一章【轢かれ者の小唄】

1.χ




「なぁにその具体性に欠く話ー」


 都雅とが みやこがその話を初めて耳にした時のリアクションはそんなものだった。

 時刻は午後四時前。

 帰宅途中の学生達に埋め尽くされた駅前のドーナツチェーン店にて、二人の女子中学生が向かい合って席に座っている。

 一人は黒髪ショートの少女で、全体的に平凡な印象を受けるが、顔立ち自体は比較的整っている。

 もう一人は派手な金髪をポニーテールにまとめた、ギャル風の少女──年齢にしては随分とメリハリのある体形だった。


「やーやーやーやー! これはかなりのマジ話なんだってばミヤコ! ここ数年間体験談が世界中で頻出してんの! エンもユカリも無い地球の彼方の赤の他人達が、だよ? ただの偶然で済まされると思う? いいや済まされないっ!」


「反語…………」


 金髪少女の溌剌な声が響く一方、それを聞く黒髪少女──亰は実に気のない声で返す。

 その声色だけではなく、目線もやや白けたものになっていた。が、しかしそんなことはお構い無しとばかりに金髪少女は続ける。


「そりゃもう反語にもなるよー! ミヤコだって流石にただの偶然と断言は出来ないっしょ?」


「まあそだねー」


「だっしょー?」


「珍しい偶然もあったもんだねぇ」


「偶然はみんな珍しいもんでしょがぁっ!」


 スパーン、と小気味良い音を奏でて、黒髪少女──都雅亰の頭頂部を平手打ちが襲った。


「……ホンット好きだよねーむすび。そーいう都市伝説っていうか、フォークロアっていうか」


 と、さして気にも留めずそう続ける様子からするに、平手打ちは日常風景の一部でしかないようであったが。


「好きだよー、大っ好きだよー! いやけどこれは誰でもワクワクするってもんでしょ! 世界各地で語られる《死神》の目撃談! 次にその鎌が振るわれるのは──貴方の首元かも知れないっ! チャーンチャチャチャーン、チャッチャチャチャッチャカチャッチャン!」


「木曜日の特別番組かい。…………大体死神って。今日日死神って…………しかも日本で」


 亰はますます胡散臭げな表情になる。まあその話の内容からすれば妥当かも知れないが。


「だから世界中でなんだってば! なんでも──『気付いたら世界が変な光景になっていた。そしてそこに──巨大な鎌を担いだナニカがいて人を真っ二つにした』んだってええええええ!」


「いや…………だから具体性に欠けるってば。抽象的すぎ。まあ確かにいかにも都市伝説めいてるけどさ…………結が好きそう。けど、あのね。そういうのってあれだよ。人間の心理とかを上手く突いて、不安や妄想を煽ってるだけなんだよ。TVでやってたもん。えーっと、バーナム効果とか確証バイアスとかマーフィーの法則とか…………」


「もー! そういう萎える事言わないのー! 空気読みなよホントにもー! …………てかTVっ子なJCとかこのご時世に生存してたのね」


「てゆかさー、もっと他に話すことあるでしょうよー」


 付き合ってられなくなったのか、亰は話を変えようとした。


「話すことって…………何よそれ? …………あ!そっかそうかー。あれ、話忘れてたね」


「うんそうだよ、この──」


「進路。ミヤコはどうすんの?」


 ピタリ。と、今食べた新作ハニーチュロの感想を議論しようとしていた亰は凍り付いた。


「──あ、あー…………そうね。進路、進路ね…………」


「なんか聞きそびれてたよねー、お互いにさ。で? どこ受けんの?」


「うん…………いや、その…………ね」


「?」


 亰は不自然に目線をそこかしこへと泳がせ。

 結と呼ばれた少女は、そんな親友の姿を見て首を傾げる。


「ま、まだ…………その…………決めっ、て、ないといいますか…………えー…………」


「……………………」


 パチクリ。と金髪の少女──弖岸てぎし むすびが数度瞬きした。


「んんん? 今結ちゃん、なんか耳が遠くなったかな?」


「なってないです…………」


「…………ミヤコ。あんた今何年生よ」


「ちゅ、中学三年…………」


「今何月よ」


「七、月…………」


 返事をする度に亰の声は小さくなってゆき──心なしか身体も縮こまっているように見えた。


「決まってないなんて言ってられる時期とっくに過ぎてんでしょ」


「グサッ!!」


 と、擬音を口にして亰はテーブルへと突っ伏す。


「いやいや、んなギャグやってる暇無くね? もうすぐ夏休みだよ?」


「お、追い討ちしないでよ! わかってるから! ヤバいって! 自分で!」


「いっや…………わかってたら、んな有り様にはならないでしょうよ」


「ぐぅ…………じゃ、じゃあ結はどうなのさ!? 進路、決めてんの!?」


 亰は反撃とばかりに結へ食ってかかるが。


「決めてるけど」


「馬鹿にゃっ!?」


 あえなく返す刀で一刀両断にされるのだった。


「いや、決めてるのが当たり前の時期だってばだから…………」


 愕然とした表情を浮かべる亰を見てクツクツと苦笑し、アイスロイヤルミルクティーを啜る結。


「ななな何で!? どこ? どうやって決めたのっ!?」


「いやほら、あそこだよ、銀泉高校…………」


「ギッ、銀泉!? なんで、なんで、なんでぇ!?」


 銀泉高校は設立間もないが、かなりの偏差値を誇る高校だ。学校設備は言わずもがな新しく整っており、そういった面でも競争が激しい。


「いや、大した理由じゃないんだけどさ…………えっとね、ワタシ記者目指してるんだ」


「汽車!?」


「記者ね。雑誌記者。念の為言っとくけど」


 そんな注釈も耳に入らない様子で、泡を食って亰は矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。


「じゃ、ジャーナリスト? マスゴミ? パパラッチ?」


「はぁいそれ職業差別用語ー! …………ったく。ま、つまりはそゆこと。銀泉目指すのは、取り敢えずこの御時世でジャーナリスト目指すなら学歴はいるし、銀泉だと色々と調べものとかも捗りそうだし…………とか、まあそんなもんだよ」


「へ、へー…………そうなんだ。ゆ、夢に向かって前進してるんだね…………」


 俯きながら、まるで絞り出したかのような声でそう言った亰に対し。


「いや、夢って程大したもんじゃないって!単なる目標でしょ。誰でも持ってる程度のさ」


 と、結はなんということもなさそうに答える。


「そ、そう、かなぁ…………」


「……………………」


「……………………」


 それきり、二人の間には沈黙が流れた。

 結は亰に対して「亰は目標あるの?」と問う事も無ければ、「亰なら目標ぐらいすぐ見つかるって!」と励ます事も無い。

 それがこの二人の、十年間近い時をかけて築き上げてきた、距離感。

 だが。

 亰の方は親友の気遣いに対して、感謝も引け目も感じる事無く──どころかそもそもそんな気遣いを察する事さえ出来ず。ほぼ放心状態で席に座っていた。


──親友は、目標に向かって毎日を生きている。


 その事実が何故だかとてつもない衝撃を伴って──亰の心中を揺さぶったからである。






◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






 帰り道。


「ハァ……………………」


とぼとぼと都雅亰は夕暮れの中を歩く。

世話しなく人々が行き交う雑踏。その喧騒の最中にいながらにして、亰は静寂の中でしゃがみこんでいる気分になった。


(進路…………)


わからない。


(目標…………)


わからない。


(………………………………夢?)


 わかりっこない。

 なんじゃいそりゃあ?

 何処の国の言葉だ。


(………………ジャパーン)


 それは知ってる。


(まさか…………よりによって結が…………あんなにはっきりとしたビジョンを持って生きていただなんて…………)


 嫉妬。

 の、ワケもない。

 これは──


(──みみっちい劣等感)


 うん、これはわかる。

 間違いない。


(結は…………これから、勉強頑張るんだろうな。夏期講習とか、行くのかな)


 何にせよ、努力はするに違いない。

 『ま、何にせよまずはミヤコにテストの点で勝ってからだよね~』と帰り際笑っていたのだから。


(…………言ってるうちに追い越されるんだろうな)


 親友はやるときはやるヤツだ──否、やりたい時は何が何でもやり遂げるヤツだ。

 こう見えて、そういう亰の成績は良い。

 これまで学年順位では常にそこそこの上位をキープしてきた。


(──その『そこそこ』って部分が、きっとあたしの限界…………ていうか、底の浅さだ)


 結局、本気で一生懸命に学生の本分に励んでいるような生徒に勝った事は一度だって無いと断言出来る。

 悲しいことに。

 断言出来てしまう。

 ちなみに、結はいつも平均点前後だったが──言われてみれば、三年に上がってからは結構変わってた気がする。点数はもちろん、早弁居眠りサボりも見ていないような──


(ってなにさ、って)


 よくもまあヌケヌケと親友を名乗れるものだ──思い返せば一目瞭然じゃあないか。


(適当、中途半端、優柔不断──)


 色々と出てくるが、要するに。


(つまらない人間ってヤツなのだ、あたしは──)


 面白いと思える事が見つからないのは、自分自身がつまらない人間だから。

 と、何かで聞いた気がする。


(夢、夢、夢──)


 と、言うのは失礼なのだろう──きっと。

 親友の目にはその目標は紛れもない現実リアルとして映っている筈なのだから。


(…………まあ、当然だよね。夢が叶う筈もない──現実だから叶えられるんだ)


 よく世間一般でいう『夢を叶えた人達』が、インタビューなんかで「子供の頃からの夢が叶いました!」なんて言ってるけど──亰はそれを聞く度思っていた。


(──嘘吐けぃ!!)


というよりは、謙遜するな。だろうか。


(あんた達は夢なんか追っかけちゃいなかったでしょ──現実に立ち向かってたんでしょ!!)


 まあ単純な話。

 ポピュラーなものなら甲子園出場だとか、プロ野球選手やらメジャーリーガーやら…………まあなんにせよ、彼等は別にただ夢を見てたからそうなれた、なんてワケではあるまい。

 日々白球を追いかけ、バットを振り、走り込み──そんな血の滲むような『現実』をコツコツと乗り越えて、そうなった筈だ。

 人間、出来る事しか出来ないんだから。

 それをスッ飛ばして『夢が叶いました!』ってのはどうも釈然としない。


(なんて、客観視ぶった口を利けるのは)


(つまり、それだけあたしが現実を見ていないって事なんだろうなぁ)


「ハァ…………」


また溜め息。

吐いた後、辺りを見渡す。


「……………………」


 数え切れない人々が、歩いていた。

 そこは俗にいう、スクランブル交差点。

 騒音にも気付かない程度には、考え込んでしまっていたらしい。


(渋谷駅前…………)


いつの間にか、こんなとこまで歩いてきていたらしかった。


(ミスったな…………ここまで来て今更電車使うのもなんか損した気分。あー…………まあ良いや、もう今日は歩いて帰ろ)


 母にスマフォでメッセージを送り、何となしにオーロラビジョンの街頭放送に目を向ける。

 無表情なニュースキャスターがいつも通りに誰かの不幸を吹聴していた。


(ご苦労様で)


 素直にそう思う。

 と、そこで──


『あの忌まわしい惨劇から、丁度五年もの月日が経ちました──』


(あ…………)


 切り替わった街頭放送の映像。

 そこに映されていたのは──正に今、亰自身が立っている場所だった。

 スクランブル交差点、である。


『あの、渋谷大量変死事件が起こったのは──』


「…………五年も経つんだ。もう」


 率直な感想だった。


 ──『渋谷大量変死事件』。


 五年前に起こった、謎の事件である。

 一体何が起こったのか?

 それは五年の月日が過ぎた現在も判明していないらしい。

 ただ、そこには一つの事実があった。

 その日その瞬間、渋谷駅周辺にいた多くの人々。

 その全てが──

 死んだ。死んだ。死んだのだ、そりゃあもう文字通りに。

 パッタリと。

 息を引き取った。

 世間に公表されているのは、それだけだった。


(奇々怪々──どころじゃないよね)


 凄まじい数の人々が紛れもなく死んだ。

 大都市東京の中心部で。

 考えるまでもなく、大事件だ。

 亰もそう思った。


 ──としては。

 それ以外に言う言葉が見つからなかった。


「……………………」


 そう。

 亰はその事件を目撃した──或いは。

 とさえ、言えるのかもしれない。

 何故なら。

 事件の被害者──という大雑把極まる範囲内で死んだ人々。

 しかしそれらは確かな限定的範囲できっちり区切られていたらしい。

 同心円状に、プツリと。

 まるで糸の切れた操り人形の如くに、人間が崩れ落ちて、それが広がっていくいくあの様を──亰は忘れられない。

 忘れる気も起きなかった。

 巨大な津波のように自らに迫ってきた死という絶望──絶対的な終わり。

 それは亰の鼻先まで迫り。

 止まった。

 ──とどのつまり、その死亡範囲は。

 丁度、当時十歳の亰の目前ギリギリまでだった。

 目の前に立っていた亰とそう変わらない──どころか少し年下にも見える少年がと地面に転がり。

 その地点で事件は収束したのだった。


(怖かったなー)


 と、それで済ませられる自分は図太いヤツなのだろうか? 冷たいヤツなのだろうか? ズレているのだろうか? 壊れているのだろうか?

 …………きっと、そういうワケでもないのだろう。

 だって、この渋谷駅前にはご覧の通りに、五年前となんら変わらない数の人々が往き来しているのだから。


「…………当然だろうけどね」


 五年。

 長い時間だ。素直にそう思った。そりゃあ亰にとって自分の人生の三分の一もの時間なのだから、長く感じない筈もない。

 そうでなくともきっと長いといっていい時間だ。更に大きな災害──地震だの台風だの──が起こっていたとしても、人々が多少なりとも立ち上がるには十分な時間だろう。どころかこの事件では物的損害は殆どなかったのだから。

 立ち直れるだろう。

 人間は──そこまで弱くない。

 そう、信じたいものだ。


「立ち直ったんじゃなくて…………単に、忘れただけかも知れないけれどね」


 スクランブル交差点を渡りきり、再び辺りを見回してみる。

 当然、何も変わらない人々がそこにいる。


「……………………」


 一人も。

 ただの一人も、かつてそこに夥しい数の死体の山が出来ていたなどと考えながら歩いてはいないのだろう。

 当然だ、そんな事に意味はない。

 そんな事を言い出したら世界中何処だって、何かの事件か災害かが起きていた場所だろうし、誰かしらが死んでいった場所だろう。

 それでも。


 (もう一度が起きたらどうしよう──なんて考えないのかな?)


 考えないに決まっている。

 他ならぬ亰自身、これっぽっちも考えていない。

 それでも。


(怖がらないって、怖いなあ)


 そんな事を考えてしまう。


(みんな──誰も自分が死ぬことなんて考えてない。いつか自分に必ず訪れる筈のその時を、これっぽっちも考えていない)


 考えていないから──怖れてさえいない。

 なら。

 なら、なら、なら。


(みんな、『死にたくない』だなんて──思ってるワケない。考えてるワケない)


 死にたくない。って思ってない。

 ならそれは──


(生きたい、とも思ってないって事なんじゃないかな)


 それもその通りだろう。

 呼吸したい、と思いながら息をする人がそうそういないように。

 生きたい、と思いながら生きる人だってそうそういるとは思えない。


 なら。

 なら。なら。なら。

 なら。なら。なら。なら。なら。

 ならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならならなら!!!!!!














 本当は、みんな







 死にたいって、思ってるんじゃない?














 そこまで考えて、その少女は。

 来年の事も碌に考えていない自分を完全に棚に上げ。

 特に深い思慮もなしに。

 かなり投げやりに。

 極めてぞんざいに。

 殆ど適当に。






 うっかり、溜め息と間違えて。






 その一言を、口にした。














「…………みんな、死んじゃえばいいのに」



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