30.痒い雨



「死に憧憬を抱いてしまう人というのは、いつの世にも一定数存在します──昨今のこの国ではもはや珍しくもないほどに。嘆かわしくも微笑ましいですね」


 ある日の銀泉学園食堂。

 黒々しき少女──太白神たいはくしんは紅茶を口にしつつそう言った。


「統計によると日本このくには世界有数の『他人を助けない国』であるとか──まぁ良く言われる話でしょうね。傍観気質、事なかれ主義。それについての糾弾は、そこかしこで行われている事ですし、今回は省略しておきましょう」


「いや、それ省略していいんですか? お嬢様」


 黒き少女の隣に座る絹鼠色の髪の少女がツッコミを入れた。


「はい、よりは黙っておいてね。──それで、ですね。面白いのがこの統計、『他人を助けない国』、『思いやりのない国』はおおむね先進国ばかりが名を連ねているということなんです。そして真逆の『他人を助ける国』、『思いやりのある国』はお世辞にも住みやすい国とは言えないような国ばかりなんです──これは何を意味してると思います?」


 少々の間がテーブルに降りる。

 そして、向かい合う少女はその問いに答えた。


「ふふ、やはり優しいですね、貴女は──『苦しい環境の人達程助け合っている』、ですか。まぁあながち間違ってもいません。というよりその通りです。困難や窮地に追い込まれれば人間は手を取り合うものです。友情やら信頼やらの感情論はさておいて、それが長い時を生き抜いてきた、人類のなのですから」


「所詮は人間も群体、群れで生きる生物ということでしょうかねー」


「群れない生物など事実上存在しないでしょう。複数の個体が存在している時点でそれはもう種族という群像カテゴリの枠内の存在ですからね──まぁ、話が逸れました。余裕のない人々は必然的に手を取り合う。協力なくして、団結なくしては生きていけないという現実があるのだから。さて、ではこの国の人々はどうでしょうか?」


 更に投げ掛けられたその問いの答えは、既に用意されていたのか、向かい合う少女はすぐに返答する。


「そう、この国を始めとする先進国では、既に高度な生活基盤インフラストラクチャーが形成されています。故に目前の一人や二人がどうなろうともほぼ間違いなく自分自身の生活には影響を及ぼさない。故に無関心。まぁ実に必然にして当然。単純な理屈ロジカルと言えるでしょう」


 太白神たいはくしんのその言葉に、絹鼠色の髪の少女──よりというらしい少女が応える。


「別にそれは悪いことじゃないと思いますけどねー私とかは。人間関係なんてギブアンドテイクが当然でしょう。そりゃ義理や人情に価値がないとは言いませんけども、それは人それぞれの裁量次第ですよやっぱり。自分を犠牲に他者を助けるのはそりゃ美しいですけども、それを強要するのは絶対に違います。『犠牲無き献身こそ真の奉仕』と、かのナイチンゲールも言ったそうですよ。等価交換だからこそ助ける方も全力で助けれるし、助けられる方も遠慮なく助けられる事が出来るんじゃないですかね」


「なるほど、それもまた真実ですか。──まあさっき言ったように、他者に無関心で、自分を最優先にする生き方を糾弾するつもりはないんですよ。それが正しいと言うつもりもないですが、まぁは人それぞれですものね」


 そこでまた一旦紅茶を口に運び、太白神たいはくしんは言葉を続ける。


「昨今では『根性論』がようやく否定されるようになりましたよね。嫌な思い、辛い思い、苦しい思いをすればそれが立派だと讃えられる──『苦労主義』あたりも。確かに苦労すればするほど偉いというのは論理が飛躍していると思いますが…………ここだけの話、私は苦労したものが偉い、という考え方にはそれなりに共感出来てしまうんですよね」


「う"ぇーっ。マジで言ってます?」


「マジで言ってるわよ、より。だって実際、生きることが難しい環境に置かれれば人は皆貪欲に生きようと足掻くものでしょう? 苦境にあってこそ人は生き抜こうとする意思と覚悟を持つことが出来る。これは揺るぎない事実だと私は思う。そして事実──生きることがさして難しくのないこの国では、生きる事を放棄してしまう人が多々いるじゃない」


「いや、別に──自殺する人だって色々と事情があるでしょうに……」


「どんな事情があっても生きる事を放棄するなんて人間失格、いえ、生命落第だわ。蚯だっておけらだってアメンボだってゴキブリだって『生きる』ことには真摯で、懸命に生きようと努力しているというのに…………自殺するってことは自身がこの地球上で最も劣った生物だと立証するようなものよ」


「清々しいまでに最低な事を言うなぁこの人…………」


「ともあれ、逆光の前に立ってこそ、生命は輝かしく光るものだと私は思います──そう、のようにね」


 そう言いながら微笑む黒い少女を前に──向かい合う少女は、何とも言えない顔をする。


「何が言いたいかと言いますと、私は貴女に敬意を表したいという事ですよ──死に怯えながら、死を厭いながら、それでも生を掴むまで諦めることなく懸命に闘う勇士をね」


 にこやかに告げられたその言葉に。

 向かい合う少女は。


 弖岸てぎし むすびは、冷めた表情で応えるのだった。


「いや、別に、ワタシはそんなんじゃないです」






○●○●○●○●○●○●○●○●

●○●○●○●○●○●○●○●○




 五月五日。

 仙台某所にて。


「い、いっ、いいっ、いよっいよですねむすびさんん…………」


「うん、そうだね傴品うしな。取り敢えず深呼吸しな」


 作戦当日。現場から少し離れた待機場所にて、弖岸てぎし むすび儁亦すぐまた 傴品うしなは言葉を交わしていた。


「そんなこと言ったって緊張しちゃいますよぉ~…………なんでアタシだけほとんど面識ない人達とチームアップしなくちゃなんないんですか~…………むすびさんと一緒だと思ってたのにぃ…………」


「そう言ってくれるのは嬉しいしありがたいけどね。偏在率のバランスからいったらワタシらはそりゃ分けられちゃうよ」


「そりゃ理屈はわかりますけども~。うう、あの人達なんかピリピリしてて怖いんですって」


「いや、別にあんたにイラついてるワケじゃないと思うよ。ほらあの一件ででしょ。あの──」


 ほんの一拍の間を空けてから。

 むすびは言った。


「──例の、神話級ミソロジークラスとの、さ」


「…………なるほど、そうですか」


「うん、そうだよ」


「………………」


「………………」


 二人の間にしばしの無音が流れ。

 傴品うしなから、口を開いた。


「あの、むすびさん」


「ん? 何、傴品うしな


「いや、その…………大丈夫、ですか?」


「……………………………………?」


「…………いえ、何でもない、です。ごめんなさい」


 会話が打ち切られる。

 それがこの一ヶ月ひとつき、共に時間を過ごしてきたこの二人の、奇妙な距離感だった。

 ──そこに新たな人影が来訪する。


「おいーっす。久しぶりだねーむーすーびーちゃんっ」


 金髪をツンツンに立てた髪型をした、チャラついた雰囲気の青年が二人の前にやってきた。


「あ、唐珠からたま先輩、お久しぶりです」


 青年──唐珠からたまというらしいその人物に、むすびは会釈する。


「うん、といっても二ヶ月ぶりぐらいかな? 隊長とはずっと一緒だったみたいだけど、俺ら残りの隊員達はそりゃもーまた会える日を心待ちにしてたよ。一日千秋ってやつ? いやー、また東北に来てくれて嬉しいよまったく」


「大げさですね相変わらず…………あ、傴品うしな。この人は唐珠からたま 深玄みくろさん」


「どもー、唐珠からたまですー。あ、第五隊サイプレス所属で副隊長やらしてもらってますー」


「ふ、ふぇっ!? 第五隊サイプレス──【聖生讃歌隊マクロビオテス】の副隊長さんです!?」


「いやいや、そんな畏まんなくていいよー。副隊長っつったってほぼ名ばかり。頭尾須ずびす隊長の補佐はみーんな音奈ねなちゃんがやってくれてるしねー」


「堂々と言わないで下さいよ…………」


 むすびの白い目線を受けてもまるで意に介さず、唐珠からたまは続ける。


「俺の話はまぁ別にいいでしょ。そーれーよーりー。俺としては傴品うしなちゃんの話聞きたいなー。むすびちゃんに次ぐ期待の新星ルーキーで、しかもかーわいーもんなー」


「…………あ、や、その、自分は、別に、あの」


 と、口ごもる傴品うしなとの間にむすびが割って入る。


「ほーらー女の子とあらば即ナンパする癖直してくださいって言ったじゃないですか。この子はデリケートなんであんまズケズケいかないであげてください」


「うおっとゴメンゴメン! そっかウブなタイプの子だったかー。女子の性格キャラを初見で見抜けなかったのは久しぶりだ。いや、チャラ男として不覚。マジゴメンね。怖がらせちゃったかな?」


 申し訳なさそうな顔で真摯に謝ってみせる唐珠からたま


「い、いえっ、いえいえお気になさらず! だっだ大丈夫ですので……」


「まったく…………煙瀧えんだき先輩にチクりますよ」


「あ、それは止めて。勘弁して。音奈ねなちゃんはガチでハッ倒してくるから…………」


 そんな風な既知同士のやり取りが続けられ、傴品うしなは少々の疎外感を得る。


「………………」


「あ、そういえば二人とも、ここ一ヶ月ひとつきはどうだった?」


「どうだったって、何がです?」


「いやほら、二人とも、頭尾須ずびす隊長につきっきりで特訓して貰ってたんでしょ?」


「!」


「!!!」


 ピタリ。

 と、むすび傴品うしな、両者の動きが止まる。


「あの頭尾須ずびすさんが長期間の特訓に付き合うってそうそうないと思うんだよねー。どんな内容だったのかなーって」


「………………」


「……………………」


 長い沈黙の後。

 二人は口を開いた。


「痛みを知らない子供が嫌い」


「心を失くした大人が嫌い」


「いやゴメン何言ってんの!? 何の話!?」


 そんな唐珠からたまのツッコミが響いたところで──その場から徐々に喧騒が消え始める。


「おっと、そろそろか。んじゃ、二人とも──


「はい」


「あ。は、い……」


 サラリと告げられたその言葉。

 それは──まったくもって、この場に相応しい言葉だっただろう。

 そうして唐珠からたまは足早に二人の前から去っていった。


「…………えっと、何で話しかけてきたんでしょあの人。ホントにナンパです?」


「いや、たぶんワタシ達が緊張してるのを見て気を遣ってくれたんじゃないかな…………あの人、口さえ開かなければ顔も性格もイケメンだし」


「褒めてるんですか? 貶してるんですか?」


 そこで、隊員達のインカムに通信が入る。


『──総員注目』


 その一言で、その場に集った全ての【死対局】局員達の視線が一点に集中する。

 その先にいたのは──




 ──【聖生讃歌隊マクロビオテス第五隊サイプレス


 ──隊長、頭尾須ずびす あがな


 ──副隊長、唐珠からたま 深玄みくろ


 ──隊員、公橋きみはし 辰人たつと


 ──隊員、煙瀧えんだき 音奈ねな


 総員四名。

 灰祓アルバの頂点に位置する部隊。

 東北地方担当の【聖生讃歌隊マクロビオテス】がそこに立っていた。

 それを率いる隊長──頭尾須ずびすが言葉を告げる。


「総員、それぞれの班に分かれ、戦闘態勢を取れ──三十分後に、作戦開始だ」






◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□

□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇






「はぁ…………憂鬱憂鬱陰惨陰惨。──おい、【電撃手ショッカー】【爆撃手ボマー】、迎撃態勢だ」

 

 ガスマスクを着けた死神グリム

 【毒撃手オーバードーズ】はスマフォ越しに同志へと呼び掛けた。

 舞台は、死に焦がれる子羊達が招かれし集会場──


歓待パーティを、始めよう」


 ガスマスクの奥。

 にこりともしないままに、彼は開戦を宣言した。



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