33.石器




 ミーンミンミンミンミンミー。

 ミーンミンミンミンミンミー。


 ヂリヂリヂリヂリヂリヂリ……

 ヂリヂリヂリヂリヂリヂリ……


 ゼリゼリゼリゼリゼリゼリゼリゼリワシャワシャワシャワシャワシャワシャ──


 やけにうるさい蝉の合唱が響き渡っている。

 既に九月に入っていながらも、真夏のそれとなんら変わりのないその陽射しは容赦なく世界を灼き、熔けそうなアスファルトの上で陽炎がゆらゆらと揺蕩っていた。

 東京郊外。

 深緑煌めく中に存在したのは──さして珍しくもない、ただの墓地だ。

 その墓地で変わったことがあると言えば、一人の少女の有り様。

 金髪をポニーテールにしたその少女は、中学校制服に身を包み、ある墓石の前で──




 ──




「ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさい……ごめん、なさい…………ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………っ!」


 ボロボロと涙を溢しながら。

 少女はその言葉を延々と繰り返す。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………! 何も出来なくてごめんなさい、何もしなくてごめんなさい…………!」


 果ての無い悔恨と共に、謝罪の言葉を続ける少女。

 目前の墓石には。


『都雅家之墓』。

 

 と、刻まれているのだった。






△△△△△△△△△△△△△△△△

▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽






「【死業デスグラシア】、解放──【毒濁煙撃者マッドガッサー】」


 自らに止めを刺さんとする黒き刃が迫る中。

 【毒撃手オーバードーズ】たる死神グリムは、遂に自らの宿業を開帳した。


「…………っ! やっ、ば」


 まずい。

 このままいくと──

 根拠もなくそう確信した弖岸てぎし むすびは、無理矢理床を蹴り、その場から離れようとする。


「遅いんだよ、馬鹿がっ…………!」


 罵倒と共に隻腕となった【毒撃手オーバードーズ】の掌の中に顕れたのは──


(…………っ! 噴霧銃スプレーガン!? まずい、息を──)


 むすびは咄嗟に片手で鼻と口を覆い隠す。


 ボシュゥゥゥゥゥゥ。


 拍子抜けしそうな位に間の抜けた音が鳴り響いた。

 転がり落ちるかのように壇上から観客席まで降りていったむすび

 それを見下ろしながら、不愉快げに【毒撃手オーバードーズ】は言い放つ。


「ふん…………息を止めたか。小賢しいな。経口暴露なら苦しまず直ぐに逝けたのに」


「くっ…………ぐうぅぅぅぅ、あっ、ふ、ぅぅぅううう…………っ!」


 悲鳴をなんとか噛み殺し、黒刀を杖代わりにして身体を支えながら、むすびはかろうじて【毒撃手オーバードーズ】を見据えた。


「が──経皮暴露でも充分な致命傷だ。激痛でのたうち回りたいだろうに、よく堪える。大抵のやつはあらんかぎりの悲鳴を上げて、結果呼吸してそのまま死ぬんだけど」


 称賛半分、呆れ半分。そんな雰囲気でむすびを睨む【毒撃手オーバードーズ】。


「さて、どうする気だ? あっちの斧男はグロッキー。あと二分程度で死ぬ。そして主力らしいお前も毒を浴びてそのザマだ。満足に動けるのは──」


 ギロリ。

 と、【毒撃手オーバードーズ】は視界の端にいた少女に目を遣る。


「そこの、鬱陶しい鎖使い──杭使いか? の、小娘一人だけだね。……ただの事後処理だ」


 カツ、カツ、カツ。

 高い靴音を鳴らしながら、【毒撃手オーバードーズ】は無傷である最後の一人──第三隊ヴィブルナム選抜生セレクション閑樽かんだる 詩縫しぬいへと歩み寄る。


「ま、ちなさい、このぉ…………!」


 むすびは激痛に苛まれながらも、黒刀を携え、【毒撃手オーバードーズ】へと斬りかかっていく。


「無駄だってわかんないかなぁ…………さっきとは動きが雲泥の差だ。すっトロいにも程がある」


 むすびが必死に振るう剣閃を、ヒラリヒラリと躱し続ける【毒撃手オーバードーズ】。

 ──しかし。


(…………チッ。常に墜とした片腕側から攻め込んでくる、か。本当に小賢しいな…………遊んでる余裕も無さそうだ)


 むすびの大きく踏み込んでの一閃──それを躱したことで生まれた隙を逃すことなく、【毒撃手オーバードーズ】は再び噴霧銃スプレーガンむすびに突きつける。


「駄目っ……! 【阿杭あぐい】!」


 悲鳴じみた声をあげて遠距離から刺突剣を撃ち込むのは──唯一無傷と言っていい状態の閑樽かんだる

 だが。


「二度も喰うか。お前の武器の性質からして──足留め役だろ、お前。決定打らしい一撃は持ってない。ならもう詰みだ。諦めろ」


 パシ。

 と、難なくそれを掴み取り、【毒撃手オーバードーズ】はその刺突剣に連なった鎖を思い切り手繰り寄せる。


「来いよ」


「っ、キャッ──」


 観客席から壇上まで。

 鎖に引き摺られて宙を舞い、【毒撃手オーバードーズ】の元へと引き寄せられる閑樽かんだる

 そして──


 ──ドグッ。


「カッ、は、あぁっ……!」


 鳩尾にモロに膝蹴りを叩き込まれ、閑樽かんだるは嗚咽を漏らした。

 そのまま壇上で崩れ落ち──そして倒れた閑樽かんだるのその頭部を【毒撃手オーバードーズ】が踏みにじる。


「──勝てると思ったか? 無能愚昧もここに極まれりだな、人間如きが。僕たち死神グリムと言えば死ぬ。それがお前達の役目だろうに…………身の程を知れよ」


「…………クソ野郎っ…………! 死神グリム…………っ! 死神グリム死神グリム死神グリム死神グリムッ! お前は、お前、達はっ…………!」


 舞台に伏したまま、有らん限りの怨嗟が込められた視線で。

 閑樽かんだるは【毒撃手オーバードーズ】を睨み付ける。


「どうして、何故そんなにも、人をっ……! 人の命を踏みにじれるのよ……! 意味もなく、躊躇もなく! ただただ無為に命を摘み取り続けて…………! 許せない、許さない、赦さない赦さない赦さない赦さないっ!」


「…………復讐、かな? 何にしたって筋違いだな。死神ぼくらが人間を死なせるのと、人間きみたちが命を喰らい、地を拓き、空を裂き、海を割るのと何が違う? 《ただそうであるようにそうある》。生存本能と存在証明。それらの間にどれ程の彼我差が横たわっているというんだ?」


「うるっさい…………! 屁理屈をっ」


「屁理屈だろうが理屈は理屈だ。腐っても『神』と討論しようってんならそれなりの不可逆論パラドクスを用意しておくことだね…………ふん。無駄口を叩いた」


 ガチャリ。

 噴霧銃スプレーガンを突きつける。

 それの引き金が引かれれば、閑樽かんだるの命は終わりを迎える事となるだろう。


(なんで…………なんでわたしは、いつもいつも、何も出来ないの──)


 心の裏で、忸怩たる思いを滲ませる閑樽かんだる

 脳裏に浮かぶのは──、自らの恩人達の姿。


(ごめんなさい…………綱潟つながた隊長、兎々ととさん、鹿種ししぐささん────真咲まさき、ちゃん)


 涙ぐんだその目を、閑樽かんだるは閉じる。


「とっととくたば──」


「くたばってんじゃ、ないってのおおおおおお!」


 烈帛の気勢と共に渾身の一振りフルスイングで放たれたその剣撃を、【毒撃手オーバードーズ】はその場から跳躍することで躱し──宙に舞いながらその銃口をむすびへと向け、引き金を絞る。

 

 ──ボシュゥゥゥゥゥゥ。


 再び撒き散らされる死の毒素。


「ぐっ、うううぅぅぅ…………っ!」


 それらから必死に逃れようとするむすび

 だが。


「いくら逃げようが無駄だ。【毒濁煙撃者マッドガッサー】の毒煙ガスはそう簡単に消え失せたりはしない。戦いが長引けば長引くほど空気中の毒素は増える──そうなれば息をしなくたって関係無い。経皮暴露だけで【】に至るには充分だ」


 ──【毒撃手オーバードーズ】の言は正しい。

 事実、今現在むすびを苛んでいるのは、皮膚から唸りを上げて伝わる激痛いたみだった──何をせずとも空気が肌に触れるだけでのたうち回りたくなるような痛みが全身を襲う。

 ただ肌に触れるだけでこれだ。呼吸をしてしまえばどうなることか、わかったものではない──が、呼吸をしないまま何分動けることだろうか。その上激痛を堪えながら、である。

 その痛みの程を知るものがいたとしたら、むすびが辛うじてとはいえまだまともに武器を振るい、戦闘を行っているその事実が信じられないことだろう。

 そして増加していく毒素と共に、その激痛は大きくなっていくばかり。

 だというのに。


詩縫しぬいちゃん!」


 弖岸てぎし むすびは──


「ワタシは──何も知らないのが嫌だった、何も出来ないのが嫌だった、何も自分が憎くてたまらなかった! だから、せめて何かしようって、何でもいいから、あの子に近づくために、何かしようって……その、だからっ……!」


 一呼吸が命取りになるこの状況下で。

 むすびに──閑樽かんだる 詩縫しぬいへと呼び掛ける。

 訴え、かける。


「だから、だから詩縫しぬいちゃんも──ッッッ!!」


「────っ!」


 その言葉を最後に。

 今度こそむすびはその場に崩れ落ちた。

 そして。

 閑樽かんだる 詩縫しぬいは──


「────あああぁぁっ!」


 むすびと同様に激痛に苛まれる身体をおして──自らの武器を天井目掛けて投げ放つ。


「っ!? 何を──」


 閑樽かんだるが狙ったのは──舞台天井の、照明器具。

 刺突剣はそれに深く突き刺さり──鎖で繋がれたもう片方を、閑樽かんだるは力一杯に引き絞る。


「っ、まさかお前っ……!」


「墜ちろっ…………!」


 ミシミシ、と音を立てて軋む照明器具。

 ──が、閑樽かんだる一人の腕力では、流石にそれを引きちぎるまではいかない。

 


「────ッッッらぁ!!」


 そこに轟音と共に投げ込まれたのは──長柄戦斧ロングポールアックス

 口から血反吐をぶちまけながら。もう意識があるかも定かでない状態で。

 それでも鮎ヶ浜あゆがはま すずりは──仲間の為に、死力を尽くしてみせたのだ。


「お前っ、なんでまだ動け──」


「っ、あああああああぁぁッッッ!!」


 その気迫の声と共に、遂に照明器具が落下する。

 起こったものは、轟音、衝撃、そして──だ。


「しまっ、毒煙ガスが──」


 いかに恐ろしい、死をもたらす毒煙ガスだったとしても──毒煙ガス毒煙ガスだ。

 風で煽れば、四散する。


「嘗めやがって…………! その場凌ぎだ、所詮…………!」


 そう、である。

 一旦風で毒煙ガスを押し退けたところで、毒煙ガスが消えてなくなるワケではないし──何より【毒撃手オーバードーズ】が新たに毒煙ガスを追加すれば、それでもう元の木阿弥である。

 この、ほんの僅かな間隙スキで出来ることと言えば──


「スー…………、ハー……………」


 、くらいのものだ。

 深く呼吸を一つし。

 チャキリ、と弖岸てぎし むすびは愛刀を大上段に構えた。

 毒煙ガスが散ったことにより、身体を走る激痛も随分とマシになった。

 …………勝負の刻だ。

 ──その場凌ぎ。その通り。

 そして、それで十分だ。

 


 そうして弖岸てぎし むすびは。


 自らの最高の一刀。


 灰祓アルバの最奥たる御業の名を──呟いた。






「……………………【冥月みょうげつ】」



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