を立てる事なく、儁亦すぐまた 傴品うしなは走っていた。


「だって、だってだってだってだって、どうしようもなかった…………! 一瞬で安羅梳あらぐしさんがやられちゃった時点で、もう、選択肢が──」


 そう。

 【狩り手ハンター】が迷いなく容赦なく、主力である安羅梳あらぐしを仕留めにかかった時点で、第三班の命運は事実上尽きていた。

 客観的な視点で両者の戦力を比較すれば、あの盤面で【狩り手ハンター】を第三班が打ち倒せる目などほぼ無かったと誰もが言うだろう。

 無論。

 客観的な視点など、当の本人達に持てる筈もない。

 第三班にとっては【狩り手ハンター】はあの時点では『未知の敵』であり、それ以上にもそれ以下にもならなかった。

 たとえ、両者の相手に断崖のような彼我の差があったとしても。

 そんな現実、第三班の面々には知るよしもない。

 そしてその片鱗を直感的に感じ取っていたのは。

 儁亦すぐまた 傴品うしな、ただ一人だけだった。

 だが。

 『直感』などという曖昧なものを、他者に上手く伝えられる筈もない。

 そして、【狩り手ハンター】がそれを伝える時間など与える筈も、またなかった。

 あの状況で三人全員が生き残る可能性が、ほんの僅かでもあったとしたら。

 それは──『儁亦すぐまた 傴品うしな殿しんがりに置いての全力逃走』しかなかっただろう。

 儁亦すぐまた 傴品うしなの能力を駆使すれば。

 それは──絶対に不可能、ということもなかった筈だ。

 だが。

 現実は非情だ。

 真実は無情だ。

 それを知ってか知らずか、【狩り手ハンター】は逃走体勢をとらせる暇も与えず、総合的な戦闘力では第三班随一と言える安羅梳あらぐしを即座に仕留めにかかった。

 あの時点で、第三班に残されていたなけなしの希望は完全に潰えたのだ。

 人間一人に出来ることは、所詮人間一人に出来ることしかない。

 あの瞬間、儁亦すぐまた 傴品うしなに残された選択肢は二つだけとなった。


 一人だけ逃げるか。


 三人で死ぬかだ。


「ごめんなさいっ……! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 許して、許して許して許して許して、だって! だってだってだって、アタシはアタシはアタシはっ……!」


 死にたくなんか、ない。


 傴品うしなは、そんな血を吐くような言葉を溢した。


「う、うう、ううううぅぅ…………!」


 嗚咽を漏らす。

 それでも、足は決して止めない。

 ああまでして逃げ出した以上は、自分は決して死んではならない。絶対に生き残らなくてはいけない──

 ──そう思い、必死に傴品うしなは走っていた。

 内心に響く、


『よく言うね。見殺しにしたくせに』


 という自分自身の言葉に、必死に耳を塞ぎながら。




 ──カツン。




 と、廊下に音が響いた。


「ヒッ────!」


 悲鳴を噛み殺し、咄嗟に手で口を覆う。


(お、追いかけて…………来た?)


 どく。どく。どく。どく。どく。


 痛いぐらいに心臓が鼓動を立てる。


「フッ…………フッ…………フッ…………」


 動悸を押さえつけ、呼吸を精一杯静め。

 ゆっくり、ゆっくり。


 傴品うしなは、


 背後を、


 振り、


 返ると────




「……………………」


 そこには。


 誰の姿も、影も形も、ありはしなかった。


(よ、よかっ、た…………は、はやく、はやく施設の、外へ)


 そうして、傴品うしなは再び出口を目指して、前を向いt












































「どこ  いく  のん♡」






 傴品うしなの眼前。

 パク、パク、パク、と。

 湯屋谷ゆやだに 淑乃よしのの頭部を、まるで人形パペットのように手で操り、口を開閉させながら。




 最悪の死神グリムは。


 災厄の死神グリムは。


 ──【狩り手ハンター】は、恍惚に満ちた、蕩けるような笑みを浮かべていた。



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