6.痛
七月の陽は長い。
既に時刻は午後六時を回ったが、まだ家に帰る様子も見せずに駆け回る近所の子供たちが目に入る。
夕焼けに染まった集合団地の公園スペースに置かれたベンチにて、白髪の少年──
「………………」
風はない。
茜に染められた雲は流れることもなく、ただ浮かんでいるばかり。
錆が思うのは、言わずもがなあの少女の事。
昨日の渋谷での再演。
そして今日の様子を見る限り、あの少女は──
「──他の女の事考えてるー。浮気性なダーリンだなー。いけないんだー」
と、自らの背後から聞こえてきた声に、錆は心から嘆息した。
「…………その阿呆な呼び方は止めろっつったろ。阿婆擦れ」
「酷っっっ!? 永遠を誓い合った女性に対しその言葉はあんまりじゃないかなー!?」
容赦のない錆の言葉を受けて、その少女の姿をしたナニカはすっとんきょうな声を上げる。
「妄言をぬかすのも止めろ。んな記憶は一切ない」
「あーもーつれないなぁいけずだなぁ私の伴侶は。もうちょっとデレてくれてもいいんだよー?」
「くたばれ」
「さっきから罵倒しかないね!? 会話しようよかーいーわー!」
口を膨らませて不満げな言葉を漏らす彼女の姿は──錆と相反するように黒一色。
昨日、渋谷にて
「出来たばかりの後輩ちゃんを可愛がるのもいいけどさー? 私の事ももうちょっとかまってくれてもいいんじゃない?」
「お前に関わる事自体遠慮願いたいんだがなこっちは。碌な目に合わないのはわかりきってんだ」
「ほーんと冷たいんだからなぁ。釣った魚に餌をやるのは惜しいんだ? はー、みみっちいせせこましい」
──言いながらも、少女は背後から錆に抱きつき、身体にすり寄る。
その動きはまるで黒猫か──或いは毒蛇だろうか。
そんな少女を大して意にも介さず、錆は一瞬目だけを動かして辺りを見回した。
「安心していいよー。今日はあの子はお留守番。…………けど、たまには会ってあげてね? 甘えたがりな年頃なんだからさ」
「………………」
しばらく沈黙し、やがて錆は口を開いた。
「…………
「んふ♡ そーそー、ちゃんと名前で呼んでよねー。【
名前──
「自業自得だ、性悪が…………で、何を企んでるのかって訊いたんだが」
「さーてなんでしょーか? まあ私の大本命は揺るぎなく間違いなく錆だからぁ、他の
「昨日の一件。いくらお前でも、あんな風な無差別に多数を死なせるのは本来趣味じゃないだろ。風情も何も有ったもんじゃない。──となると、それを押してでも
「──
「………………」
錆はどこか気色ばんだ表情で沈黙し。
誘はますますその笑みを深めた。
「錆の事だしもう大方察してるじゃなーい? 昨日の
言いながらますます誘は錆にすり寄る──頬を擦り合わせる寸前までに。
そして、ただただ嗤う。
可笑しそうに。可笑しそうに。
──犯しそうに。侵しそうに。
「──は。てことは、上にいる
ベロリ。
と、そこまで錆が言った所で──誘が錆の頬を舐め上げた。
「…………ご明察。あの娘は貴方の──
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「立ち話もなんやし、中で話そらよ。ほら入ってー。ってウチの家ちゃうけどな」
朗らかな笑みを浮かべながら、赤毛の少女は土足のまま玄関の奥へと歩いていく。
「……………………」
一切の感情が消えた顔で、
やがて足元の母であった残骸が、夏の風に乗ってパラパラと塵と化して飛び散っていくのを見た後で──同じく家へと入っていった。
靴は、脱がなかった。
「………………」
廊下を抜けて、やがてリビングに出る。
そこにあったのはいつもの都雅家の夕食の様子だった──テレビにはプロ野球の中継が写っている。やったことなどないくせに父が決まって観るのだ。そして偉そうに選手のプレイや監督の采配などにあれこれ難癖をつけるのである。
弟はそんな父の意向により少年野球クラブに入団している──父は息子が野球が好きで、日々励んでいると思い込んでいるが、実のところ弟はそこまで野球に愛着を持っておらず、中学に上がったら卓球をやってみたいと言っていたのを亰は覚えていた。
「……………………」
その父と弟は、ここにはもういなかった。
ここどころか───もうこの世の何処にもいないようだった。
まず、父はご丁寧に首と四肢──つまりは五体が綺麗に離ればなれになっている。とどのつまりはバラバラ死体だ。胴体は椅子の上に何とか収まっていた。両腕は食卓の皿の横、ナイフとフォークよろしくに並んでいる。両脚はどうやらテーブルの下にあるらしい。そして頭はコロコロ転がったのか、ちょうどテレビの前に落ちていた。
弟はパッと見変わらずだ。ちゃんと席についており、首も四肢もついている。ただ正中線に従って、真っ直ぐに赤い線が引かれている。ただそれだけだった。
「お、ちょうど席二つ余ってるやん。ここすーわろっと」
そう言って、赤毛の少女は血に塗れた食卓に着席した。
…………亰がいつも座る席だった。
「………………あなた、誰ですか」
仕方なく残る一つ──母が普段座っていた席に腰を降ろし、亰は訊ねる。
「ん。他の連中には【
赤毛の少女──【
「じゃあ──あなたも、
「そらご覧の通り、やな」
クックック、と厭な含み笑いを【
「…………なん、で?」
「ん?」
「な、んで──あたしの家族、死なせたの」
「プッ!」
プハハハハハハ──と、もはや隠そうともせずに【
「なんでもなにもあらへんがな──人間死なすんは
「あな、たは──」
「それに、もうこれらはあんたの家族とちゃうしなぁ? わかっとるやろ?」
「──っ」
笑い嗤う【
罪悪感も、嫌悪感も、何一つ混ざっていなかった。
「人間には『死』が訪れる瞬間が二度ある──て聞いたことあるやろ?」
「…………一度目は、そのまま生命としての死を迎えた時。そして二度目は──」
「──残された人々に忘れ去られた時、てな。で、
「………………」
「だから、もうあんたの家族はおらん──友達もおらん。この先
「
もう。
もう誰も、
何故なら──都雅 亰は、もう、死んでしまっているのだから。
一個生命体としても、人々の中の
「まあ、完全に跡形も無くなったっちゅーワケでもない──写真だの名簿だのを見ればあんたが写ってたり書いてたりするのはあるやろな。けども、それを認識する人間はもうおらん。この家にはあんたの部屋なり持ちもんなりもあるやろうけれど、それがあんたのものなんやと理解できる人間は、もうおらん」
たとえどのような痕跡があったとしても──それが痕跡であると、都雅亰の生きた証だと理解できるものがいないのならば、それは無いのと同じなのだった。
「ま、それが
フン、と鼻を鳴らして、【
「…………それで? あたしに何の用があるって言うんですか?」
「お、よう訊いてくれたなぁ。まあ単刀直入に言うと、ウチらの仲間にならへんかーって話」
「…………仲間?」
「仲間っちゅーほどフランクではないかな? まあ互助会みたいなもんや。ウチもようは知らんけど、
「………………」
「渡りに船、とちゃうんかな? あんたには。どうせ行く当てもないし、やることもないやろ。なんなら
「クソ喰らえっ!!」
黒刃が振るわれ──そしてそれを紅刃が受け止める。
ギャリギャリと奏でられる不協和音──それこそが二名の
「あらら──何やろか。何か気に触る事でもゆった?」
心底から不思議そうに──【
「さぁて──なんででしょう、ねぇ!」
ギィン、と甲高く鳴った金属音と同時に、二人は距離をおいた──といっても、狭い屋内では有って無いような間合いであったが。
睨み合う二名の瞳は、既にどちらも不吉な杜若色に染め上げられている──
「ん、ん、んんー。あれ? ひょっとしてやけど、これらに対して? もうあんたに家族なんておらんてキッパリ言うた筈やけど──」
コツン、と乱雑に散らばった父の四肢を【
「いやそもそも──何処の誰が死んだころで、
「一緒にすんな死人ども」
「…………」
と。
そこでようやく──【
「人間だの
叫ぶ。
誰に向かって?
──世界に向かって。
「あんたらの人生が、あんたらの価値観がどんだけしょーもなかったかは知らないけど──あたしの思い出は、あっさりちゃっかり捨てられるもんじゃないんだ。」
お母さん──うるさくって、暖かかった。
お父さん──めんどくさくて、優しかった。
たとえ忘れられても。たとえ死んでしまっても。
忘れない。無くさない。失わない。
手放して──たまるものか。
「みんながあたしを忘れたのなら──あたしがあたしを忘れない。ちっぽけなあたしの、ちっぽけな十五年を、それでも守れるのは、もうあたしだけなんだから」
「──吠えるやないか、餓鬼が」
もう、赤い死神には、余裕も諧謔も残ってはいない。
有るのは明確な──苛立ちだった。
「知らんっつーのは罪なもんやで。あんたも数年ばかり迷えばすーぐわかるわ。
「わかるか。わかってたまるか、知ったこっちゃない」
吐き捨てる。
亰は心底からの侮蔑と共に宣言した。
「自分を自分で切り捨てた裏切りもん。そんなのとあたしはつるむ気は無いし──なにより許す気だって、無い!!」
黒き
「あたしの家族をバラバラにしてくれたお礼はたっぷり返す!! 乱切りにして鍋でコトコト煮込んでやるっての!!」
「──ハ、ええやろ。多少の反抗はむしろ想定内や。そうこんとなぁ。…………
紅き
「「──死ね」」
同時に零れたその呟きが
黒と紅の刃が再び──交錯した。
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