18.Ⅶ




 タタンタタン──と変わらぬ音を立て、列車は未だに留まる事を知らない。

 その先頭車両の中の様子は凄惨としか言えそうになかった──血溜まり肉溜まり。およそそんな風景だ。

 真っ当に人としての原型を留めている遺骸は、ありはしなかった。

 そんな惨劇真っ只中の車内を、白いブレザーを身に纏った金髪の少女──弖岸てぎし むすびは静かに歩く。

 言わずもがな、その表情は険しい。この惨劇を引き起こした死者への怒りか、それとも惨劇を止められなかった自分への憤りか。

 おそらくは両方であり、そしてそれだけというワケでもないのだろう。

 未だにこの場から消え失せない──剣呑な気配を警戒して、というのが一番の理由だ。


『車内に偏在反応は感知出来ません──今のところは、ですが。弖岸てぎし隊員、どうか警戒を』


「ありがと、垂香たるかちゃん。…………? 何、あの光」


 先頭車両内部、操縦席のすぐ手前。

 血と臓物で赤黒く染め上げられたその場所で──不気味な紫色の光を浮かべる液晶が落ちていた。

 むすびはそれの側にまで慎重に歩み寄り、警戒しつつもそれを手にとる。


「見た感じはただのスマフォ──かな? けど、なんか薄気味悪いというか、キナ臭いと……」


 いうか、との言葉は続かなかった。


むすびちゃん後──


 と、その警告に覆い被さるように。

 死神の絶叫が、車内に響き渡る。


「死──ネエエエェェェェッッ!」


 むすびの背後。

 血肉に塗れた屍体が瞬時に起き上がり、死鎌デスサイズを振るう。


「──死ぬかっ」


 その奇襲をまるで知っていたかのように、むすびは納刀したままの黒刀で死の刃を受け止め、捌き切る。

 ギィン、と、金切り音が車内に響き、白と黒の人影は互いに一端距離を置く。


「何故、わかった…………」


 忌々し気に吐き捨てるのは、当然奇襲をしくじった死神グリムだった──ありふれたスーツに身を包んだ、オフィスレディめいた風貌をしている。


「チビッ子だって気づくっての、頭脳が間抜けなのかな? チェリーパイ投げ合戦の跡みたいなこの景色の中で、キレイに原型を留めてる死体がときたら、そりゃ疑うでしょうに。かくれんぼが下手くそだったクチでしょ、あんた?」


「減らず口を……! 随分な蛮勇だな、梟め。あんたのような小娘一人で死神グリムを相手取れると思っているのか」


「大丈夫だと思うよ? 匂いで解る。手練れの死神グリムはね、そりゃあ強烈ながするのよ。腐りきった臓物とゴキブリのジャムを三日三晩煮詰めたみたいな感じかな? 対してあんたは小綺麗なもんだよ、なんせこの距離でだって対して匂わない。よかったね?」


「──ガアアアアアアアアッッッ!!」


 会話が成立したのはそこまで。

 死神グリムは熱り立って手の中の死鎌デスサイズを振り回す。


「はっ、遅いしトロいし──鈍いっ!」


 怒りの咆哮を上げ、猛り狂う死神グリムだったが、それらは実に単調な物だった。ただひたすらに振り回すばかり。

 つまりそれは、むすびにとってはなんら脅威にならないということでしかないのである。

 いかに死神グリム死鎌デスサイズが、読んで字の如くなの致死武器であったところで、当たらなければどうということはないのだから。


「さあさあどうしたの! 小娘一人死なせることもできない死神なんて笑い話だと思うけど!?」


 狭い列車内で、実に器用に黒き死刃を潜り抜け続けるむすびは、あろうことかそんな軽口さえ叩いてみせる。


「ふざけるな…………ふざけるなっ! 小娘……お前のような餓鬼にっ……! 台無しにされてたまるか!!」


「…………『』?」


 底冷えのしそうな、酷薄な声色で。

 むすびは聞き返す。


「この状況で何言ってんのさ…………誰がどっからどうみても、にしたのは…………あんたでしょ!」


 死鎌デスサイズを勢いよく弾き、むすびは吠えた。


「いくよ【クロ】──っ!」


 黒き愛刀のを叫び、むすびは攻勢へと転じた。


(間合いリーチの差は明らか…………懐に入り込む!)


 死鎌デスサイズを弾いた隙を見計らい、果敢に前進。刃の届かぬ懐へとむすびは一気に飛び込んで見せる。


「見え透いた手を──っ! 舐めるな小娘ぇ!」


 それを迎え撃つ死神グリムは、死鎌デスサイズを弾かれたその勢いのまま、身体を大きく捻転、回し蹴りを放った。


「うっ、くっ……! このぉ!」


 それを紙一重で躱したむすびであったが、あくまで辛うじてだった。突撃の勢いは弱まり、死神グリムに愛刀を届かせる距離までは一歩足りない。

 が。

 死神グリムの方から見れば──その距離は絶好の間合いだった。

 回し蹴りを放ったその勢いを殺さず、更にそのまま大きく身体を回転──手にした死神デスサイズを一閃する!


「くた、ばれぇぇ!!」


 漆黒の軌跡を描いたその凪ぎ払いをむすびは驚異的な反射神経を以てして防御する──しかし。


「飛べ」


 その一撃の威力は到底受け止めきれる事はなく──壮絶な衝撃でそのままむすびは吹き飛ばされる。


「ごっ…………はあ!」


 先頭車両内の端から端。

 後部車両への扉へと叩きつけられ、思わず呻き声を上げる。


「くっ、そ。流石に死神犬いぬみたく簡単にはいかないか…………垂香たるかちゃん、対象の偏在率は?」


『対象の偏在率、60%超過──以前上昇中!』


「了解。ふぅん、60ね…………ま、にしちゃそこそこかな?」


「あ"?」


 その言葉に。

 向かい合う死神グリムが、より一層の不快感を示す。


「何か言ったか──梟」


「いや、誉めたげたんだけど? 権兵衛名無しにしちゃ、の偏在率じゃないかなーってさ」


「…………囀ずるな、ガキ」


「やーなこった。…………生憎ワタシにとってはあんたなんかただの小物だよ──いいや、小物じゃなくちゃ困るんだ。ワタシは──もっともっとまで昇らなくちゃいけないから。でないと到底…………追い付けないんだから」


 静かに。しかし強固な信念を込め、むすびは言い放つ。


「だから、こんなチャチな予行演習チュートリアルで──手こずるワケには、いかないのよ!」


「黙れっ…………! 黙れ黙れ黙れ黙れ! 私はっ、私は強い! 私は大きい! 私は、私だ、私なんだ! この事を果たせばっ……ようやく!! ! もう一度、! 邪魔をするな邪魔をするな邪魔をするな──」


 大きく死鎌デスサイズを振りかぶり。

 無銘の死神グリムは叫ぶ。

 それは、絶叫だった。

 それは──悲鳴だった。


「邪魔を! するなああああぁぁぁぁ!」


 死鎌デスサイズを構え、死神グリムが飛びかかってくる──その刹那前に。

 むすびは、愛刀を鞘へと再び納めていた。


『弖岸隊員の偏在率、基準値を超過! 武装限定、解除されます……!』


「…………第一限定機構解除ファーストリミッターカット鋭角化完了レイジングクリア


 ガシャリ、ガシャリガシャリ。

 刀身を納めた鞘もろとも、黒刀の形状が変形してゆき──結の右手をいつのまにやら漆黒に金の紋様が刻まれた、手甲が包んでいる。


生装リヴァース第二刃型セカンドレイジ突入──! さぁ、鯰斬りだっ……いくよ【鐚黒アクロ】!!」


 鈍色の不吉な煌めきと共に──腰だめに構えた漆黒の太刀が、今姿を変える。

 これといった意匠のない無骨な太刀から──刺々しい紋様が刻まれた、妖しき一刀へと。


「ああああああああぁぁぁぁッッ!!」


 とてつもない速度で迫り来る死神グリム──それを前にしてなお微塵も臆する事はなく。結は納刀したままの愛刀を腰に佩いたまま、それを迎え撃つ!

 死神グリムがその死鎌デスサイズを振り下ろし。

 むすびはただそのまま駆け抜ける。

 ──刹那の交錯の後。

 車両の中心で、両者は背中合わせに佇んでいた。


「………………」


「………………」


 降りる沈黙──だがそれは直ぐに破られる。

 ピシリ、と厭な音が響き。

 そして。

 死神グリムの手の中の死鎌デスサイズの刃が──音を立てて砕け散った。


「…………ば──」


鹿、って? お決まりの台詞だね。まあ確かに、あんたは馬鹿だけどさ」


 冷淡な口調で言い放たれるその言葉を受け、死神グリムは即座に振り返った。


「ふざけるな、こむ、しゅ、め、めぇぇぇぇ…………?」


 確かに死神グリムは振り返った。

 首だけ。

 胴体は、相変わらず正面を向いたまま。


「…………さて、ここで問題」


 スタスタスタ、と。

 むすびは決して振り返りはせず──そのまま車両の先頭、操縦席へと歩きながら。

 無感動に、呟いた。


「ワタシは一体──あんたを?」


「……………………カ、ぺぇ」


 そんな、珍妙な呻きと共に。

 死神グリムの。

 頚が。

 肩が。

 腕が

 胸が。

 腹が。

 腿が。

 脚が。

 ズズズズズ、と、重力に従い──静かにズレていく。

 その姿は、ハムか──はたまた達磨落としか。

 とにかく、そんな形状になって。

 死神グリム、と音を立てて床へ転がったのであった。


「…………こちら弖岸てぎし。目標死神グリムの駆逐、完了しました。これより現状況の鎮圧に移ります」


『こちら指令室。了解しました。対応中の全隊員に通達します──で、むすびちゃん。その…………状況の鎮圧って、何するつもり?』


「決まってんでしょ──この暴走特急を止めるのよ。セガールみたくね!」


『…………あの映画のラスト知らないでしょむすびちゃん…………いやそれはともかく! 止めるったってどうするの? 電車の操縦なんてむすびちゃん出来っこないでしょ』


「おやおや見くびってくれるじゃない垂香たるかちゃん。出来なきゃやるって言い出さないよ」


『え…………ええ!? 操縦出来るのむすびちゃん!? 冗談でしょ!?』


「いやいや、任してちょうだいな」


 操縦席の内部へとやや無理矢理に入り込み、座席に──運転手の肉片が少し邪魔だったが──座り。ドヤ顔を浮かべ、こう言った。


「『電車でGO!』はそこそこやり込んだから」


『……………………』


 数秒考えることを拒否した後。

 垂香たるかは叫んだ。


『ノーーーーーーーーッッ!!』






〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●

●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇






 ──その日の昼前。

 山手線の線路上にて、停車した暴走車両から、ようやく乗客が救助され始めていた。

 現場には救急隊員はもちろん、ちらほらと白衣の戦闘員──灰祓アルバの姿も見受けられる。


「怪我人から優先して降ろしてくださーい! 後は救急隊員の指示に従ってー!」


 そんな風に声を張り上げながら、むすびもまた線路上で救助活動に勤しんでいた。


「ふぅ…………これで一先ず怪我人はみんな降りたかな…………じゃ、次は子供とご老人をー!」


 そう叫びながら、自らもまた手早く乗客を線路上へと降ろしていく。


「はい、もう大丈夫だからねー…………ん。あなたは…………」


「おねえちゃん…………」


 目の前のその少女は、先刻車両内でむすびが命を救った少女だった。


「…………ごめんね、さっき怖い思いさせて。けど、もう大丈夫だから…………」


 そんな風に声をかけるむすびだったが、その少女は深い悲しみを浮かべた表情で──ただ一言だけ、呟いた。




「…………おかあさん、しんじゃったの?」




「………………っ」


 その言葉に。

 息を呑まざるを得なかった。


「…………………………ごめんね。ごめんね…………」


 むすびに返す言葉などある筈がなく。残された選択肢は──もう、謝罪の言葉だけ。


「ごめんね…………ごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね…………っ」


 しばし少女を抱き抱えたまま──むすびはひたすらに謝罪の言葉を繰り返し続ける。


「ごめん…………ごめんね。ごめん、ごめんなさい…………ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ…………」


「………………」


 少女は何の言葉も返さない。

 ただ、むすびに抱き締められるままだった。

 …………そして、その時間も直ぐに終わる。

 やがてむすびは少女を降ろし、救急隊員へと預ける。


「………………」


 深い──深い深い憂いを湛えた表情で、むすびは少女を見送る。

 見送ることしか、出来なかっ──


「…………おねえちゃん」


「…………っ」



 むすびはビクり、と身体を震わせる。

 救急隊員の腕の中で。

 少女は静かに──しかし確かに、むすびに向けての言葉を紡いだのだった。






「………………たすけてくれて、ありがとう」



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