第12話 拭いきれなかった想い

 人類が龍族から取り戻した大地。

 その大地の中央にある王国連合(レイノ・ウニド)の本部施設。


 約400年の人類の安寧を象徴するその館は、龍族との争いが一時的な収束を迎え、人類を導いた勇者一族の末裔が五カ国の先祖たちとが建設の一手を担い、人類の歴史を再開するために建てられた石造りの城。現存するもので人類歴史としては最古の建物である。古く劣化した場所などは所々内装を補修、設備が増設されている。

 

 この館には勇者にまつわる秘密が隠されているという不可解な謎が隠されているとも噂されているが、今のところ発見されたことはない。


 決して大きいとは言えないその城は、湖の上に浮かび、そこへ続く一本の道が人類の希望の光を象徴するかのように伸びている。その姿はどこが神秘的な雰囲気が漂っている。


 そこへ向かう7つの影。魔導機関で走る6台の黒塗りの車。その車に囲まれ守られるように純白のリムジンが日の光を反射する。


 内装は赤染の肌触りの良い上質な革張り。座れば程よく沈み込み、その腰を優しく包み込む心地の良いシート。ゆったりと足を伸ばし、寛げる後部座席の運転席後方に座るのは、倭国女王、倭乃天音(わのあまね)。

 

 倭国の衣服文化を象徴する、艶やかな着物を身にまとう少女。だらしなくはだけた着物から覗く細い両肩、赤い襦袢。小柄な体を纏う着物は、白を基調とした赤い椿柄。


 大きなリボン型の髪飾りと花飾りのついた金色のかんざしを使って美しく無造作にまとめられた髪はどこか調和している。膝裏まで伸びた漆塗りのような艶のある黒髮を膝の上に乗せて指でくるくると巻いて戯れている。

 赤漆塗りの閉じられた扇子を右手に持ち、重厚なドアについたアームレストに肘をつき、頬杖をついて窓から見える流れ行く景色を眺めていた。


 舗装された道路の両脇にある手入れの行き届いた木々、日の光を揺らめかせる湖の水面は倭国女王の機嫌を取ることはなかったようだ。唇を尖らせ不満を漏らす。


「はぁ~。めんどくさいのう! なんで妾がジジババの集まりに参加せねばならんのじゃ!」


 シートの上で足をバタつかせて、イラつき表す様子は子供じみていた。女王の横に座る、極上の金糸の髪を束ねたパンツスーツ姿の高嶺薫が女王をなだめるように声をかける。


「女王様。此度の会合は、私の失態によるものです。いかようにも罰を……」


「ふん! 何度も言っておろう! 薫には一ミリも非はないと。気にすることはないのじゃ! 悪いのは平和ボケした馬鹿どもじゃ。誰が好きで最前線に立とうと思う者がおろうか! 海竜王は薫が退けさせたというのにちっとも信用しておらんのじゃ! ふぬぅ~~~! イライラするのじゃ~~~!」


 足をバタつかせていたかと思えば、今度は両腕も振り回し始める。薫はどのようになだめて良いかわからず、眉を下げ困った表情を浮かべる。すると途端にバタつかせていた腕と足をピタリと止め、薫へと顔を向ける。急な変わりように、薫は驚いた様子を見せる。


「薫、今回の海龍王の件での一番の当事者はお主ということにしておるからの。まだまだ一ノ瀬の存在は明かせぬのじゃ。特にディオサの連中にはの。あやつらは女神だのなんだのやかましく言って来よって独占しようとするじゃろ。それだけは絶対に避けねばならんのじゃ。『バハムート計画』の進捗に支障が生じかねん。知らぬ存ぜぬを押し通せ。」


「はい、承知しております」


「それにじゃ、龍の恩寵(アドラシオン)と接触したのもお主だけだしの。奴らが海龍王を意図的に操っておるとすれば大問題じゃ。『手綱』の力は勇者唯一の力。そうなればテラス、一ノ瀬『以外』にも勇者の存在の可能性を否定できぬ」


 天音の言葉にしっかりと頷き答える。先ほどまでの重苦しい空気を変えるかのように、天音は表情をころっと変えてご機嫌そうに声を弾ませる。


「まあ、今回の外界演習で一ノ瀬も『力』を顕現させたようじゃしの。我が『野望』も1歩どころか100歩前進じゃわい! それに今年の『破龍士闘技大会』の勝利は我が倭国のものじゃ、わっはっは~!」


「そ、その話ですが……大変申し上げにくいのですが」


「なんじゃ、万事良好じゃろ?」


 期待を込めた瞳を向けて、首を傾げる天音。

 薫は向けられた期待を裏切るような返答はなるべく避るべきと考えを巡らせる。しかし、理想と現状の差が大きく異なる結果を遠回しに伝えられたとしても、結果は結果。現状をありのまま伝えるしかなかった。


「行使可能ではあります。ただ、魔力行使プロセスに問題があるようです。魔力から魔法への発現するその過程に何らかの障害があるようなのですが」


 薫の言葉を聞いて、「ふむ」と扇子を口元に当てて考えを巡らせる天音。


 幼き風貌からは想像もつかない思慮深さは、幼いながら倭国の王権を世襲し、執り行われる国の政務に顕著に現れていた。龍族の進撃が突如再開された後、倭乃天音は女王として即位する。大人でも下を巻くほどの考えの深さと、慎重さ。どの国の王たちとも引けを取らないその姿勢は、この17年間の倭国を導いてきた。彼女の類いまれなる能力は、彼女の持つ『野望』が原動力になっているに他ならない。


 あらゆる知識を手繰り寄せ、思い当たることが見つかったのか、天音は顔を上げ呟いた。


「『7年前の事故』……、かのぅ」


 薫もその言葉にうなづき、答えた。


「可能性は否定できません。魔力の暴走とはいえ、一ノ瀬は自身の義両親を死なせてしまったのは事実です。彼の潜在意識中に魔力を使うことへの無意識の拒絶があるのではないかと。あと、これも仮定にすぎないのですが」


「なんじゃ、申してみよ」


 促された言葉に躊躇う。だが、一ノ瀬誠が初めて見せた感情の高ぶりは今でも鮮明に覚えている。あれが果たして魔力行使を妨げる要因になっているかどうか定かではない。だが一ノ瀬が積もり積もらせたその憎しみはある種トラウマじみていたのだから。


「一ノ瀬誠は勇者への強い憎しみを抱いております」


 天音は薫の言葉を聞き眉をピクリと動かした。再び口元へと扇子を添え目を細めた。天音は自らの脳内を駆け回るようにして言葉と言葉をつなぎ合わす。やがて一つの答えを導き出すと、扇子を勢いよく振り開き――


「ほう、面白い」


 ――と、呟くのだった。


***


 テラスが目を覚まし、ぼんやりと目を開いてどれくらい経っただろうか。

 ゆっくりと体を起こし、あたりを見回せば真っ白な空間が広がっていた。どこまでも続く虚無の空間は不思議と不安な思いを抱かせなかった。


「うぐっ、ひっぐ。」


 突然、小さな男の子泣く声にテラスは振り向くと突然景色が変わり虚無の世界が色を取り戻していく。


 白衣を着た人物たちが、モニターに映し出された数値とグラフを見比べ、何やら真剣に話をしていた。

 テラスにはその言葉の内容の意味はわからない。だが、視線を上げたその先にある光景に言葉を失った。


 分厚い強化ガラス越しに厳つい拘束具で手足を拘束され、座る一人の少年。不織布の簡素な衣服を着せられ、力なくうなだれていた。

 頭には目を覆い隠すように被せられたヘルメットのような機械が、何本もの太いケーブルで天井と繋がっている。覆い隠された少年の目からは涙の筋が止めど無く流れていた。


 一人の白衣の男が、マイクのスイッチを押し、ガラスで隔てられた少年に向かって話しかける。


「辛いだろうが頑張ってくれ。君が魔力を使いこなせるようになれば、世界は龍の脅威から解放される。その時初めて君は『勇者』としてみんなに讃えられるだろう。義両親もきっと喜ばれるはずだ」


 拘束された少年は、コクリと頷く。しかしそこには少年の意思など尊重されない。そこにはあるのは大人のいいように利用されている哀れな姿だった。


 白衣の男は、他の白衣姿の男へうなづき合図を送る。


『魔力抽出試験、フェーズ5を開始いたします』


 実験開始のアナウンスが流れると椅子に座る少年は、歯を食いしばり、体を強張らせた。


『カウント開始。3、2、1――魔力抽出開始、オールグリーン。異常ありません』


『前回の限界値まで抽出量を段階ごとに増加させろ』


 指示を実行する男は数値を上昇させていく。


『抽出量増加させます。10、30、50、60――限界値です』


 白衣を着た大人たちは淡々と作業を進めていくが、ガラス越しの少年は苦痛を堪えるように歯をくいしばる。その口の端は泡立ち始め、身をよじらせていた。


 テラスは知っている。魔力抽出とは強制的に外部からの干渉で魔力を抜き取る『拷問』である。その苦痛は大の大人でも惨めに泣き叫ぶほどの苦痛を強いられるものだった。


『何か変化は?』


『いえ、以前、魔力の抽出を確認できません』


『数値を上げろ』


『し、しかし! これ以上は前例がない抽出量です! それに倫理的に問題が……』


『やれ、人類の未来がかかっているんだ! そんな時に倫理もクソもあるものか!』


『りょ、了解です』


 指示を実行する男の声と数値を上昇させるために機器を操作するその手も震えていた。操作を実行する男も知識として知っているのだ、その痛みと慣れ果ての姿を。

 

 徐々に上昇していく数値は、ついに誰も味わったことのない痛みへと到達する。


「ああああああああ!!」


 ガラス越しに聞こえる少年の叫び声。目を覆いたくなるような光景にテラスは顔をそらす。そして指示を出す白衣の男の肩を掴んで叫んだ。


「お願いです! もうやめてください! これ以上もう――」


 しかし、テラスの叫びも虚しく男の耳にはその痛切な願いは聞き入れられない。否、全く聞こえていない。何度も訴えかけるテラスは無力感に歯をくいしばるしかなかった。


 そして少年の叫び声が途絶え、ぷつりと糸が切れたかのようにうなだれる。そして拍動の停止を知らせる一定の電子音が部屋に鳴り響く。


『心肺停止! 救護班、救命措置を急いで!』


 途端に慌ただしく駆け回り始める白衣の大人達。


「う、そ……」


 テラスはそう言って、呆然と立ち尽くすしかなかった。


『拘束具の解除を確認』


 拘束具から空気の漏れる音がなり、少年の体は自由になる。隔離された部屋の中へと救命士が駆け込み、少年を触れようとした時、心電図が少年の存命を知らせる音を響かせた。


『……し、心拍数上昇』


 空気が一瞬でざわめいた。誰もがその言葉を疑うかのようにモニターを見つめる。表示された心電図は少年の心臓の拍動を映し出している。弱々しく、だがそれは徐々に命の強さを再び取り戻していく。


『そ、それだけじゃありません。ま、魔力が増幅して……すごい、量です』


 指示を飛ばしていた白衣の男は、映し出されたモニターに表示される数値を見て呆然と立ち尽くす。そこに映し出された魔力数値は、常人の数値を軽く超え、少年が叩き出した数値は誰もが目を疑うような数値だった。


『……この少年は、一体何者なんだ』


 呆気にとられる大人たちをよそに、ガラス越しの少年は、安らかに寝息を立てていた。


***


 白い天井。 


 テラスは目を覚まして暫くの間、視線のその先にある真っ白な天井を見つめていた。学園内にある、医療施設の病室のベッドの上で横たわっていると気づくのにかなりの時間を要してしまっていた。

 

 頭の中にこびりついた映像はそう簡単に忘れられそうにない。脳裏に焼きつき、無意識に再生される記憶が、テラスの心を悲しい色で塗りつぶしていった。


「誠……先輩?」

  

 恐らく、否、間違いなく、拘束され苦痛を受け入れていた少年は誠本人だろうと考えつくテラスだった。だがなぜ、誠の過去を辿ることができるのであろうかと不思議に思っていた時だった。


《誠をよろしくね》


 頭の中に突然響く声。

 その声は幻聴なんかではない。確かにテラスはその声を聞いたのだ。テラスの目は見開き、ベッドから勢いよく上半身を起こした。

 病室の中を見回しても自分以外に人影すらも見当たらない。


「今のは……、――っ!」


 途端に襲いくる体に残る鈍痛。その痛みは再びテラスの背中をベッドへと引きづり戻した。その痛みは、気を失う直前までの記憶を呼び覚ます。

 

 海の王――リヴァイアサン。


 海の最恐の存在が突如として現れ、命の危機に晒された。そこで行われた誠とのやりとり。


 勇者は人々に幸福をもたらすものであることを証明するため、命を賭して『極致魔法』を呼び出した。それからのの記憶はぷつりと消えている。

 行く末はよく覚えていない。ただその後の記憶の断片には、誰かがテラスを優しく、強く抱きとめる記憶が霞んで見えている。


 次第に体の痛みが和らいでいくのをテラスは感じる。ふわふわと、何か陽だまりのような温もりがテラスの体を包み、優しさが心に満たされていくような感覚に、テラスは身を委ねて目を閉じる。次第に感じていた痛みも消えていくようだった。


「なんでしょう、何か生まれ変わったような……」


 テラスは自らの体に何かしらの変化があったのではと思いを巡らせる。限界に近い『極致魔法』を使ったのだ。何かしら体に変化が起こってもおかしくはないだろうとテラスは思いつく。

 

 とはいえ、こうして生きている事実はリヴァイアサンを撃退できたのだろうと思うテラスだった。誠が持つ負の感情を拭い去ることができたのではないかと、そんな期待が胸中に広がる。


――コンコン


 扉をノックする音が聞こえる。テラスは扉の方へ顔を向け「はい」と答えた。スライド式の扉を勢い良く開けて入ってきたのは給仕服に身を包んだ銀髪の女性、イーダだった。


「テラス様!!」


イーダはテラスに駆け寄り、テラスの手を取って目を潤ませ言った。


「うぅ~、良かったでず~! 私、このまま目を覚まさないんじゃないかと~。うわ~ん」


「そ、そんな大げさな、事実こうやって起きているわけなんですから」


 泣きわめくイーダをなだめるようにテラスは声をかけるが、イーダが鳴き止む様子はなかった。テラスはまだ体に少し残る痛みに耐えながらも、上半身を起こす。イーダはとっさにテラスの体を支えた。


「テラス様、まだ横になっていなくては!」


 イーダは起き上がろうとするテラスにそういうが、テラスは首を左右に振り、イーダの瞳に目を合わせて言った。


「イーダ、あなたも無事で良かったです。本当に……本当に……」


 テラスは目の端に涙を浮かべて、イーダをゆっくりと優しく抱きしめた。


「うぅ~、テラス様~!!」


 イーダもそれに応えるようにテラスを強く抱きしめたが――


「イタタタ。イーダ痛いですよ!」


「も、申し訳有りません! テラス様!」


 テラスの体に大事があってはならないと、イーダはテラスの全身を確かめるように覗き込む。テラスは大丈夫だと伝え、イーダは胸をなでおろした。


 イーダはテラスが演習後、まるまる1週間は気を失っていたことを伝えた。確かにそれだけ眠っていれば、従者であるイーダの性格からすれば、気が狂ってしまうような思いに駆られてしまうだろう。その1週間の短い間に何が起こったのかをイーダはテラスへと伝えた。


「そんなことが……」


「はい、私も驚きを隠すことができませんでした」


 リヴァイアサンの二度の強襲、アイスドラゴンによる山岳要塞壊滅を受け、緊急の五ヶ国会談が開催された。リヴァイアサン強襲の原因は未だ謎に包まれており、倭国を中心とした捜査が実施されている。今後倭国への軍事的支援が強化され、倭国はさらなる軍事的拡張を行うこととなる。倭国は他国より軍事的に優位とななり、海域の警戒は今まで以上に厳重となる。


 それだけではない。地上からの龍族の進撃も活発化し始め、グランドラゴンの出現はテラスの故郷であるカーマイン国を震撼させた。

 しかし、グランドラゴンは攻撃を仕掛けることはなく、ドラゴンスレイヤーたちと睨み合った後、地中へと再び戻っていったという。一部の証言では、まるで何かを探していたような様子だったという。


――グランドラゴン

 上級ドラゴン。地龍族の中でもかなりの巨体であり、岩をそのまま貼り付けたような頑丈な鱗は上位の爆裂魔法でもビクともしない頑丈さを誇る。地中から突如として現れることがあり、その一歩は大地を揺るがす。単体で動き、群れることはないが、多くの眷属を現れた地中から出現させ、数の攻撃を得意とする。

 

 龍族には知性があるという対龍族学の学者がいるが、此度のグランドラゴンの不可解な行動はさらにその謎を深めることとなった。

 知性はないと言われているが、ドラゴンスレイヤーの中では龍族同士で、人と同じ言語を使い、会話していたなどの証言がある。また作戦行動を取るかのように、グランドラゴンは眷属を引き連れ現れるため、過去の戦争でグランドラゴンのおかげでかなりの痛手を被った。以上のことから龍族は知性を有する可能性が高いことも否定できない。


 テラスはグランドラゴンがカーマイン国に出現したことを聞いて目を見開いてイーダに詰め寄る。


「義父様、義母様、国の皆様は無事なのですか?」


 そう叫ぶテラスの表情からは悲痛な思いが現れていた。イーダはテラスの心配をしっかりと受け止め、テラスがすぎた心配をしないように、その後の、祖国の状況を伝えた。


「テラス様、ご安心ください。姿こそ現したものの、幸いにも被害は皆無です。国王様からも心配無用とお言葉を賜りましたので」


「そうですか……。しかし、どうしてこんなにも龍族の活動は活発化し始めたのでしょう?」


「わかりかねますが、大きな何かが動き出している、そう思わざるを得ません」


 沈黙がテラスたちのいる病室を包む。テラスはハッとし表情を浮かべ、イーダへと問いかけた。


「ところで、イーダ! どうやってあの逆境から抜け出したのですか? あなたの実力を疑うわけではありませんが……」


「フッフッフ~、テラス様、私を誰と心得ていらっしゃるのですか? 『そよ風のイーダ』の名は伊達ではありませんよ! テラス様に私の力の全てをお見せしているわけではありません!」


 腕を組み自慢げに踏ん反り返って、鼻息を荒げて自慢げにそう語るイーダを見て、テラスは少しだけ不満気に艶やかな唇を少し尖らせて言った。


「もう! イーダはイジワルです! 教えてくれたっていいじゃないですか!」


「そうはいきません! 一ノ瀬誠のような変態を撃退するためにとってあるのです!」


 両腕を腰に当てて、胸を張り、そう言うイーダの言葉に、テラスは何かを思い出したように静まり返った。

 

「テラス様?」


 イーダはテラスの急な変わりように驚きテラスの顔を覗き込む。テラスは目覚める直前まで見ていた夢をイーダに語った。それはもう、鮮明に覚えていた。今も少年の泣き叫ぶ声が鼓膜に張り付き、脳内に流れる映像に合わせてその声が聞こえてくるようだった。


 テラスの語る夢の内容はとても生々しく聞こえ、さすがにイーダも誠のことを悪く言う気にはなれなかった。イーダの表情も次第に真剣な顔つきとなっていく。


 全てを語り終えた後、病室が静寂に包まれる。イーダもテラスにどう言葉を返していいものか考えあぐねていると、テラスの口が開いた。


「誠先輩はおそらく、大変ひどい扱いを受けてこられたのだと思います。だから、『勇者なんて、いない方が良かった』とおっしゃられているのではないかと」


 イーダはテラスの言葉に耳を傾ける。


「不思議なのです。なぜ誠先輩の過去を、夢をみることができたのか。それに――」


《誠をよろしくね》


「確かにそう聞こえたのですか?」


 イーダの言葉にテラスはうなづく。そして顔を上げてテラスは言った。


「まるで、何か大きなものを託されてしまったかのように思えて仕方ないのです……。それに自分が何か生まれ変わったかのように――何かはわからないのですが……」

 

 テラスは両手のひらを見つめては、握ったり開いたりを繰り返している。イーダはテラスの両手を優しく自らの手で包んだ。テラスはイーダへと顔を向けると、イーダはテラスへと優し微笑みかける。


「テラス様。大丈夫です。どんなことがあったとしてもテラス様はテラス様ですよ」


「イーダ……」


 二人は互いの絆を再び確かめ合う。次第にテラスの顔にも笑顔が戻る。


――コンコン。


 イーダの入室を促す言葉に、ドアをスライドして、姿を現したのは、件の一ノ瀬誠本人だ。誠はイーダの姿を見ると少しだけ身構えるも、イーダが誠に食ってかかる様子はなかった。むしろ哀れみの表情を浮かべ誠を見つめるイーダに少し面食らうが、そのままテラスのいるベッドへと近づいていく。


 テラスは誠の姿を見ると心が弾んでしまうようだった。誠の姿が近づくにつれ、テラスの頰はほのかに色づいていく。胸の高鳴りが徐々に高まるにつれて、テラスは今まで感じたことのないような思いを抱く。この気持ちがなんなのかよくわからないテラスだが、不思議と悪い気はしなかった。だが、さきほどのまで見ていた夢を見ていたテラスは誠の過去を思い、誠に哀れみの眼差しを向けた。


「テラスさん、目が覚めたんだね! ずっと目が覚めないから心配してたんだ」


「はい、おかげさまで。誠先輩もお元気そうで何よりです」


 病み上がりとはいえ、テラスとイーダの様子の違いに気づいたのか、誠は不思議そうな表情を浮かべて尋ねた。


「なにか、あったのかな?」


「い、いえ、何も。ね? イーダ」


「そ、そうですよ。いつも通りです」


 誠は二人の言葉に違和感を覚えていた。今まで『役立たず』と罵られ冷たい視線を浴びせられてきた誠は、向けられる視線には敏感である。しかし、誠はそれでも挫けまいと自然と身につけてしまった処世する術を知っている。


「そうなんだ。まあ、二人とも元気そうで何よりだよ」


 テラスは誠の向ける笑顔を知っている。病院で誠が黒髮の少女に向けられるものと一緒の笑顔を浮かべる誠を見て、テラスは思い出す、誠が持つ勇者への思いを。


——『勇者なんて、いない方が良かった』


 テラスはその言葉が誠の口から発せられることが辛かった。テラス自身の人生を、自分の先祖を否定し、勝ち取った人類の勝利をも否定する言葉は聞くに耐えない。


 だがテラスは、自分が命に代えてでも守ろうとした誠を龍族の脅威から守ることができた。勇者の存在は不可欠である、こうして生きていることが証明しているではないかと強い確信と自信を今実感している。


 テラスは聞きたかった。誠が今勇者をどう思っているのか。けれどもそうあからさまに聞くことは少しだけ躊躇われてしまう。夢で見た誠の姿はあまりにも哀れだったから。

 できるのなら少しだけでも勇者への思いがプラスへと転換してくれているのならそれでも良いとテラスは思っていると、テラスの思いを代弁するかのようにイーダが誠へと言った。


「しかし、テラス様に命を救われたというのに礼の一つもないとは無礼千万。まあ、少しは……いえ、大いに勇者、テラス様の偉大さが理解できましたか? 私たちに、人類には勇者は必要不可欠なのです!」


 イーダは得意げに腰に両腕を当て胸を張って言った。だが誠の浮かべていた笑顔はだんだん真顔へと戻っていく。誠は拳を握りながらイーダの言葉に答えた。


「テラスさんには感謝している。あの時テラスさんがいなかったら死んでいたかもしれない」

 

 誠の言葉にテラスとイーダは表情を明るくする。だが続く誠の言葉は二人が期待したものは全くの逆だった。


「だけど、勇者がいない方が良かったっていう考えは変わらない。勇者は、初代勇者は、僕に力を『託した』理由を答えてくれなかった。自分じゃできなかったことを無理やり押し付けて。勇者の呪縛? 原罪? いったいなんの話だよ」


「ちょっと待ってください! 初代勇者様とお会いしたのですか!?」


 テラスとイーダは誠の言葉に落胆するも、誠の言葉からはまるで『初代勇者』と出会ったような口ぶりに驚きを隠せなかった。だがテラスの質問にかまわず誠は続けた。


「それに初代勇者も言ってたんだよ。『勇者なんていない方が良かった』って」


 誠の言葉にはテラスは言葉を失い、頭の中が真っ白になっていく。

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