第11話 予兆

 晴れた濃霧。


 割れた海。


 空を覆い尽くす雷雲に一筋の光が差し込む。


 舞台中央を照らすスポットライトのように、白銀のフルプレートを美しく輝かせる。


 膝をつき、地面につき刺さった両刃の大剣を片手で掴み、美しい女性をその腕に抱える姿は、さながら一国の姫を救った勇姿。


 人類を絶望から救い出し、希望の光を取り戻した英雄。


 再び顕現した初代勇者のその姿は、誰もが見紛うことはない。

 

 ただ一つ、そのヘルムの下にあるその瞳は戸惑い、揺れていた。


『主よ、もしや……』


 剣が語りかけるが、誠の耳には届かない。

 

 力を受け入れたつもりはない。否、頼るしかなかった。ただ憎み続けたその存在の力を。

 しかし、その力を行使しようとした途端、誠の体を蝕むように魔力を食い尽くそうとする。


「--なんだよ、これっ……」


 初めて魔力を消費する感覚が誠の体の中を駆け巡る。しかし、そんな誠でも明らかな異常を感じていた。


 剣を握るその手から伝わる熱。

 体の中の何かが、深くえぐるように削ぎ取られていく。

 圧倒的な燃費の悪さ。魔力消費による苦痛。それでもただ歯を喰いしばるしかない。

 

 この瞬間を繋いだ、腕の中で眠るテラスの決死の覚悟を無駄にすることはできない。

 

 テラスをそっと横たえる。目をつぶり、小さく息をするの彼女はどこか安心しきっていた。


 実は剣を掴む手に力を込めて、深く握り込む。

 スラリと砂浜から大剣を引き抜く音がなる。

 

 手から伝わる剣の重量。

 ただの重さではない。

 

 人類を守り抜くためのその責務の重さが伝わってくる。


 誠は伝わる重さの他にも感じ取ることができるものがあった。ただそれがなんなのかはわからない。しかし、頻りに脳の中へと語りかけてくるようだ。


 そんなことは今はどうでも良い。ただ今は……

 

 --ただ今は、この力を受け入れる!


『承知した』


 誠の意思を確認した『白雷』は了承する。決意を胸に、誠はその大剣を両手で構え、剣、鎧からは常に小さく放電している。

 

 瞳の中心に捉えるのはリヴァイアサン。


 体の節々がまだ軋むようだ。

 体が震える。それでもいい。トラウマなんて乗り越えてやる。


 死生決断。誠はゆっくりと歩き出す。自然と足はリヴァイアサンへと向かって駆け出していった。


『目標捕捉。駿雷(しゅんらい)』


 ヘルム越しに見えていたリヴァイアサンの姿が、いつのまにか目の前にあった。


「は?」


 誠の頭は突如飛び込んだ情報を処理することができなかった。リヴァイアサンとの距離は50メートル以上あったはずだ。数歩駆けただけだ。


 『白雷』の声が聞こえた時、目の前に飛び込んだのはリヴァイアサンの姿。


 『白雷』は戸惑う誠に呆れるような声をかける。


『何をしている。我を構えよ』


 リヴァイアサンは誠の姿を捉えるや否や、誠を噛み砕かんと鋭い牙を携えたその口を大きく開く。


「……っ! うわぁぁぁぁ!」


 迫り来る牙。

 誠は咄嗟に上段に『白雷』を構え、寸前でリヴァイアサンの牙を防ぐ。頬をかすめた牙によって誠の頰からは血が伝う。


 安心することはできない。ギリギリとリヴァイアサンの顎は誠を噛み砕かんとする


『ふむ、やるではないか』


「この……野郎っ!」


 『白雷』の語りかけてくる言葉が無性に腹がたつ。何か人を小馬鹿にしたような語り口調は、誠の堪忍袋の緒にちょっとずつ切り込みを入れているようだった。


 押しつぶされそうになる体をなんとか支える誠。だが、次なる脅威がすぐ目の前に差し迫る。


 リヴァイアサンの喉の奥に収束す魔力。それはテラスへと放ったものと同様の強大な水のブレスだと予感する。


「……っ! なんとかならないのか?」


『ふむ、所詮『ニセモノ」か』


「っ!! 一体なんなんだよ!」


 誠はついに怒りを露わにする。


『ふむ、それでいい』


 『白雷』は雷を放ち、リヴァイアサンの口をこじ開ける。リヴァイアサンは放たれた雷によって与えられた痛みに声をあげ、空を仰ぎ、収束していた魔力が空に放出され雲を切る。


 不完全なリヴァイアサンの水のブレスは、魔力の揺らめきとなって空を赤く染める爆裂となった。


 リヴァイアサンの口から解放された誠は海へと落下していく。


『……主よ、まさか魔力を使ったことがないのか?』


「……っ! うるさい! 今やってるよ!」


 誠は意識を集中する。幾度と血を流し、どんなに努力しても使うことができなかった魔力が応えてくれようとしてくれている。握り締めれば感じる、魔力の声。


 だが『違和感』が不意に訪れる。


「あれ? 何か……」


 今ままで感じたことがないような魔力。まるで魔力そのものが入れ替わったかのような感覚が誠に『違和感』をもたらした。


『……主よ、集中せよ』

 

 『白雷』の言葉は誠の感じる『違和感』を誤魔化すかのように声をかけた。その声に、誠は抱いた疑念を振り払い思い直す。

 これこそ顕現させようとした力であると。


 たとえそれが仮初めの力であったとしても、力尽きたとしても、紡いだ命(テラス)を、そして唯一の家族である義妹を守り抜く。


 思い出せ! 何のために努力してきたのかを!

 解き放て! 憎み続けたこの力を!!


 魔力は徐々に、誠の意識に反応を示していく。握り締めれば雷が応え魔力が溢れ出る。同時に決壊した石垣から水が勢いよく放出されるような量の魔力が放出されていく。苦痛に顔を歪めながらも、誠は次第に自分の胸が熱くなるのを感じていた。


 勇者の取り戻した希望の光。自らがその光の源となりて、再び人類の栄光を取り戻す!

 そんな思い上がりのような気持ちが誠の中に芽生えた瞬間でもあった。

 

『ふむ、さすが『初代』の魔力』


 『白雷』は誠の手から伝わる魔力に懐かしさを感じさせる声色でそう言った。

 

『■■■■■■■■■■■!』

 

 リヴァイアサンは突如、鼓膜を劈くような声を上げる。

 受けた雷撃、魔力の脅威。『初代勇者』の生まれ変わりともいうべき存在がリヴァイアサンに危機感を与えたのか、水面が波沸き立ち始める。

 

 落下する誠めがけて飛び込んでくるその姿は魚竜のティブロン達。再び誠の胴を食いちぎらんと、鋭い牙を携えた大顎を、これでもかと大きく開いた。


 迫り来る牙。誠はその動きを冷静さを保ちつつティブロンの位置を確認する。冷静さを保つことで誠はティブロンの内に赤い光が見ルことができた。


 それはまるでテラスの『炎帝の使い(イフリート)』と戦った時のように、そこを貫けばその命を絶つことができると予感した。


 誠はぐるりと迫り来るティブロンを見渡し、『白雷』を一匹のティブロンへと構え直す。誠は半信半疑ながらも何処か確信めいたものを得て、柄を握る手で優しく握り込む。誠のその様子に『白雷』は誠へと語りかけた。


『ふむ、やはり『龍核』が見えているのか』


 誠の耳には聞こえているものの、反応は示さない。集中力の高まりは最高潮に達していた。誠の目にはティブロン達の『龍核』の位置が、はっきりとその瞳の中心に映し出されていた。


「『白雷』、空中を駆けることができるのか?」


『ふむ、それは『空を飛ぶ』ということか?』


「いや、空を蹴り出すだけでいい」


『無論だ』


 意図せずして誠の足に魔力が流れていくのがわかる。『白雷』から伝わる魔力のコントロールする信号が体の中を巡っていき、それは次第に感覚として誠の体へと刻まれていく。その代わり誠の魔力は切り分けられるかのように魔力を削ぎ落とされた。


『ふむ、少しずつ我が教えてやろう、『初代』の魔力の使い方を。さあ、蹴り出せ、『空雷』』


 誠は空を蹴り出した。円形の魔法陣が足元に展開された。

 確かにある感触。踏み出せば、大地を駆けることができる魔力の足場。

 誠は足を踏みしめ、空を蹴る。


「うおぉぉぉぉ!」


 ティブロンの開けた大きな口を真正面から向かい入れる。未だに加減の分からい魔力を『白雷』にまとわせて刺突を放つ。

 

 剣が肉を割いていく感触が手に伝わる。奥へ奥へと突き進んだその先に到達する別の感触。

 誠はティブロンの命を形成する核を貫いたのだ。


 誠は勢いよく引き抜き、背後から迫り来る別のティブロンへとその剣を突き立てる。


『駆けよ!』


 『白雷』の言葉と同時に水を得た魚のごとく、空を連続で蹴り出し、駆けていく。誠の足元には水面に広がる波紋のように魔法陣が出ては広がり消えていく。


 魔力を使うことができない代わりに鍛え上げた剣聖のごとき剣術。それを魔力とを同時に使うことで、芽吹いた力が一気に誠の持つポテンシャルを引き上げていく。


『ふむ、『初代』と同等、いやそれ以上か』


 次々とティブロンの『龍核』を切り裂いていく誠の姿に、初めて『白雷』が賞賛の言葉を送る。


『ふむ、だが魔力の扱いは素人以下のようだ』


 一言余計だと心の中で感じながらも、迫り来るティブロンを切り倒していく誠。


 そして、再び感じる魔力の収束。

 忘れたわけではない。海の王が再び大きな口を開けて誠めがけて、高密度に圧縮した水のブレスを穿つ。


 迫り来る水のブレスは一直線に誠へ向かってくるが、誠は再びその姿をリヴァイアサンの目の前へと現わせる。


『ふむ、駿雷(しゅんらい)をも使いこなすか』

 

 見よう見まねで勇者の力を使ってみたが案外うまくいくものだと誠は感じた。だが、魔力を使うたびに失われそうになる意識。それでも歯を喰いしばり、リヴァイアサンを見据える。


 顕現したばかりの『勇者の力』がどこまでリヴァイアサンに通用するか分からない。

 生まれて初めて使う魔力のコントロールなど分からない。

 託された想いなど分からない。

 

 だがこれだけは分かる!

 

 今は持てる限りの魔力をその剣に宿してぶつけるのみ!


 『白雷』は誠の強い思いを感じ取る。  


『主よ、我が名を叫べ! 放てその魔力を! 我は龍を穿つ刃となろう!』


 誠は『白雷』にありったけの魔力を込める。

 誠の頭にはどう構えればいいのか鮮明にイメージ浮かぶ。

 掴んだ柄を逆手に構え直し、投擲の構えを取る。

 剣に刻まれた詠唱印(イディオマ)の一部が発光し、その形を槍の姿へと可変する。標的はリヴァイアサンの長い胴に見える赤く光る『龍核』。


「白雷!!!」


 激しく雷を放電し続ける雷槍と化した『白雷』をその手から解き放つ。


 しかし、誠の目に飛び込む一つの異変。その異変に思わず声をあげた誠。


「はっ」


 水のブレスが途切れ、リヴァイアサンはゆっくりと誠の方へとその顔を向ける。


 リヴァイアサンの目と誠の目が重なり合った時、海龍王の瞳は悲しみに震えているように見えた。


「っ! なん……だ?」


『!! 主よ! 集中せよ!』


 苦しさが胸を締め付け、顔を歪ませる。

 振り抜かれた勢いは止めることができず、誠の手を離れていく。


 一閃の光は轟き、海の王の鱗を突き破り、その肉を斬り裂いた。しかし、『龍核』から大きく逸れてしまった。


『■■■■■■■■■■■■■!!!』


 痛みに声をあげるリヴァイアサン。倒れいく巨体が海面を叩き、大きな水しぶきとなる。その衝撃が割れた海を再び一つにしようと、海の壁が徐々に崩れだし、横たえていたテラスに降りかからんとしていた。


「テラスさん!!」


 瞬時に『駿雷』を使い、誠はテラスを両手で抱えあげる。まだ気を失った状態の彼女を抱きとめて、海に飲み込まれずに済んだ孤島の小高い丘にその足をつく。


「……っう!」


 魔力コントロールがまだうまくできない誠。襲い来る大きな倦怠感によって誠は目眩を起こした。過剰な魔力を消費し続けた余波が誠の膝を地につける。

 だが、誠は残心。苦痛のうめき声をあげるリヴァイアサンから目を離さない。

 と、同時に白銀の魔装が再び小さな六角形へと分裂し、誠の体から剥がれて白銀の鎧が消える。

 

『下手くそめ。土壇場で外すとは』

 

 投擲し、彼方へと飛んで行ったはずの『白雷』が突如誠の隣へと現れ、地面へと突き刺さった。『白雷』は辛辣な言葉をかけるものの、誠にそのような余裕はなかった。


「まだ……倒れるわけには……」


 『白雷』が戻ったとしても誠に止めを刺す余力はすでになかった。だだ漏れ状態の魔力はほぼ底をつき、自然と瞼が落ちようとしているが、誠はそれにあらがう。


 しかし、変化は訪れた。

『白雷』によってリヴァイアサンの体に開いた風穴は、端の方からその肉を盛り上がらせ、その穴を塞ごうとしていた。


 リヴァイアサンに魔原子が収束していくのがわかる。その証拠に、濃霧がリヴァイアサンを包み込んでいく。絶望の文字が誠の頭をよぎり、目はその色に染まり揺れていた。


 そんな目の中に飛び込んできた不可解な光景。誠は目を凝らし、開花した『勇者の力』の一つ、千里眼ごとき視力で霧の中を見た。


 水面をスキップする人影。何かを探すかのように、弾む足取りを止めては、しきりにキョロキョロと辺りを見回す。


 そして影は濃霧から姿を現す。


 全身を覆う真っ黒なローブ。真っ赤な紋章は龍をあしらい、龍の強大さを示すかのような力強く翼を羽ばたかせた姿を写し取っている。


 顔を覆い隠すように被られたフードによってそのその顔を見ることはできない。


 謎の人物は再び辺りをキョロキョロと見回し、誠たちの存在に気づいたのか、ひたいに手のひらをあて、背伸びするかのように孤島の丘の上にいる誠たちの様子を見つめる。目的のものが見つかったかのようにうなづくと、姿が消える。そのローブをまとった人物がいたところは水が一雫落ち、水面に広がる波紋は現れて消えていった。


 その一瞬の出来事に誠は呆気にとられる。すると、誠たちのいるすぐそばで、湧水のごとく水が溢れ出す。それはやがて水柱となり、人の姿となって現れた。


 先ほどまで水面を歩いていた真っ黒のローブをまとった人物が誠たちの目の前に現れたのだった。


『あなた? 我らが偉大なる海龍王様にひどいことしたのは』


 その声は、何かの膜に向かって話しているような声で、震えており、男か女か判断できない。真っ黒なローブもゆったりとした作りになっており、体のラインからも判断する事は不可能のようだ。


 誠の体はすでにテラスと自分の体を支える事で精一杯だった。敵か味方かわからない黒のローブ姿の人物をただ見つめ返すことしかできない。


『別にあなたを殺そうなんて思っていない。ただ……『教主様』がもし『ニセモノ勇者様』がいらっしゃったら伝えてくれって言われたから』

 

 口調からも男女の区別は難しい。誠はその人物の言葉に耳を傾ける。


『「あなたの『力』は龍の恩寵(アドラシオン)にこそふさわしい。我らの元へ」とのこと』


 真っ黒のローブの人物は誠に向かってゆっくりとその手を差し伸べる


『さぁ』


 誠は差し出された手に、言うにいえない魅力を感じていた。頭の中では警鐘が鳴り響いているが、その音はどこか遠くで鳴り響くようでまるで聞こえていない。魔力を消耗し尽くした体、瞼が落ちるのを必死に我慢していた誠の頭は判断を鈍らせる。まるで自分の意思とは無関係にその手をゆっくりと取ろうとした時だった。


 誠とローブをまとった人物の間に稲妻が疾る。ローブの人物は後ろへと跳躍し、その稲妻を躱すも、ローブの一部が焦げてしまっていた。


 金色の体毛、美しい鱗に覆われ、龍のような顔に一角のツノが天をつく。天空から稲妻とともに駆け下りてくるのは神話の獣--麒麟。


 それにまたがるは、美しい金髪をたなびかせた高嶺薫。薫は真っ黒のローブを纏う人物に向けて鋭い目つきで相手を威圧する。


「うちの生徒に手を出そうとはいい度胸ね、覚悟はできているのかしら?」


 十文字鎌槍の矛先をローブ姿の人物へと突き出し、胆を冷やすような低い声で薫は言った。

 謎の人物は薫の登場に驚きの声を漏らすも、余裕のある声で言った。


『ふふ、まさか『雷姫』がご登場とは……少々厄介ですね』


 謎の人物はフードの下で不敵な笑みを浮かべる。


「漆黒のローブに赤き龍の紋章……あなた『龍の恩寵(アドラシオン)』の人間ね』


 薫はの目は一層警戒の色を強めた。握る十文字鎌槍手に力がこもる。


『ふふ、さあどうでしょう……私はそちらにいらっしゃる『ニセモノ勇者様』に用があったのだけど、『鍵』はまだ役目を果たせていないようですし……。海龍王もお目覚めですのでおいとまさせていただきます、それに……』


 ローブ姿の人物は辺りを見回すように首を振る。薫も目線だけを動かしてその先を見た。


『この状況を見てはいけない者もいるようですので、後始末をしなければいけませんね』


 謎の人物の姿は再び水柱へと変化していく。


『それではまた会いましょう』


 そういって水柱は砂中へと消えていく。それと同時に海上に広がっていた濃霧も晴れ渡り、リヴァイアサンの姿もろとも消えてしまっていた。


 誠は危険がさったのを知るや否や気を失う。だが、テラスを支える腕は決して緩めることはなかった。

 薫は麒麟から降り、誠とテラスの元へ歩み寄る。二人の状態を確認して、携帯通信機を取り出す。


 「艦長、薫です。無事二人を保護しました。場所は、ええ、例の孤島です。はい、お願い致します」


 薫は通信が終わると思考を巡らせる。

 先ほどの人物は言った。『ニセモノ勇者様』と。おそらく一ノ瀬誠のことを言っているのだろうとは言動を見る限り容易に判断することはできる。だが『ニセモノ』とはどういうわけなのか? その言葉だけが妙に薫の頭の中をぐるぐると駆け回っていた。


***


 孤島の木々が生い茂り、木漏れ日が差し込む深い林の中。その木漏れ日を避けるように進む一つの影。血のように赤い目が二つ、蜘蛛のような4本足で地を這い、真っ黒な体からはユラユラと黒い炎が揺らめいていた。その黒の生き物は誠たちがいたその丘をじっと見つめていた。


 「ギギギッ」


 昆虫が顎をすり合わせるような不気味が声をあげて、その場を離れようとした時だった。


『ふふ、昆虫採集は子供の時の以来かな、でも虫って6本足だったような……』


 「ギギギッ」


 黒い生き物は突然現れた黒いローブの人間に威嚇するように不気味な鳴き声をあげる。そして体を纏う黒い炎は勢いを増して燃え上がり出す。そして勢いをつけるように体を大きくふり、ローブ姿の人間から逃げ出そうと大きく跳ねた。


『でも、やっぱり虫は嫌い』


 そう言って、黒い生き物に向けて手をかざす。


『水牢玉(プリシオン・デ・ボラグア)』


 水の玉が黒の生き物を包み込む。空中で強制的に静止状態にされた黒の生き物は水の玉の中で暴れ出すが、ただ無為にもがくだけでなす術もなかった。水の玉はふわふわとローブの姿の人間の元へと近づいていく。


 ローブ姿の人間は水の中を覗き込むようにして語りかける。


『ふふ、苦しいでしょ? そのまま死ぬといいよ。見てはいけないものを見てしまったのだから』


 黒の生き物は苦し紛れに口を開いて、水の玉の外にいるローブ姿の人間に向かって、舌を心臓めがけて突き出した。


「ギッ?」


 だが、舌は無残にも水の玉に出た瞬間、切り取られてしまい、伸びた先はポトリと地面に落ちてしまう。水の玉の中は黒の生き物の体液であろう色によってどす黒く染まっていく。


『ふふ、汚いね。もう終わらせようか』


 そう言ってローブ姿の人間は水の玉に手をかざしてその掌を握りしめて、詠唱(カント)する。


『深淵(エル・アビスモ)』


 水の玉に閉じ込められていた黒の生き物は水圧によってぐしゃりとその姿をかえ、体液を飛び散らせ、水の玉の中の色を真っ黒に染め上げた。


『うへぇ、気持ち悪い』


 ローブ姿の人間は黒の生き物の死を確かめた後、水の玉の魔力を切る。すると、水の玉は重力に従い、地面に水たまりを作った。その水たまりを見ながらローブ姿の人間は呟く。


『教主様にお伝えしないと。もう、『魔境(マル・ムンドゥス)』たちが動き出してる』

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