第14話 抗えぬもの

 時間は少し遡る。


 沈みゆく西日を受け、二つの不釣り合いの影が地面へと映し出される。二人が出す魔力のオーラは下校する生徒たちの波を左右に掻き分けて、さながら二人を決闘の場へと導く花道のようだった。いつまでも歩き続けるイーダの後をつける白雷はしびれを切らしてイーダに尋ねた。


「おい、どこまでいくのだ、リルクヴィスト家の娘よ。決闘ならどこでもいいではないか」


「――ふん、これだからお子様は。この破龍学園敷地内において私闘は厳禁。それは闘技場(アリーナ)でも同じこと。ただ、あなたとの決闘にはふさわしい場所があります。まあ、それによって私のアドバンテージがぐんっと上昇してしまいますが……」

  

 イーダはちらりと白雷の方へと視線を向けるが、白雷はふんっと鼻息を鳴らし、自信を込めて言った。


「我が名は白雷。初代勇者が振るった最後の剣。有利不利など関係なく、お前に我が力を知らしめてやる」


「受諾――と受け取ってもよろしいですか?」


「無論だ」


 イーダは不敵な笑顔を浮べて目的の場所へと白雷を誘い歩くこと数分、イーダが決闘の場として定められた場所で足を止めた。


「――なんだ、ここは?」


 白雷の目の前にそびえ立つ闘技場(アリーナ)は青い光で屋根を囲み、一部ガラス張りのところからは、外から中を覗くことができる構造になっている。外から決闘を見ることができるように工夫されているようだが、何やら棚に書物が並べられており、それが邪魔をして決闘を覗くことなどできはしない。この棚を設置を考案したものは何を考えているのか? 白雷はこの無駄な装飾に首を傾げた。さらに中の様子を確認するため、背伸びをして見るのだが、書物の棚が邪魔で中を見ることができない。


 苦虫を噛んだような表情を浮かべ、一度ガラスから離れると、書物の棚の間から中の様子を覗き込むことができるようだ。覗き込んで見ると、何者かの足であろうか、それらが邪魔して中の様子を伺うことができなかった。かろうじて目を凝らし見ることができたが、布やら、化粧品のようなものが見受けられる。白雷は考えた。そして合点がいったのか手を叩いて一つの考えに達する。ここは決闘前に決闘者たちが化粧をしてさらに決闘を華やかにする場所なのだと考えつく。敵に塩を送るとはこのこと。リルクヴィスト家の娘も中々やりおる。そういう視線をイーダへと送ると、イーダは白雷の視線に笑顔で答えた。

 

 そしてイーダは白雷を手招きし、その建物の中へと入っていく。白雷も鼻息を鳴らし、ガラス張りの両開きのドアを開けた。すると心地よい冷気が白雷の肌を撫でた。もうすぐ初夏を迎えようとしている季節。ほんのりと汗ばむ肌には心地の良い室内の温度。その心地よさに身を任せていたが、目の前に

数え切れないほどの品が並べられていることに、気付き驚愕の表情を浮かべた。

 右手にある陳列棚には見たこともないような菓子の数々。突如、左からは水の音が聞こえてくる。振り向くと男子生徒が黒い箱から、湯気の上がるコップを取り出した。白雷も気になり、台の上にあるその箱をよく見ようと背伸びをして見る、だががうまく全容がつかめていないのか、再び首を傾げていると。青縞模様の服を着た女性が両膝に手をついて、白雷の目線に合わせて言った。


「まだ小さい子にはコーヒーは早いかな?」


 むぅ、と口をへの字に曲げる白雷。妙な格好をしたこの女も自分を馬鹿にするのかと、そっぽを向いて歩き出す。


 白雷は腕を組み考えた。この建物は決闘者の化粧品だけではなく、観戦するものたちへの飲食まで提供している。周りを見渡せば何やら楽しそうに菓子を購入するこの学園の生徒たち。リルクヴィスト家の娘はいつの間に観戦の手配をしていたのかと、敵ながらあっぱれと言うふうに感心する。そして白雷は同時に思うのだった。あの娘の無様な姿を白日のもとに晒してやろうと。


 イーダが何やら部屋の奥で手招きしている。周りを見渡せば興味のつきない物ばかりだが、これほどの晴れ舞台を準備した相手を待たせるのは悪いと白雷は思い、イーダの元へと歩を進める。恐らくこれから自分も化粧をして闘技場(アリーナ)へと向かうのだ、白雷はそう察してイーダの元へと駆け寄った。


「好きなものを選ぶといいですよ」


 白雷はイーダの指し示す場所に並べられた品を見つめる。そこには所狭しと並べられた何やら見たことのない食品の数々。一つずつ綺麗に包装され、中にある食品は無性に食欲をそそられる。文字を読むことはできない。だが、美味しそう――そう思わざるを得ない。


 ふんわりとした卵色の生地に、白い何かがが包み込むように巻かれた菓子。その隣にはピンク色をした同様な形をした菓子がある。注目すべきがその中央に、赤い果実が白い何かに抱かれている。そのほかにも菓子が所狭しと並べられ、そのどれもが未知の味。だが見ただけで白雷の口の中にはよだれが満ち溢れていた。あちらにも、こちらにも。忙しなく白雷は菓子の全てに視線を移す。そこには白雷が知らぬ、甘味の世界が繰り広げられていた。

 白雷は思わず生唾を飲み、喉の音をゴクリと鳴らしてしまった。


 「――ハッ」


 しまった。と、白雷は自らの失態に気がつき、佇まいを直す。隣に並ぶイーダに視線を向けると、笑顔で白雷のことを見つめていた。リルクヴィスト家の娘め、我を菓子などで誘惑しようとしておったな? ――そう睨みつけていると、イーダがプラスチック製のカゴを白雷の前へと出して言った。


「どうせだったら全部食べて見ます? これなんか、生地がふわふわもちもちしてて、振りかけられた粉砂糖と、包まれたクリームが織りなす甘さが絶妙で、一口サイズでそのいいところ全部一気に食べられるのが最高なんですよ?」


「ふわふわ……モチモチ……粉砂糖……く、くりぃむ?」


 イーダの言葉を繰り返しながら、白雷の口の端からはよだれが光を反射させている。特に聞き慣れない、くりぃむという言葉が白雷の耳にこびり付き興味をそそられる。


「ふふ、白雷さんは、クリームを食べたことありますか? ほどよくひんやりとした滑らかな舌触り。舌に乗せた途端、舌に広がる濃いミルクの味。それがふわふわもちもちの生地と絡み合ったときは至福のひととき! …………食べますか?」


 少しの躊躇いもなくコクコクと白雷は頷き、よだれはその小さな顎にいく筋も流れ出していた。


 イーダは、カゴに並べられた菓子を次々と放り込み精算を済ませた。建物の外には購入した飲食物を食べることができるようにテーブルと椅子が備え付けられている。そのテーブルの上に購入した菓子を所狭しと並べ始める。イーダが菓子の包装を開けた途端、広がる甘い香りは白雷をどんどん虜にする。白雷は目を輝かせ、イーダと菓子を交互に見つめていた。この時すでに決闘のことなど白雷の頭の中から消え去っていた。


 白雷はイーダから渡されたスプーンを手に取り、どれから食べようかと考えあぐねていた。するとイーダが菓子の一つを勧めてきた。


「このプレミアムローリングケーキなんてどうですか? 私の一番のオススメですよ」


 ケーキ? ――聞き慣れぬ言葉だが、耳に残る甘美な響きが絶対に美味しいものだと白雷は確信する。イーダの指差す菓子へと目を向けると、それは白雷が一番最初に目にした物。やはり自分の目に狂いはなかった。はやる気持ちを抑えて、白雷は手を合わせて言った。


「いただきます」


 スプーンでそのケーキに切り込みを入れた瞬間、白雷に衝撃が走る。今にも崩れてしまいそうな柔らかさがスプーンから伝わる。それだけで、そのケーキがいかに洗練され、作り込まれたものかが一瞬にして理解できてしまう。そして白雷は白い魅惑のくりぃむをスプーンですくい上げ、恐る恐るそれを口の中へと運んだ。


「――ふむぅ!」


 あまりの衝撃に白雷は声をあげた。鼻を抜けていくミルクの甘い香り。ひんやりとした滑らかな舌触り。舌に広がる優しい甘さが、白雷の心を一瞬で鷲掴みにしてしまう。そして、噛まずとも味わうことのできる柔らかい生地がクリームと混ざり合い、あっという間に喉を通り過ぎて言った。


「な、なんだこの甘味は! 今まで食べたことがない……なんて……なんて……美味しいのだ」


 次から次へと口へ運び、白雷の持つスプーンはとどまることを知らない。だが、ふとスプーンを握る手が止まる。


「待て、我は今何をしている? なぜ? こんなにも菓子に夢中になっている?」


 そうだ、イーダと決闘のためにこの場へと来たのだと思い出し、ハッとしてイーダの方へと振り向くと笑顔でスプーンをこちらの口へと差し出してくる。


「ほ~ら、お口を開けて? 美味しいプリンですよ~」


 スプーンの上にはプルプルと揺れる魅惑の固体。先ほどのくりぃむも添えられ、より一層その魅力を引き立てていた。


「くっ!」


 ダメだとわかっていながら、勝手に口が開いてしまう。ダメだ! 抗えぬ! この甘味の誘惑! 白雷はすでにイーダの掌の上、とどまることを知らない甘い誘惑に、勝つことなどできはしなかった。


***


『――というわけで、甘いものには弱かったという、白雷ちゃんでした』


 女子生徒の説明が終わると、白雷は悔しそうに両手に握りこぶしを作る。夕日もかなり傾き始め、カラスが自らの寝床へと飛んでいく。白雷を罵るような鳴き声をあげて。


「……屈辱」


「あは、あははははは~」


「通りで……、『ノーソン』の前だからへんだと思っていましたけど」


 誠は乾いた笑いしか出てこず、テラスも苦笑い。そして勝者であるイーダは鼻息を鳴らし勝ち誇ったかのように胸を張り、白雷を見下しながら言った。


「ふっふっふ~。所詮ガキはガキィ! 甘いものには目がないってね!」


 白雷の真偽を問う決闘にはいつの間にか変な決着がついていた。そして誠は、白雷の今後を気にして優しく声をかけた。


「白雷、変なおじさんについていっちゃダメだぞ?」

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