第二章

プロローグ 2 異端の頂点

 気高き龍の姿が彫刻された巨大な石柱を左右に構え、石柱に埋め込まれた魔石の発する光で中央の石畳の廊下をぼんやりと照らす。


 その廊下の床を、靴の踵で叩く音が響く。その足音は迷いなく目的の場所へと進んで行く。


 全身を覆う真っ黒なローブ。真っ赤な紋章は龍の強大さを示すかのように、力強く翼を羽ばたかせた姿をあしらっている。


 足音が鳴り止む。


 目の前を閉ざす両開きの扉は大きく荘厳。扉中央に埋め込まれた魔石は、永遠の光を放つような宝玉。その宝玉を守護するように、向かい合わせの龍の彫刻が、鋭い爪を携えた片手でその宝玉を掴んでいる。まるでその宝玉にに触れようとする者があるならば、動き出し死に至らしめる。その彫刻は命の脈動を生々しく浮き上がらせていた。


 左の龍の彫刻の腕が関節を軸にゆっくりと動き出す。宝玉から離れた龍の腕が動きを止めると、扉は左右に開き出し、閉じられていた部屋へと空気が流れ込む。


 吹き抜けの天井を支える左右の石柱は見上げなければ先を見ることができない。天へと登る龍の姿が彫刻され、支柱に埋め込まれた魔石の光がその広間を照らしていた。


 中央には赤い絨毯。その絨毯は主人のいない広間より数段高い位置に据えられた金の玉座へと伸びていた。

 赤い龍が翼を広げて羽ばたく姿を、金の糸で豪奢に刺繍されたタペストリーが玉座背後で悠然とその存在を放っている。それはまるで、王を象徴するかのようだった。


 王の帰りを待ち玉座を守るかのように、赤い絨毯から右へ逸れた場所に木製の椅子に座る一つの影。纏う黒のローブは、翼をはためかせた赤き龍をあしらっている。首から下げた銀色のネックレス、そのヘッド部分に銀色の龍の頭を型どっている。それはこの組織の頭首を示す物であり、龍への最大の敬意を表すものであった。


 その者の元へ向かうもう一人のローブ姿。椅子に座る男の前で片膝をつき、深くこうべを垂れた。


「教主様、ただいま戻りました」

「ああ、ご苦労だったね。で、どうだった?」


 優しく労うように声をかけた。その言葉に少しだけ肩を震わせ、ことの経緯を伝えた。


「はい、お誘い申し上げたのですが、邪魔が入りまして……」

「そうか、まあ『雷姫』かな? 君だと相性が悪い相手だね。正しい判断だよ」

 

 教主は椅子の肘掛けに肘をつき、足を組み替えた。教主の一つ一つの仕草に、片膝をついたローブ姿はビクリと肩を震わせる。この者に与えられた仕事は一つ。その一つを成し遂げられなかった失態は、いかなる処罰を免れることはできないほど大きな責任を伴っている。教主の声からはその心情を悟ることは叶わないが、いつ命を奪われてもおかしくはない。その状況に身を置くことは例えようもない恐怖が襲う。頰を伝う一筋の汗。恐れながらも、事実を伝えることが宿命。起きたことをありのまま伝える義務があった。


「……それともう一つご報告が」

「なんだい?」

「魔境(マル・ムンドゥス)が動き始めたようです。」


 教主はゆっくりと立ち上がる。広間をゆっくりと歩き出し、据え付けられた窓から外を眺めた。教主はことの成り行きに、大きくため息を漏らす。動き出した一つの闇。その事実が彼の肩へと大きくのし掛かる。いずれ動き出すということはわかっていた。だがことを仕損じる前にこちらも計画を実行すべだと考えがいたる。教主は振り返り、その声に少し焦りの色を混じらせた。


「それはいけないね。早々に手を打つ必要があるみたいだ。ちゃんと始末をしたんだね?」

「もちろんです。肉片一つ残しておりません」

「ふふっ、案外君も残酷なんだね。まあ、とにかく計画を前倒しして動き出す必要があるようだね。頼めるかな?」

「はい、すぐに準備を」


 そう言って立ち上がり、教主へと一礼する。まだ安堵するわけにはいかない。教徒たちは教主の前では絶対に気を緩めることは許されなかった。こうして直接顔をあわせることができる幹部級の教徒でさえ、教主の真の正体を知るものはない。本人の能力も未知数だが、彼から放たれる独特のオーラはどんなものも背筋を凍らせざるを得ないほどの威圧感を放っている。彼と空間をともにすることは、自らの首筋に刃を当てられていることを意味していた。そこからの解放は死の淵からの解放を意味する。此度与えられた任を全うできなかったその失態。その失態を拭うべく、決意の色をその瞳に宿した時だった。


「あ、そうそう。ひとつ聞き忘れていたことがあるんだね」


 瞬間背筋をピンと伸ばし、勢いよく振り向き跪く。教主の足音が近づいている。先ほど引いたはずの冷たい汗が再び頰を伝い始めた。何か無礼を働いただろうか? 思考を巡らせるが一つの答えしか導き出せない。失態を犯したことへの罰、そして死。それ以外に何があろうか? 覚悟を決め、それを受け入れようとした。目の前で止まる足音そして聞こえる呼吸。すべてが終わる、そう直感した。


「……『鍵』はどうだった?」


 待ち受けていたものは罰でも死でもない。教主が口にした憂いを帯びたその言葉が鼓膜へと伝わり、瞬時に緊張が解けていく。教主の向ける関心は罰でも死でもなない。教団の『悲願』の要ん一つである。与えられた任は果たすことはできなかった。だが見て聞いた情報を伝えることもまた、与えられた任。ありのままを偽りなく伝えることも、教団の一教徒としての役割だ。


「……恐らくはまだ。時間がかかるかと」


 教主は顎に手を当て、大きくため息をつく。一時の間、静寂が二人の間を通り抜けていく。教主は顎から手を離した。


「ターニングポイントが必要なようだね」


 教主の言葉に挽回の機会を見出し、伏せていた顔をあげ、声高に言った。鍵の役割を果たすためにはこれ以上の考えはない、そう確信を込めて。


「私に考えがございます」

「そう? 聞かせてくれるかな?」

「かしこまりました」


 その考えを聞き漏らさぬよう、教主は耳を傾けた。つぶさに説明を受け、教主はニヤリとその口の端を釣り上げる。


「うん。それじゃあ、頼んだよ」


 扉はゆっくりと閉まり、広間には教主が一人。教主は金の玉座へと向かい、視線をその玉座へと向ける。最大限の結果を得るには、それ相応のリスクが必要となる。そんなことはわかりきったことである。だがすでに最大のリスクを払い、この教団を立ち上げた教主にとっては、提案されたものはちっぽけなものにしか見えない。自分の抱えたリスクと比べれば大したことがないもの。それゆえ確信する。必ずうまくいくだろうと。


「必要不可欠な存在なんだね。《龍の恩寵(アドラシオン)》の悲願達成のためには絶対にね」

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